第27話 痛みの行き先


「ありがとうございました。また来てくださいね」

「あぁ、ご馳走様」


ジュリエッタが最後の客を見送ると、扉の掛け札をめくって、「closed」とする。今日は0時きっかりに閉店できた。

朝から昼までは一人で修行にいそしみ、夕から晩までは店を手伝う。これが最近の俺の生活習慣だ。始めてから丁度一週間ほど。

では、スレッジをオーナーとするこの酒場・『Dear Lazy Son』の従業員をおさらいしていこう。


 まずはクロエから。

俺をとっ捕まえた色黒のレディ。スレッジに保護された彼女が、店主としてここを|創(はじ)めたそうな。主な役割はカウンター席で酒と客の相手をする事。面倒見が良い、皆のリーダーシップである。

 次にジーナ。

ふっくらした黒髪ミディアムに大きな丸眼鏡……あどけない印象を受ける料理人。ただし、俺より一つ年上らしい。彼女の抜群のセンスは先日のカルボナーラと言い、日々の賄い料理で認めさせられる。掴み所も、表裏も無い性格がなんとなく面白い。

 それからヘーゼル。

最年長の風格漂うブロンド髪のお姉さん。身長が高くて、時々タバコを吸っている。更に口調も強めだから、普通の人からすると近寄り難いのかもしれないけど、俺は彼女の親切心を知っている。店では長いこと給仕係を担当しているそうだ。

 最後にジュリエッタ。

俺と同じく18歳で、金髪の美しい子だ(なお、シルビアと比べてはいけない。彼女を引き合いに出してしまうと、全人類がブスと言っても過言ではなくなる) ……ただ、それ以上の情報があまり無い。お客さんへの態度も好評な看板娘的ポジションだけれど、俺にはあまり関わってくれない。俺を介抱してくれたのも彼女だというし、根は優しいと信じて様子を伺っている最中である。

 あと、一応俺・ルドウィーグ。

あまり気にしたことはなかったが、容姿の特徴で言えばやはり髪か。灰混じりの黒色をした外ハネの癖毛。まぁ、自分のトレードマークとしては気に入っている。あとはピアノが弾けるくらいで、他に語ることもない。店では雑用と皆の手伝いから始めている。



 店の片付けも済むと、クロエが全員を呼び集めた。


「皆、お疲れ様。これで今夜の仕事は完了」

「おつ~」

「はぁ……お疲れ様です」


皆が適当にくつろぎ始めると、ジーナが俺の所に来た。


「ルー君、今日もよく頑張った」

「ジーナからそう言ってもらえると嬉しい……というか『ルー君』呼びなの?」

「勝手にそうした……そうだ、ピアノ弾けるって聞いた」

「そうだけど」

「あれで聞かせて」


ジーナは詰め寄ってきて、店の隅の方を指差した。

布が掛かっていて気付かなかったけれど、確かにそれはアップライト式ピアノだ。ピアノ自体久し振りだし、アップライト式の実物は初見なので、かなり興味をそそられる。

ただ、今はちょっと用事があるので


「うん、また折を見て」


と軽く往なしておいた。




 俺がスレッジの部屋の天窓から屋根に登ると、三角座りのまま星空を眺めるジュリエッタが居た。昨日くらいが丁度下弦の月だったから、今日も同じようにまだ低い空に月が浮かんでいる。


「そんなところで溜め息吐いてどうしたの?」

「わっ! 誰?」

「やぁこんばんわ。君の厄介人ルドウィーグだよ」

「二つ名みたいに厄介人って……もう!」

「そこを『君の良き友』に変えられるようにちょっと話をしに来たんだけど」

「話すって言ったって、何を?」

「そうだな~。まずは俺を介抱してくれた理由を訊きたい」

「……血を出して気絶してる人を放置する方がおかしいもの。別にそれだけなんだから」

「なるほど。やっぱり君も良い人だ」


そう言うと、ジュリエッタはどことなく頬を赤らめたように見えた。


「そ、そういうあなたにも訊くけど、何で弔いなんかになるの?」

「……」

「クロエもジーナもヘーゼルも、詳しい事情は不問にしてるのは分かってるわよ。でも、私だけは納得できない」


複雑な感情が籠もったような声を発し切ると、ジュリエッタはグッと膝を抱え込んだ。


「『火の聖誕祭』事件はもうとっくに新聞になっていたよね」

「えぇ、耳を疑う話だったわ……それが?」

「俺はアレの生き残り――」

「ちょっと待って。それも驚きだけど、おかしいじゃない! 事件は教会連盟側の企てだったって話じゃない。連盟が憎くないの? 弔いになったらその下僕って事でしょ?」

「まぁ、待ちなされ。話には続きってものがある……」


俺は少し遠くに視線を逸らしながら語った。。


「俺には恋人が居た。でも、襲撃があって、彼女のお義父さんやお義兄さんが死んでまで俺を助けてくれた。それから、恋人の彼女も自分の身柄を引き換えに俺を守った」

「……」


話が想像よりもずっと悲惨で驚いているのだろう。ジュリエッタの方を一瞥すると、それまでのどこか気に入らなそうな目つきは、いつの間にか呆然とした表情に移り変わっていた。

それとも、俺が無意識のうちに同情を買う顔を晒してしまっていたのだろうか。だとしたらそんなつもりは毛頭無いし、自分の中で当時の生々しい哀惜が滲み出て来る前に気持ちを切り替えて話をまとめよう。


「連盟に仕えるのは不本意だ。ただ、あの人たちの死に報いて、彼女に寄り添うにはこの道しかないと思ったんだ……家族も家も財産も、全て失ったからこそ踏み切れた」


ジュリエッタは、その前髪で自身の目元を隠したまま落ち込んだ声を発した。

その内容は意外な返しだった。


「それってつまり、自分の為じゃないよね?」

「まぁ、そういうことになる」

「やっぱり」

「……?」


俺が返答に困っていると、ジュリエッタは自分の過去を語り始めた。


「ここに来る前、私の家には親が居なくてね、兄さんと貧しい暮らしをしていたの。でもあるとき、本当の本当に一文も無くなって、兄さんは日雇いで弔いの仕事を受けたわ」


日雇いの弔い……一昔前に廃止された制度だ。

一般人の中から弔いの補佐を募る単純な仕組みでありながら、報酬はかなり高い。

だが実態は、貧困者を金で誘い、捨て駒として戦地へ駆り出すものだった。

生きて報酬を受け取れた者は愚か、五体満足で帰って来た者の方が少ないという酷い有り様だったらしい。

そして、漏れ無くジュリエッタの兄も……


「お察しの通り、兄さんは二度と帰って来なかった……小さかった私を食べさせる為の筈が、そのまま置いて死んでしまったのよ。

人の為に行動できる人は立派だと思う。だけど、その結果死んでしまうくらいなら、私は――」


ジュリエッタは最後の言葉を絞り出せなかったようだが、彼女がどことなく俺を避けていた理由が分かった。

自分が傷付かない為にも、死にたがりみたいな臭いのする人間とは関わりたくなかったのだろう。

長い沈黙を挟んで、ジュリエッタは腰を上げた。


「冷え込んで来たし、毛布取ってくる」

「足元気を付けて」


彼女が天窓から屋内へ入ってしまうと、俺は一人で思いを巡らせた。

ジュリエッタの言う通り、確かに俺は自分の為に行動してはいない。

だが、自分の意思で行動している自覚がある。俺を庇ったときのアシュレイや、剣を託したローレンス、ジュリエッタの兄もきっとそうだ。

だから、罪悪感など背負わなくていいと、気付かせてあげたい。


 ところで、俺は自分の「意思」について少し考え直す事にした。

シルビアを助けたい……これは紛う事無き己が意思。

ただ、色んな人の遺志に影響されているのも事実。

それにしても妙な話だ。

大事な人も、見ず知らずの者も、敵さえも、目の前で沢山死んだと言うのに、今こうして正気を保てている。

既に正気など失くしているのかとも思ったが、それは違うようだ。

どれだけ時間が経っても、何度でも鮮烈に思い出せる……皆の最期が心に遺して行った傷の一つ一つを。今はきっと死に報いようと、この痛みを前へ進む力へ変えているだけなのだ。


ならば、痛みを何かに変換できなくなったら――

    痛みの行き先がなくなったら――

    進むべき道を見失ったらどうなるだろうか。


その日まで抱え込んだ全ての絶望が濃縮されて、堰を切ったように俺へ降り掛かるだろう。

惨劇の味はもうごめんだと言うのに、少し考えた矢先から処刑場の腐臭を鼻に思い起こしてしまった。

ローレンスが命を落とした前後の状況と同じ寒気がして、冷静で居られない。お化けに怖がる幼児みたいに、俺は一人で慌てふためきながら室内へと急いだ。

立ち上がって天窓の方へ振り向く――




――道路を挟んで向かいの民家、その陰に隠れ切らない程の体躯をした何かが蠢いていた。

その姿には心当たりしかない。肥大化したイモリが恐竜のように立った姿。酷い色に腫れ上がった膿瘍が全身に見られ、そこに巣食う蟲やカビの気色悪さと言ったら尋常ではない。

処刑場の腐臭がしたのは、あのときのことを思い出して臭いを連想したからではない。その発生源が実際すぐ傍に居たからだ。


「汚染の、ぬし⁉……」


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