第26話 新しい居場所?
料理の大半はジーナが一人でやってしまうらしい。持ち前の腕と地道な作り置きで何でも手際良く仕上げてしまうのだと。
彼女が厨房で良い匂いを立て、ジュリエッタがその手伝いをしている間、残りの俺たち4人は無事だったテーブルと椅子を寄せ合ってそういう話をしていた。
ワイン塗れの服を着替えて来たスレッジを見て、俺はハッとする。
「待って。今、俺超汚い筈……」
なんやかんやすっかり忘れていたが、俺は不衛生な獄中を駆け抜ける間ヘドロや下水を浴びまくっていて、その後ちょっと水で流したくらいだ。こんなままでは食事に失礼もいいところ。俺は急いで席を立って、風呂の場所を尋ねようとした。
しかし、クロエが俺の手をそっと握って引き留める。
「平気よ。あなたもうお風呂入ったから」
「へ?」
「あなたがここに来たのは今日の早朝。もう晩よ。お風呂に入れる時間は十分あったから、あなたが気を失っている間の介抱にそれも含まれているわ」
「ルドウィーグ! おめぇ、チ〇ポコ見られてやんの! ハッハッハッ、クハハッ!」
向かいの席でスレッジが泣くほど爆笑している。
……そういうことは暗黙の了解だろ。俺は向こうに素直に感謝にし難くなるし、向こうも不快感を覚える。そうだろ?
だから言われたくなかったのにぃ……マジで。あんなに笑い転げやがって。
俺は思わず顔をサメみたいにしてキレた。
「このクソオジ! ガキみたいな下ネタで
割と本気で一発ブッ叩いてやろうと思って俺が席を立つと、スレッジは笑ったまま逃げた。しかもこの動き、テーブルの円周上における攻防戦を分かってやがる。テーブルを挟んで、俺との距離が常に最遠になるようにちょかまか走り回っている。逆回転やフェイトを混ぜても掴まえられない。
馬鹿らしくなって、俺は
不機嫌な自分を宥めながら、ドスンと腰掛けた。
「はい、お帰り。……スレッジはああいう人だから」
「うん。もう十二分に分かった」
話を戻そう。
「……それで、お風呂以外にも点滴で栄養剤を打っておいたわ」
「こうやってスレッジと戯れる元気があるようだし、効果は
「『戯れる』って、俺だってやりたくてやってんじゃないさ。まぁ、いいや。ありがとう」
「だ~か~ら、目が覚めたときにも言っただろ? やったのは全部ジュリエッタ。私たちはちょっと手伝っただけ」
とは言いつつも、「ちょっと手伝っただけ」という辺り、ヘーゼルも良い人なんだと思う。
でも、そんなこと本人の前で口にする方が無神経だと思い、俺は
「そっか」
とだけ言った。
すると、丁度湯気を立てる大皿を持ってジーナとジュリエッタが戻って来た。
「お待たせ」
立派なカルボナーラだった。
控えめに言って最高のご馳走。チーズだとかクリーム系のパスタは俺の大好物ということもあって、そのソースは黄金に輝いて見える。
これにはスレッジも
「待ってましたぁ!」
と歓声を上げている。
ただ、俺にはカルボナーラより先に相手にするべき人が居る。
皆の所に食器を並べているジュリエッタ……順番に回って、最後に俺の所へ来た。
「はい。これ」
「ありがと……介抱してくれたこと聞いたよ。そっちに関しても、本当に恩に着るよ」
俺はしっかり頭を下げた。
「いや……えっと――まぁ、取り敢えず食べない? ジーナのカルボナーラな絶品なの」
「そうね。冷めない内に」
クロエにも諭されたから場の流れで納得してしまったが、ジュリエッタの反応はなんだか妙なものだった。
照れだろうか? ああいうもの? いや、もしかして……避けられている⁉ その場合理由はなんだ? 介抱してくれたのは何だったんだ?
俺は女心(?)に悩まされながらもカルボナーラを口に運んだ。
「うま!」
思わず短く叫んでしまい、皆が笑った。
何だこれは……最初にまず絶大な感動が押し寄せたではないか。クリームソースとチーズが醸し出す深い味わい。それがコシのある麺によく絡んで、口いっぱいに広がる……もう、ハンパ無い! 時々いらっしゃるベーコンの歯ごたえと染み出す旨味も申し分無い。これらを呑み込んだ後に残る胡椒の風味もまた一役買っている。
「フッ」
ジーナがドヤ顔をキメ込んでいる。
確かに、これはドヤってもいいほど素晴らしい出来だ。
「で、お前のこと、もうちょっと詳しく話せよ」
食事が済んだ辺りで、スレッジは言った。
「訳アリなんだろうが、安心しろ。クロエたちも情報をみだりに外へ洩らしゃしねぇ」
「そういうことなら……」
気軽で楽しい食卓から打って変わって、ここからの話はかなり重要そうだ。
ここできっちり筋を通さなければ、この先やっていけない。
「もうここにも情報は届いているかな? 防壁街の事件……俺はあそこでの生き残り。ローレンスと、弟子の
「ローレンス……確かあんたの旧友だったね、スレッジ?」
「あぁ、ヘーゼルは知ってるんだったな」
「……それで、俺とローレンスはつい昨日までバーグ砦の牢獄に居たんだ。結局、彼は俺を守って――」
早くも舌が重くなって来た。
正直、話すのがとても苦しい。だから、
「アイツは、逝ったんだな」
こうやって向こうから確かめてくれると助かる。
俺は首を縦に振った。
碧い光を浴びたまま大矢に貫かれて動かなくなった彼。あの光景を思い返すと、唇を咬まずには居られない。
誰かにこの心を
さっきまでの俺は、皆にとって人当たりの良い少年に見えていたのだろう。そこへ急に影が落ちたのだから、クロエたちも接し方に困っていた。
沈黙を破ったのはスレッジが持つグラスの中で氷が崩れる音だった。
「剣を託したってのはそういうことだったんだな」
彼のしわがれた声はいつの間にか物腰柔らかなものに変わっていた。
「……」
「大変だったんだな」
彼が労いの言葉を発するのも、頭をクシャクシャに撫でて来るのも想定外だった。
でも、それは存外心地が良くて、ちょっぴり泣きそうになった。
ただし、泣くのはもっと先。何もかもが済んだ最後に取っておこう。
「まだ、俺にはやることがあって」
「そうだな」
「……だけど、今のままじゃ何をするにも足らなくて」
「あぁ」
俺は一個ずつ吐き出すみたいに途切れ途切れに喋って、スレッジも俺が自分の思いを確かめるのを手伝ってくれていた。
「だから、強くなるためにどうか貴方の
人に頼み事をするとき、ましてこんな大事を決めるときにどんな顔をしていいか分からない。それでも、俺はできる限りこの視線で誠意を送った。
少し間を挟んで、スレッジがしわがれた声で静かに答えた。
「お前は強くなれる。望むなら、きっとどこまでもな……ここに置く件、俺は別に構わねぇよ。ここの女主人たちには改めてしっかり挨拶するんだぞ」
彼は顎の短い髭をジョリジョリ掻きながら、さもご機嫌そうにニヤニヤしていた。
俺には強さが必要だった。
教会連盟の機密事項として扱われているであろうシルビアに辿り着くには、やはり連盟で成り上がって行く他無い。スレッジに相談したところ、同じ答えが返って来た。彼女の居場所や状態といった必須情報について、下っ端では手掛かりすら掴めないのは言うまでもない。
けれど、俺は策士とか戦略家の柄じゃないから、必然的に己の力そのものを示す道を取ることになる。早い話、この俺・ルドウィーグは弔いになるという訳だ。
連盟は常に人手不足だそうなので、幸い、加入条件がかなり緩い。中級以上の既存連盟員から許可を貰った書類を提出するだけ。俺もスレッジに頼めばすぐにでも可能だ。(勿論、防壁街の生き残りといった身元は隠蔽する)
きっとこの先、憑き物の脅威だけでなく、人の陰謀に巻き込まれることもあるだろう。それに対抗する術が無ければ死あるのみ。逆に、力を上手く使って功績を挙げれば、資金や機会、人望も手に入ることだろう。
何より、シルビアからして弱い男が助けに来ても頼りにならない。彼女を安心させてやれるだけの男になる必要がある。
そういう訳で俺はスレッジに弟子入りを果たしたのである。
ここ数日に遭った数々の危機で、沢山の選択を迫られたせいだろうか。こんな重大な決断ですら、俺は殆ど迷わずできるようになってしまっていた。
しかし、先程から俺がやっていることと言えば剣の素振りだけである。
ここは店の隣にある空き地で、スレッジの所有地とのこと。塀に囲われているお陰で通行人に怪しまれずに修業ができるベストスポットなのに、そこで教えてくれる人は居ないのだ!
「……99……100回!」
今日6セット目の素振りを一旦終えると同時に、俺は肩を落とした。
「てっきりあの人が教えてくれるものだとばかり……」
スレッジは俺に何も教えようとしなかった。翌日も。その翌日も。次の日も。
明くる朝また部屋に押し入って頼んでみるも、
「前、俺に勝っといて何だよ。教えることなんざねぇ。だいたい、俺が人に教えられるほど器用な男に見えるか? 帰った、帰った。酔っ払いと稽古しても良いことねぇぞ」
などと言って追い返させるのである。
どーすんだ、これ……
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