第24話 当たり前


 バーグ砦が建っている山を下ってしばらく行くと、大きな街に辿り着いた。真夜中にも拘らず、沢山の灯りが燈っており、多くの人が行き交っている。

ドリフト本島のほぼ北端にあるバーグ砦の近くだという情報と、この独特の雰囲気で答えは自ずと絞られる――スラターン歓楽街だ。見たのも来たのも初めてだが、噂通りというか、想像通りというか……

ともかく、こういう所なら人混みに紛れやすい。本来追われる身の俺からすると都合が良い限りだ。



 そういう訳で緊張は多少ほぐれたが、俺は街の様子が目新しいものに思えて仕方なかった。

誰もが灯りの消えた家屋に籠り、夜を越す。生まれてこの方防壁街で暮らしていた俺からすれば、それが当たり前だったから、

あざといほど煌びやかな店も、歩道に溢れんばかりの人々が互いの合間を縫って思い思いの方向に行く様も、圧巻の光景だった。

確かに憑き物が出るような雰囲気ではないが、安全は保障されていない筈だ。これはどういうことかと思い、俺は条例の貼り紙を探して読んでみた。


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―スラターン歓楽街での条例―

・祟りの被害を十分に抑えられているこの街では、特別に日没後の外出も制限しない。ただし、街外れや森林付近は依然として危険であるため、推奨はしない。

・感染者についての報告や、憑き物についての情報提供に協力する事。


早急な病の根絶を実現する為、

以上の条例に対し、引き続き理解と協力を求める。

教会連盟 医療部門

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「えっ、条例二つしかないじゃん!」


随分優秀な弔いが居るのか知らないが、俺は偉く感心した。




 それからあてもなく路地裏を歩いていると、砦を抜け出して遊びに来ている兵士を見かけた。向こうはこちらに気付いていなかったし、かなり酔っていたので今は大丈夫だったが、看守から奪った制服のままでいるのはマズいと気付いた。

とりあえず、道端の共同井戸をお借りしまして体を洗い、近くに落ちていた洗濯物を拝借。ただし、ズボンはブカブカで、シャツに限っては女物のようである。まぁ何とかなるし、捨てられてあった麻袋を即席のマントとして羽織り、剣を隠すのもバッチリ。それから、脱いだ看守服を捨てようとした時、ポケットから紙片がはみ出ていることに気付く。


「なんだこれ?」


それを出して開いてみると、押収品の中から何とか持ち出した自作曲の楽譜だった。


「気付いて良かった。すっかり忘れてた」


が、それとはまた別に小さく折られたメモもある。そちらも開いて見てみると、見慣れない筆跡の走り書きがあった。


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少年へ 歓楽街に居る義手の弔いを訪ねるといいよ

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このメッセージはレオンからのものだと思う。情報自体はありがたいが、その「義手の弔い」が何をしてくれるのかまで書く余裕は無かったのだろう。実際に会ってみるしかなさそうだ。俺は二つの紙を丁寧にポケットにしまうと、早速その人物を探すことにした。



 ただし、失念していたのは楽譜だけではなかった。脱獄に成功した解放感が、極度の疲労と空腹を誤魔化していたのだ。

体がだるいのには慣れていたのだけれど、いつの間にか息が浅くなるくらいまで悪化していた。そこに強烈な飢えが追い打ちをかけ、身体が急速に限界へと向かう。

防壁街の事件の以降、水くらいしか喉を通らなかったため、本当に我慢が効かない。

俺は壁を背に、崩れ落ちるようにへたり込んだ。表情筋すら弱ったその顔を横に向けると、ゴミ置き場があった。明らかに自治体が管理しているものではない。その辺の汚物がただかき集められただけのもの。

だけど俺は唾を飲み込んでそれに近寄いた。ゴミ箱の縁に手を掛けて、力を振り絞り、自分の体と一緒に引き倒した。ぶちまけられた屑を漁り、口に運ぼうとする。その瞬間、何とか理性が甦った。


「こんなの、食える訳が無い……」


俺はそう呟いて屑から手を離した。

そう言えば、俺はつい最近もこの言葉を口にした……あぁ、地下牢に居たときだ。獄中食は決してご馳走などではなかったが、人間に相応しい最低限度は満たしていた。なのに、その時の俺は手も付けなかった。一方、今自分が貪ろうとしたのは何だろうか。その自問自答の結果を意識した途端、酷い腐臭に耐えられなくなった。

これまで防壁街の庶民として生きて来て、ひもじい思いなんてしたこと無かった。毎日のように母さんが温かいご馳走を用意してくれた。

食べ物だけじゃない。服だって十分にあったし、雨風に晒されて寒い思いをしたことも無い。当然、お金にだって。なんなら憑き物の出る夜だって、不安はゼロじゃないが、眠りに落ちればどうせまた平和な翌朝が来ていた。命の危険なんて無縁な生活だった。

でも、全ての当たり前は当たり前じゃなくなった。失って初めて、自分の幸福と愚かさに気付いたんだ。




「痛ッッッてぇ!」


俺は最悪の激痛で目覚めを迎えた。あの後、ゴミ置き場で寝落ちした自覚はあるが、今度は何だ⁉

朝日を眩しく思う暇も無く跳ね起きると、背負っていた剣が無くなっている事に気付く。そして、路地の先には棒状の何か一本を持って逃げる者が数名。

背負っていた剣を勢いよく引っこ抜かれて盗まれ、その拍子に背中が斬れたのだと理解した。俺はつい大きな舌打ちをし、憎悪を剝き出しにした。


「――ざけんな、あのチンピラども……」


背中の傷は何とやら……鞘もクソも無い剣を持っているとこんな事故が起きるとは想定外だった。

俺は絶妙な温度で皮膚の上を這う血に心地悪さを覚えつつも、全力で盗人を追った。ローレンスから託された、色んな意味で重いあの大剣を、こんな下らないことで失うなどあってはならない。俺の体は依然酷い状態だったが、その執念でしつこく盗人を追い回し、遂に剣を持っていた者に追い着く。


「ハァ、ハァ……ちょっと、待て! 悪かった、悪かったから――」


俺は奴の戯言には耳を貸さず、その足にダイブして転ばせてやった。俺たちは縺れ合って、近くの空樽へ盛大に突っ込んでしまった。

先に起き上がった盗人は剣を諦めて逃げ去って行き、一件落着。

ただ、口の中が苦い……樽の元の中身はビールだったのだろう。底に若干残っていたのが口に入った。


「やれやれ、またビチャビチャだ」


ワインなら好きだったんだけど、まぁ、こんな微量でも腹の足しにはなった気がする。

取り敢えず、俺は大剣を拾い上げた。随分きつく地面にぶつかったように思えたが、刃こぼれも全然無い。確かに古いが、本当に頑丈な剣だ。

俺が感心しながらも安堵した時だった。すぐそこの建物からやや色黒の若い女性が顔を覗かせた。


「何の音よ……あぁ!! あんた、よくもうちの店のもんをぶっ壊してくれたわね!」


女性は壊れた酒樽を見て怒鳴る。


「え……っと、これは、違わないけど、違うんです!」


俺が上手い弁明を思い付く前に、また不利な情報を掴まれる。


「……って剣? 何のつもり⁉ ちょっと皆来て、くせ者よ!」


「ちょっとストップ、ストップ! 俺はそんな――」


俺が弁解をしようと歩み寄ったのが良くなかったのだろう。女性は意外に果敢で、素早く俺の腕を掴み、地面に組み伏せた。


「――ウ゛……もう勘弁してくれよ……」


満身創痍の俺は抵抗もできなかった。


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