第1話 血の巡り 前編


 澄みきった紺色の空に浮かぶ満月の下。時計台の鐘の音が重く響き渡り、日付は12月24日に移り変わることを告げた。

僕が街並みを見回すと、どこもかしこも赤・緑・白――聖誕祭の配色で飾り付けられているのが暗いなりに分かった。昨晩来たときはまだ無かったので、きっと日中の間に準備がなされたのだろう。子供たちがはしゃぐ中、人々は笑顔でこれを飾っていたに違いない。


(……こんな年齢としで穢れ仕事をしてる僕と比べて、皆は幸せそうだ)


僕は人々を妬む訳でもなく、ただ微笑ましいと思えた。

すると、聞き慣れたぶっきらぼうな声が僕を呑気な気分から呼び戻す。


「アシュレイ」

「はい!」


唐突だったので、若干上擦ったような声で返事をしてしまった。と言うか、師匠が会話の先手を取るのは珍しい。


「今晩は一応聖誕祭だ、休みにということにしておくぞ」

「おお、ホントですか⁉ よっしゃ……」


夜を仕事の時間とする僕らにとって、「今晩」だとか「翌晩」だとかは煩わしい言葉だ。師匠の言う「今晩」は、今日の夜から明日の早朝までのことを指しているのだろう。

それより、貴重な休暇だ!

僕が思わず小躍りをしていると、師匠はふと違う方へ首を向けた。


「おっと、来たか……」


師匠はその顔を影の濃いベールを覆っており、常に素顔が見えない。それでも、もう3年の付き合いになる僕には、彼がどこに意識を向けているのか分かった。

そうして彼がニ種の大剣を抜き、僕も絡繰りの弓を構えた。




 月が出る前に人々はそそくさと店終いし、家に籠る。真夜中の街はいつも静まり返っていた。


『月光を浴びると人は狂い、獣に憑かれる』


民話でしか聞かない、こんな狼人間の伝承が事実になってしまった地がある――それがここ、ドリフト諸島。かつては近海の荒れ様、土の痩せ様から、広い割に無益な島だと思われていた。その地に古代遺跡と超常的な資源が眠っている事など、当時は誰も知る由は無かったのだ。

しかし、近世になってから見つかったそれらは瞬く間に人を惹き付け、国を動かし、金となり……西洋における発展の要となった。

 島が病に――「祟り」に堕ちたのは、極まった栄華が持て囃される真っ只中だった。感染者は「憑き物」と呼ばれる獣の姿となり、人間の姿を失って夜な夜な他の人間を喰い殺す。その脅威から、諸外国もすぐさま島を閉鎖した。

まるでその日から時間が止まったように、何もかもが停滞したまま数十年。今日こんにちでも祟りの根絶は果たされておらず、ここ・防壁街もずっと先述のような有様なのだ。

ただ、それに抗う者がいることも忘れないで欲しい。ローレンス師匠や僕・アシュレイのような、憑き物を狩る戦士たち――「弔い」である。




「二時の方向、あの建物の裏かな。だいぶ気配が分かり易い」

「撃てるか?」

「上げて貰えれば」


僕が頼むと、師匠は片方の大剣を背中に戻してから道端にあった頑丈そうな樽を適当な位置に転がした。その上に長い矛を置いたときにはもう、僕がシーソー飛びさせられるんだと分かった。

ここのところ、無茶な戦法を結構やらされている気がする……尤も、今更尻込みはしないが。


「じゃあ行きますよ」


僕は合図をすると、少し離れた所から助走を付けて矛の端に足を乗せる。その一歩を強く踏み切ると同時に、師匠が矛を跳ね上げた。

彼の怪力が梃子の原理で上乗せされたジャンプ。僕は瞬く間に宙へ放り出され、周りの家々よりも高くに来た。


(チャンスは上昇が止んで下降が始まる寸前の、宙で止まった一瞬……)


暗視スコープで覗くモノクロ景色。その中に蠢く何かの姿を捉えると、僕は素早く二本の矢を放った。

射出口に火打石をセットしておいたので、やじりに仕込んだ燃料に赤い火が着く。それらが彗星のごとき軌跡を描いて着弾したのを見届けながら、僕は付近の屋根に着地した。着弾した後の二つの火が消えるまでの時間はそう長くないが、それぞれが別の方向に動き始めるのが見えた。

つまり――


「マジか、多分二体に当たった……閃光弾にしとけば確実に分かったんだけど」

「十分だ。お前は場所を変えて、また狙撃の準備をしておけ」


師匠は着弾地点へ急行した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 目星を付けた辺りに来ると、物陰へ続く血痕が残っていた。それを指でこすり取ると、赤い線が伸びる――まだ固まっていない、アシュレイが狙撃した憑き物の血で間違いないだろう。

俺は両手に握った剣と矛、それぞれを構えながら慎重に血痕を辿った。

次第に荒い息の混じった唸り声が聞こえて来る。街灯の明かりも届かない路地、その角を右に曲がった方へ血痕は続いている。気配としては本当に目と鼻の先といった感じだ。

直前で一度立ち止まって呼吸を整えると、俺は素早く剣を向けながら角を曲がった。しかし、目標の憑き物は居ない。


「……上か」


勘付いた頃には、跳び下りて来た憑き物が既に迫っていた。






・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――


 弔い

教会連盟から公に雇われた、祟りの脅威を狩る傭兵の呼び名

人々が寝静まり、夜空に月が昇る

それこそが彼らにとって武器を取る合図だ

今や穢れ役でしかないものの、祖たる者のかつての願いは費える事なく

確かにこの名で引き継がれている


 教会連盟

見捨てられたドリフト諸島、その中で唯一の自治機関

かつて聖職者たちは、病で荒れる世の人々を神の名の下に宥めた

それが臨時政府へと発展し、今も政治・医療・軍事を以って祟りの根絶を志している

祟る神あれば救う神あり

いつか来る希望の朝を待ち侘びて、人々は祈り続けるだろう


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