第30話 当たり前じゃありませんか
「それは……」
カインの声は弱くなった。
「僕は、ただ……」
「――けっこう。私も、大人気なかった」
店主は声を落とすと、まるでカインが子供であるかのように言った。
「『観察』の片棒を担がされたのであれば、それは『神父様』なら本当にただの『善意』で無関係のリンツェロイドを世話することもあるだろうと考えて、前後を確認しなかった私の落ち度です」
言葉にはいくらかのとげがあった――落ち度であるはずがない、ということも含めて――が、口調は丁寧で、カインも何か言うことはできなかった。
「何らかの事情で判別され難くなった個体識別番号を明確に保つのは、クリエイターの義務だ。不明である場合は協会に届け、判明するまで仮番号を使用する。あなたもだが、私もそれを怠った」
もっとも、と店主は首を振った。
「あなたと私の目的は、異なった訳ですけれどね」
「目的ですって。マスター・リンツ、あなたの目的は何だったと言うんです」
「そんなことは簡単じゃありませんか。私はアリスを〈アリス〉のまま、彼女の好きなように、オセロ街で歌わせておいてやりたかった。彼らの歌姫としてね」
「あれは〈アリス〉じゃない」
カインは繰り返した。
「いまはミズ・バックスのための〈フランソワ〉です」
「……けっこう」
店主はまた言った。
「あなたは所有者ですし、貸し出している『ユーザー』寄りの発言をする。当然のことでしょうね。そして私は、オセロ街の彼ら寄りだ。それだけのこと」
彼は肩をすくめた。
「ですが、正義はあなたにありそうですね。〈フランソワ〉の所有者であり、管理をしているクリエイターでもある」
「そういうことになるでしょう」
カインは答えた。
「決定権は僕にこそあります、マスター・リンツ。あなたには、無い」
挑戦的に青年は彼を見た。
「ほんの、ひとかけらたりとも」
両クリエイターの視線は絡み合った。目を逸らしたのは店主だった。
「ミスタ・オレンジ。話はお判りになったかと思います。残念ですが、アリスはもう、ジャンク街には帰らない」
「そういうことに、なりそうだな」
オレンジは息を吐き、じっとカインを見た。
「ドクター・カイン。あんたが正当な所有者で、アリスにどうとでもする権利があったとしても、あんたが俺たちからアリスを奪ったことに変わりはない」
「あなた方は、もう充分、〈アリス〉に癒された」
カインは再び言った。
「本来、ジャンク街には存在しなかったはずの彼女です。こう言っては何ですが、もしミズ・バックスが目を覚まさなければ、僕もそのまま彼女を〈アリス〉としてメンテを続けたでしょう。でもそうはならなかった」
彼は繰り返した。
「アリスはアリスではなくフランソワであり、今度はミズ・バックスが癒される番です」
「――そこを繰り返されちゃ、あまり強いことは言えないな」
「言っていいですよ」
店主は肩をすくめた。
「ミスタ・カイン。あなたは私を騙した。彼らを騙した。いえ、言い訳はけっこう」
彼は青年の反論を制した。
「糾弾するつもりはありません。実際、〈フランソワ〉の『ユーザー』が望み、マスターであるあなたが決めた以上、アリスはフランソワに戻るしかない。オセロ街の彼らに黙ってそうしたことも、心理は理解できます。説明したところで彼ら全員が納得してアリスを見送ったとも思えない。万一にも行き先を特定されても厄介でしょう」
こんなふうに、と店主は現状を指した。
「ご理解いただけて嬉しいです」
カインはほっとした顔をした。
「ええ、僕は……」
「ただ、私は好かないね」
さらりと彼は続けた。
「私は、あなたが工房を留守にしている間、彼女に責任を持った」
「それについては、申し訳ないとしか」
カインはかすかに眉をひそめ、首を振った。
「すぐにご連絡をするつもりで……」
「連絡? それは、どのような?『アリスはもういない、メンテナンスどころかバックアップデータももう必要ないので破棄を』とでも?」
「それは……とにかく、落ち着いたら、ご挨拶と約束のお礼をと……」
「礼儀や金銭の問題ではないのですよ、ミスタ」
淡々とクリエイターは言った。
「もう一度言いましょうか? あなたはアリスを殺した。そこには、正当な理由があります。ですが、私は、好かない」
「先生」
オレンジは店主を見た。
「ミスタ・オレンジ。勝手なお願いですが、もう〈フランソワ〉に会おうとしたり、彼女をオセロ街に連れ出す画策などは一切しないでいただけませんか」
「あ、ああ……仕方ない、な」
何を考えていたにせよ、渋々とオレンジは応じた。
「デューイたちにどう言おうかと思う。アリスを連れたのはカイン先生で、なおかつ、アリスはやっぱりもういない、なんて」
「言わないでください」
慌ててカインは声を出した。
「せっかく、巧くいっていたのに。台無しになってしまう」
「巧くだと!」
そこでオレンジはかっとなってカインに掴みかかった。
「どこが巧かったと言うんだ、ほんの少しでも巧くやれたと思う点があるなら、言ってみやがれ!」
「な、何です、乱暴は……!」
「落ち着いて、ミスタ・オレンジ。本当に、警備ロボットがきますよ」
店主がたしなめれば、男は仕方なさそうにカインを解放した。
「見解の相違。立場の違い。話し合いも殴り合いも無意味です。ミスタ・デューイにどう伝えるか、それはあなたにお任せしますが――」
「伝えられては困ります」
懲りずにカインは繰り返した。
「ミスタ・デューイは悪い方ではないが、〈アリス〉の熱烈な支持者だった。冷静に見えたオレンジ氏ですらこうして激高なさるのですから、彼だったらどうなるか」
「だから黙って、連れ出したってのか?――ああ、もういっそ、本当に彼女が女神で天に帰ったんだったら、どんなによかったか」
「ですから、僕はそう見えるように」
「演出だろう! ドクター・リンツの言う通りだ。事実じゃない!」
「そんなことは当たり前じゃありませんか」
困ったようにカインは言った。
「彼女はただのリンツェロイドであって、女神ではないんですから」
もっともなことではあった。オレンジは怒りに顔を赤くしたが、言い返せなかった。
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