第68話「それはご愁傷様」

 いつも通りの日常を繰り返していると、あっという間に暑い季節がやってきた。もう夏休みだ。ボクの心は相変わらず深く沈んで、不安定なまま。何かのきっかけがあれば、高いところから飛び降りてしまいそうだ。こうして、少し投げ遣りになっているけど、大丈夫。なんとか生きてる。

「ボク、がんばってるよ」

 独り言が少し増えたのはちょっと気をつけた方がいいかもしれない。


 夏休みも、ほぼ毎日バンドの練習だ。とはいえ、一日中やってるわけじゃないから、学校がない分、暇な時間が増えてしまう。それは、今のボクにはあまり好ましいことではないのは分かってる。だからってミサトやメイをあまり引っ張り回すのも悪い。特にメイは甘い夏休みを過ごしているだろうから。エミはバンドの練習で忙しそうだし、しょっちゅうアノ先輩と遊んでるみたいだから邪魔はできない。

 だから、ボクは一人で出かけることが多くなった。目的もなく、ただ歩くだけだったり、ヒナと一緒に行ったお店に一人で入ってみたりする。それだけでも、部屋に引き籠もっているよりも、ずっと気が楽になる。

 その日はよく晴れた平日だった。お昼前にお腹が減ったな、なんて思っていると、ヒナと二人でハンバーグを食べ損ねたカフェが目についた。店の前の黒板で日替わりランチのメニューを確認する。ハンバーグだった。

「あの日のリベンジだ」

 まだランチタイムには少し早いので店の中は空いていた。あの日とまったく同じ景色に見える。隣にいたヒナはいないけど。

 テーブル席に案内されると、すぐに日替わりランチをオーダーした。カフェなのに店内はあまりコーヒーの香りはしない。代わりにデミグラスソースの匂いが広がっていて、空腹を刺激してくる。

 すぐに、ハンバーグとライス、サラダが盛り付けられてプレートが運ばれてきた。ちょうど、そのタイミングだ。

「私も日替わりランチね」

 ちょっと懐かしい声が聞こえた。残念ながら、ヒナじゃない。ユミ姉ちゃんだ。

「なんで?」

「夏休みだし、こっちに帰省してきただけ。今日はあのハンバーグ女一緒じゃないんだ?」

 彼女は当たり前のようにボクの向かいの席に座る。

「一人だよ」

「フラれちゃった?」

「死んだの」

 彼女は少し複雑な顔をしたけど、すぐに笑顔を浮かべた。

「それはご愁傷様だね。でも、私から凜を奪った罰でしょ」

 ボクはとっくに彼女の中に潜む闇にも、恐ろしさにも気付いていたから、何とも思わなかった。腹も立たない。

「ボクは誰のものでもないし」

「今の私にはどうでもいい話だけどね」

「だったら余計なこと言わないで」

「久々の再会なのに随分と冷たいね」

 優しくしてあげる理由なんてない。今さら、恨みなんて気持ちはどこにもない。ボクの中には彼女に向ける感情がなかった。

 彼女の前にも同じプレートが届くと、笑顔を顔に貼り付けたまま食べはじめる。

 ボクはちょっと食欲を失いかけていたけど、仕方なく自分の前に置かれたハンバーグに手をつけた。デミグラスソースはちょっと酸味が強いタイプで、ボクの好みじゃない。サラダにかけられたドレッシングは柑橘の匂いがきつくて、変に甘い。ライスもちょっと乾燥気味でパサついていた。

 ヒナ、あの日このお店でランチできなくて正解だったかもよ。

「私、あの日、ハンバーグランチを六人前食べたんだよ。逃げ回るガキのせいでさ」

「勝手に追ってきただけでしょ」

「なんで逃げたの?」

 ボクは答えずにあまり美味しくないハンバーグを食べ進める。気分も、味も最低なランチだ。やっぱり、この店には入るべきじゃなかった。

「まあ、いいけどさ。明日には向こうに帰るし。バイト始めたから当分帰省することはないかもね。もう、会うことはないよ。多分」

 いつの間にか、彼女のプレートは空になっていて、ボクの伝票まで掴んで立ち上がった。

「あの女の香典代わりに払っといてあげる」

 ボクは彼女の手から伝票を奪い返した。

「いらないよ」

「本当、生意気になったね」

 言い終わる前に彼女は背を向けて、歩きだした。

 最低な気分だけど、悲しみに支配されたままでいるよりは少しはマシかもしれない。沈みきってしまった心は簡単に浮上できないように思えた。でも、ちょっとした刺激があったら、浮力を取り戻すらしい。あいつに感謝はしたくないけど、この最低なランチも、ボクにとって意味があるものだったんだ。

 少しヤケクソ気味に酸っぱいハンバーグと甘過ぎるサラダを頬張って、水で流し込んだ。口直しにオレンジジュースが飲みたかったけど、この店で出てくるものだし、味には期待できない。外の自販機で買った方がきっとマシだ。

 投げ遣りになってる場合じゃない。ボクは生きてるからお腹が減るんだし、死にたくないからご飯を食べる。マズくても、飲み込まなきゃいけない。

 落ち込んでばかりではいられないんだ。ボクは生きてるんだから、ヒナが生きられなかった明日にいるんだから。

 ようやく、ボクは前を向けそうな気がした。そうだ。前を向かないとヒナが待ってる来世にも辿り着けない。ずっと遠い未来のことなんだけど、それを信じていればきっと叶う。

 だって、ヒナはボクの運命の人なんだから。何度だって巡り会う。

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