第38話「私もマリンって呼んでいい?」

 中学生のサッカーの試合なんてそんな大したものじゃないと思ってたんだけど、結構ちゃんとした陸上競技場だったので驚いた。なんか、プロみたいだ。もっとも、プロのサッカーの試合だってまともに見たことがないんだけど。

 梅雨も明けて、天気のいい土曜日。日差しが強いけど、観客席には屋根があって助かった。

「暑いねえ」

 ミサトはずっと顔をしかめながら文句を言っている。

「だから私は来たくなかったんだよ」

 行くと言い出したのはミサトだ。ボクは武田のサッカーの試合なんてどうだっていい。どうせ出かけるならショッピングとかの方がよかった。

「せっかく男の子が誘ってくれたんだから、断るなんてかわいそうじゃん」

「多分、他の子も誘ってると思うけど」

 同じクラスの女の子を何人か見かけていた。

「でも、本命はマリンなんだから」

「勝手に決めないでよ」

 サッカーのルールもよく分からないし、すぐに退屈になっておしゃべりばかりしていた。前の方の席にはマジメに応援している人が少しいたけど、そこに加わろうとはとても思えない。

「ほら、武田出てるんだし応援してあげなよ。さっきからキョロキョロしてマリン探してんじゃない」

「不真面目だな。マジメにサッカーしろよ」

「マリンこそ、マジメに応援しなよ」

 ミサトが私を小突くふりをする。ボクは暑くて反応もしたくなかった。

「はいはい。私、ジュース買ってくるよ。ミサトは何がいい?」

「シュワシュワしたヤツなら何でもいいよ」

「じゃ、コーラね」

「やだ。スプライトがいい!」

「何でもいいって言ったくせに」

 自動販売機は競技場を出てすぐのところにある。立派な会場だけど、所詮は中学生の試合だし、そんなに人はいない。外に出たらシーンとしていた。天気が良くてすごく明るいけど人気があまりないからちょっと不気味だ。さっさとジュースを買って戻ろう思ってるといきなり声をかけられた。

「君、一人?だったら遊びにいかない?」

 振り向くと大学生くらいの男が二人。

「連れがいますし、サッカーの試合を見てる途中なので……」

 ただのナンパだ。ボクは早足で競技場に戻ろうとしたら、腕を捕まれた。そのまま二人に囲まれた。

「いいじゃん。遊ぼうよ。サッカーよりもっと楽しいこと教えてやるよ」

 助けを求めて視線を泳がせたけど、周りには誰もいない。昼間なのに、まだ明るいのに。

「とりあえず、車に乗ってよ」

 二人のすぐ後ろには黒い軽自動車が駐まっていた。車に連れ込まれたらさすがに逃げられない。いや、もう逃げられない。腕をしっかりと捕まれていてボクの力ではとても振りほどけそうにはなかった。

 身体がどんどん車の方に引き寄せられていく。男の汗の臭いで吐きそうだ。声を出したいのに、喉が潰されたみたいに苦しくて息も吐けなかった。絶対絶命だ。サッカーなんか見に来るんじゃなかった。後悔しても遅いけど。

 ボクはこの男達に犯されるんだ。ユミ姉ちゃんの期待通りの展開なのかもしれない。でも、嫌だ。やっぱり怖い。

「警備員さんこっちです!」

 競技場から大きな声が聞こえた。途端に男達はボクの腕を放して走り去った。助かった。そして、声の主の顔を見て驚いた。あのイジメ騒動の首謀者、吉橋だった。

「大丈夫?」

「うん。警備員さん呼んでくれたの?」

「ああ、あれ嘘だよ。間に合わないって思ったから嘘ついたの」

「そっか……ありがとう」

「この前はごめん。なんか、私、暴走しちゃってた」

 そう言えば、あの騒動の後、一度も言葉を交わしたことがなかった。いきなり助けてくれて、謝られるなんて思わなかったので、ボクは混乱してしまった。

「いや、もういいんだけど。それより、本当にありがとう」

「こんなことで許してもらおうなんて、都合がいいと思われるかもしれないけど、私はただ謝ることしかできないんだ。本当にごめんなさい」

 吉橋は泣きそうな顔をしていた。こうして見てみるとそこまでブサイクじゃなかった。憎いって思ったら、醜く見えるものなのかもしれない。好きな人がかっこよく、かわいく見えるのと同じ原理なのかもしれない。

「だから、もういいって。吉橋さんは武田の応援に来たんでしょ?中に行こうよ」

「あ、でも、私は武田のこと諦めてないからね。でも、正々堂々と競うことにした」

 さっきまで泣きそうな顔をしてたのに、もうキリっとしてた。吉橋は案外面白い女の子なのかもしれない。

「競うって誰と?」

「あんたに決まってるじゃん」

「私は、武田には興味ないんだけど」

「応援に来てるくせに?」

「クラスメイトの付き合いってやつ。退屈だから外に出てきちゃったくらいだよ」

 吉橋は不服そうな顔をしたけど、すぐに笑った。

「あんたっていけ好かないスカした奴だと思ってたけど、なんか印象変わっちゃったな」

「あんたって呼ばないでよ。なんか威圧的だし」

「じゃ、私もマリンって呼んでいい?」

「いいよ。私は何て呼べばいい?」

「みんなにはメイって呼ばれてる」

 なぜかちょっと照れたような顔をしていて、ボクは思わず笑いそうになってしまった。

「じゃ、メイも中に入ろう。あ!ミサトに飲み物頼まれてたんだった」

 自販機でスプライトとオレンジジュースを買うと、メイは缶コーヒーを買った。そして、そのまま二人で並んで競技場の中に戻る。まさか、こんな感じになるとは思っていなかった。

 メイと一緒に席に戻ると、ミサトは驚いた顔だ。でも、すぐに二人も和解していた。ちょっと怖い想いをしてしまったけど、来て正解だったのかもしれない。

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