第6話「息子が娘に」
もう女の子になるしかない。はっきりすると、これからのことを真剣に考えなければならないと思うようになった。案外冷静だった。というより、何か前向きに考えていかないと後悔ばかりをしてしまいそうだった。絶望してしまいそうだった。最初からボクには選択肢は存在しなかったのだ。
でも、ユミ姉ちゃんを恨むようなことはなかった。彼女が好きなのは事実だし、彼女なりに苦しんだ結果なのかもしれない。男性を愛せないけど、男の子のボクを好きになってくれた。そして、一歩間違えたら逮捕されるようなことをして、いや、間違えなくてもボクや家族が訴えればタダでは済まないようなことまでして、ボクを女の子にしようとした。今考えて見ると完全に歪んでる。でも、その時のボクはユミ姉ちゃんを愛おしく思った。いや、思おうとしたのかもしれない。
こうなってしまったら、ボクが頼れるのは完全にユミ姉ちゃんしかいない。家族にだって相談できないし、ある程度の年齢、ボクが18歳になって成人するまでは隠し続ける必要がある。まだ小学生のボクが性同一性障害だと訴えたとしても、治療なんて受けられない。勝手にホルモン投与をしていることなんて知られたら病院送りだ。
悩んでいると事態は思わぬ方向へと進んでいった。きっかけは、父親の転勤だ。急遽単身赴任で5年ほど海外に行くことになったのだ。正直、父親の存在はボクの大きな悩みになっていた。ガンコな正確で、口癖のようにボクに「男らしくしろ」「長男なんだから」「跡取りなんだから」「女みたいなことをするな」と言ってきた。それだけに、ボクが女の子になろうとしてるなんてことを知られたらどうなるか。想像したくもなかった。
そんな父親が5年間もいない。その間は父親にバレる心配はないのだ。
それで気持ちが緩んでしまったのかもしれない。ボクは絶対にやってはいけない失敗をした。ブラも一緒の洗濯物を取り込み忘れてしまったのだ。もともと、仕事が忙しく帰りの遅い両親の代わりにボクが洗濯していた。お陰で、ブラの洗濯に困ることはなかった。母が帰る前に取り込んで部屋に隠してしまえば何の問題もない……はずだった。その日、いろんなことがあった疲れからか、夕方からリビングでうたた寝をしてしまったのだ。洗濯物を取り込まないままだった。
「凜、なんでこんなものがあるの?」
帰宅した母が手にしていたのは、ピンクのスポーツブラだった。寝起きのボクは思わず自分の胸に手を当てて隠すような仕草をしてしまった。
「なんで胸を隠すの?」
気が遠くなった。こんなことでバレてしまうなんて……。それからの展開は早く、すぐ着ていたオーバーサイズのロンTを脱がされ、ブラに包まれた胸が露わになる。その短い時間で、ボクは必死に言い訳を探した。
「どういうこと?女の子みたいじゃないの」
ボクは必死に胸を隠す。
「ごめんなさい」
そんな言葉で時間を稼ぎながら言い訳を見つけようとしたけど、どうしようもなかった。ただ、ユミ姉ちゃんのことだけは隠そう、そう考えていると思いがけない言葉をかけられた。
「いえ、私こそごめんね。いざ直視しちゃうとね……息子が娘になっちゃったなんてね」
母が何を言おうとしているのかわからなかった。ボクも、返す言葉が見つからなかった。
「本当はね、知ってたのよ。お隣のユミちゃんから全部聞いてたから」
ユミ姉ちゃんが?とにかく混乱した。
「女の子になりたかったのよね?勝手に女性ホルモンなんて使ってるって聞いた時は唖然としちゃったわ」
ユミ姉ちゃんが少し怖くなった。
「ユミちゃんが気付いた時はもう引き返せない状態だったって……病院にまで連れて行ってもらって確認してくれるなんて。本当にいい子だわ」
バレるリスクに備えて、ここまで準備していたんだ。冷静に考えてみるとあのユミ姉ちゃんが手を打っていないわけがなかった。
「なんで何も言わなかったの?」
ようやくボクは声を出すことができた。
「こうなってしまったからには、自分から言い出してくれるのを待ってたの。ユミちゃんからもそうお願いされてね」
母は少し涙声だった。ボクには選択肢はとっくになかったんだけど強い罪悪感を覚えた。理由は何であれ、親を泣かせてしまったのだ。
「まだお父さんにはさすがに言えないから、今いなくてよかったわ」
「お母さんは認めてくれるの?」
ひとまず、母が味方になってくれるなら大丈夫だ。
「完全に認めるとは言えないわ」
「やっぱり、そうだよね」
「女の子になることは、仕方ないわ。あなたがそこまで思い詰めて行動したのだもの。でも、方法は考えるべきだわ」
ユミ姉ちゃんがどのように説明しているのかわからなかったので、一旦黙る。
「話を聞いて私もいろいろ調べたんだけど、個人輸入なんかで女性ホルモンを手に入れるのは絶対にダメ。危ないからよ。女の子でもいいから健康でいて」
そういうことか。ボクだって危険性は分かっているけど、小学生が病院でホルモン治療を受けるなんて無理な話だ。風向きが怪しい。今辞めたって意味ないのに。
「ユミちゃんがあなたの年齢でも治療受けられる病院を見つけてくれたのよね。ちゃんと病院に行くのよ」
聞いてない。そんな話は聞いてなかったけど、頷くしかなかった。すると母はまだ目に涙を浮かべながらも微笑んでくれた。
「もともと、あなたは女の子みたいだったし、よく考えたら何も変わらないわね。名前もそのままで違和感ないし」
母が味方でいてくれることの安心感で私にも涙が溢れてきた。
「ありがとう。お母さん」
こうして、ボクは親公認で女の子になって行くことになった。身体だけじゃない。完全に外堀は埋められていた。全部、ユミ姉ちゃんの手によって。最初から私は、そのレールの上を走っていただけだ。寄り道なんて許されない。もう、その手に全部委ねるしかなかった。
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