第22話 幸福の裏側 2

 不意に視界が光で満ちた。


 木漏れ日に顔をくすぐられて目を覚ますと、穏やかな感触に包まれた自分がいた。

 木漏れ日? なんだろう。この光は一体なんだろう。まあどうでもいいか。


 歩いているのかな? 走っているのかな? よくわからない。でも、なんとなくいい気持ちだ。

 そのまま漂っていた僕は、はるか遠くの方から人影が近づいてくるのを見た。

 次の瞬間。

 母さんが立っていた。暖かい手を僕の方へ差し伸べている。

 僕は、その手をとった。

 父さんが立っていた。男らしい、でこぼこした立派な手だ。

 僕は、その手をとった。

 無性に甘えたかった。

 夢でもいい。折角会えたんだもの。

 優しい母だった。

 厳しい父だった。

 二人とも、僕を愛してくれた。それくらい、子供は十分わかっている。

 夢でもいい。折角会えたんだもの。

 どこへ行こうか。僕はね、まだ魔法が使えないんだ。でも、おじいちゃんの言うこと、ちゃんと聞いてるよ。諦めないってこと。肝心なのは、学ぶ姿勢だって。

 ちゃんといい子にしているよ。僕はね、喧嘩なんか一度もしたことない。宿題だって、サボったことは一度もないよ。

 夢でもいい。折角会えたんだもの。

 どうしたんだろう。涙がでてきちゃったよ。たはっ、おかしいよね。なんでだろう。

 ねえ、なんで僕は涙を流しているの? 

 なんで僕は魔法が使えないの?


 なんでお母さんとお父さんは、顔が無いの……?



「……っ!」


 飛び起きたデュオがその目にしたのは、穏やかな木漏れ日などではなく、霧にでも包まれたかのように視界の悪い、どこかの個室の内装だった。

 霞の原因は自分の目に溜まった涙であることに気づいて、軽くため息をつきながらもそれをぬぐう。


 見慣れた家具。本棚。

 自分の部屋だった。ベッドに寝っ転がって考え事をしていたら、寝入ってしまったらしい。

「また、あの夢か……」

 いまではもう慣例となってしまったお決まりの決まり文句をつぶやき、一呼吸置く。


 また、あの夢か。


 両親が死んでしまったことにはもう慣れたと思っていたのだが、どうやらそれは間違いであるらしい。

 気持ちも落ち着いたのか、デュオはあたりを見回すと、外に出掛ける支度をし始めた。今夜はスリースターズ特別夜間必修稽古(マリーが名づけた)初日だった。


 デュオはマリーに剣の使い方を教わる。自分が剣を振るうとはこれまで考えたこともなかったが、何をするにしろ新しいことに触れるのはデュオにとって最高の喜びだった。先ほどの陰鬱な気持ちも、ありがたいことにもうどこかへ吹き飛んでしまっている。

「じゃ、いこうか」

 わけもなく、そう独りごちると、彼は下へ続く階段へと歩みを進めた。




☆   ☆   ☆





 広い、しかしどこか薄暗い部屋の中で、魔術師のような風貌の男達が、机に並んでいた。

 その誰もが赤黒いローブを身につけている。どうやらこのスタイルが、この団体の一員であることを象徴するものらしい。

「いよいよのようだな」

 その中でも、やたら恰幅のよい体つきをした老人が、周りを囲むようにして座っている団員達に向かって言った。

 おそらくこの団体の中では、長老のような位置づけなのだろう。

 同じテーブルについていた者たちも、真剣そのものの表情で老人を見つめた。

「第一の結界と第二の結界が破られ、『魔海』の瘴気がディースの外に出て行った」

 はい、と真向かいに座っていた中年の男が返事をした。

 長く伸ばした銀髪を後ろに結わえたその男は、やや疲れた顔を見せていたが、それが彼の地の表情なのだろう。

「教祖様の言うとおり、『魔海』は一部の地域で異常事態を引き起こしています。ですが……結界に対する反呪文を唱えた教団の者達のうち、数名が魔法庁に捕らわれました」

「まあよい。どうせ我がルーイン教団の本部には、どれほど時間をかけようとそう簡単にたどりつきはしまい。そうであろう? ダナン・オーウェン」

 老人は揚々としてそういうと、低く笑った。

 ダナンと呼ばれた銀髪の男――おそらく、この宗教団体の中では、幹部クラスなのであろう――が頷く。


「これからの指示を、ルーイン様」

 ダナンが言った。ひどく落ち着いた声だ。

 教祖が答える。

「ふむ。『魔海』がもつ瘴気の流出と、その成長を押さえる結界に穴が開けば、必然的に封印の解凍は早まるはずだ。あとはただじっくり、見ていようではないか。偉大なる神、ファラの権現は、目前だ」


 おお、と周囲が沸き立った。

「愚者に死を……! 世界に終焉を……!」

 まじめな面持ちで歌いだす。


 ルーイン教。

 

 邪神ファラの復活を最終目的とする、ディース国内でも有名な邪教集団だ。

 その活動内容は過激で、過去にいくつもの宗教的事件を引き起こしている。ばかげた教理に引かれて入団するのは、たいてい人生に絶望したものがほとんどだったが、魔法庁出身の人間も多かった。つまり『魔海』の存在をその目で見、霊感を覚えてしまった者も、少なからずいるということだ。


 狂喜の表情を浮かべ、騒ぐ団員を、教祖は満足して見つめていた。

 耳に響く雑音の中、教祖は銀髪の男に向かって語りかけた。


「ダナンよ、お前もようやく念願が叶うか」

「はい、教祖様」


 ルーイン教の副教祖は、静かに答えた。




☆   ☆   ☆





 息を切らせ、マリーは例の丘の頂上に到着した。


 ふう、と一息ついてその場に座り込む。後ろには大きなイチイの木があった。その大樹はまるで自分が丘の覇者たるかのように悠然と構えていたが、マリーにとっては椅子の背となんら変わりない。


 疲れがひいてゆくのを、全身で感じる。ゆるやかな風が、頬をよぎっていった。

 マリーは、軽く目を閉じた。

 彼女の人生上、今日起こったことは疑いなく最大の出来事だった。光り輝く水晶キノコ。初めての、モンスターとの激闘。剣術仲間のそれとは一味違う、本当の危機を共に乗り切った仲間との友情。その熱さを実感したのも、今日で初めてだった。

 自分はつくづく恵まれている、とマリーは思った。半ば反射的に結成されたおざなりなパーティは、実はとんでもないものになるのかもしれない。

 このまま本当に三人で冒険でもしたら、さぞ楽しいだろうに……。

 と、再び一陣の風がマリーの元へ舞い込んだ。


 ――お姉ちゃん。


 まるで、風に誘われてきたかのように、心の中で声がした。


 茶色い髪の毛が、目の奥をよぎる。

 気分が高揚すると、いつもこうだ。

 必ず現実に引き戻される。


 忘れ得ない、あの思い出。マリーには、レスターという四歳年下の弟がいた。弟といっても、血がつながっていたわけではない。ソルブレイド家の養子、というやつだ。


 毎日毎日学校でいじめられて、泣いて帰ってきたのを今でも覚えている。その度、年の離れた兄達に代わって、マリーが行って相手を懲らしめてやったものだった。


 可愛い弟だった。たとえ血がつながっていなくとも、マリーのことをよく慕い、いつもその後を追いかけてきた。体があまり丈夫とは言えず、日に必要以上に当たることさえ大きな問題だったらしい。この年にありがちな、「姉としての義務感」が、マリーには立派に芽生えていた。

「この子はあたしが守る」と。

 

 だが、やがて運命の日が訪れる。

 弟に本当の親が見つかったという知らせは、前々から聞かされていた。その日は、相手方の親が、弟を引き取りに来る日だった。


 泣きじゃくるマリーを見て弟は、その肩を叩き、またいつでも会えるよと、そう告げた。


 いつも私の後ろで泣いてたくせに。


 子供心にそう思った。

 そして弟は、馬車に乗り込み、そのまま事故で亡くなった。


 はあ、とマリーは息をつくと、辛い思い出から目をそらした。

 もう、昔の話だ。


 そんなことを考えていると、後ろのほうで声が上がった。


「あ、マリーだ!」

「お、本当だ」

 デュオとコートが着いたようだ。


 別れてからそれほど時がたったわけではないのに、なぜだろう。妙に懐かしい感じがした。喉から湧き出てくる安堵の微笑みを必死でかみ殺しながら、マリーは務めて自然に言った。


「来たわね。んじゃ早速だけど、デュオ。これがあなたの剣よ」

 そういって、木刀をデュオに渡す。

「実際の大会では真剣は禁止されているから、本番もそれを使っていいわよ」

「うん、わかった」

 デュオは木刀を受け取ると、へへ……となんともいえない恍惚とした表情を作って見せた。きっと彼の頭の中では、かなり都合のいい妄想が駆け巡っているのだろう。


「んじゃ、俺は俺で勝手に稽古してるから」

 こくり、とマリーが頷いた。

「じゃあ早速はじめましょうか。まずは素振りからよ!」

 はいっと威勢のいい返事をして、デュオは手にした木刀を威勢良く一振りした。

 だが次の瞬間、


 どさっ


 青い髪の毛が激しく揺れ、デュオの顔は威勢良く地面にのめりこんだ。

 デュオが、一言つぶやく。


「お……重い……」


 今夜は長くなりそうだった。

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