第二楽章

第1小節目、偽りの恋人

ぴかぴかの黒い高級車から降り立ったあたし達に、学校中がもう、それはそれは大騒ぎだった。


ロータリーの前に車が駐車すると、先に降りた「彼」があたしの右手をとり、優雅な所作でエスコートする。

そしてあたしをごくごく自然に抱き寄せ、腰に軽く手をやると、車から昇降口までの距離を、とてもゆったりとした足取りで進む。


そのわずかな距離の歩みの最中も、何度となくあたしを見つめ、気遣い、小さく声をかけた。


あたしといえば、ついうっかり高鳴ってしまう心臓を抑え込むのに必死になっていた。

…だって、この17年間、男の子にこんな風に扱われたことなんて、一度もないんだから。


これまで興味もなく気にもとめたことがなかったけれど、西園寺の表の顔って、ファンサに徹するK-POPアイドルみたい。

流石は「殿下」というリアリティ皆無の異名をもつ男の子だけのことはある。

この人が、今さっきまで車の中で一緒に、古めかしい少女漫画のようなクソ設定を、笑っちゃう程真剣に復唱してたあいつだっていうの。


「誰、あれ、殿下の隣」

「あれって3年の…」

清家せいけ先輩、美術科だって」


みんなが口々に噂しているのが聞こえる。

向けられる視線は、昨日のような訝しげなものではなく、羨望という言葉がぴったりなものだった。


あたしはいつもは上げている髪を下ろして、背筋を出来る限りピンと延ばす、というわずかなリクエストに答えただけだった。

たったそれだけなのに、どういう訳だか他の生徒達の目には、さながら舞踏会に訪れたロイヤルカップルのように映るらしい。


これが嘘っぱちでなければ、実に見事なシンデレラストーリーだろう。

あたしが、たった2ヶ月という、期限付きのプリンセスでなかったとしたら。


★★★


あたしたちは、校舎に入ってからも同じように密着したまま、人だかりを掻き分け、美術科の教室の前に辿り着いた。

もう、そのころには、あたしの左半身は、緊張からかすっかり痺れてしまって、感覚がなくなっていた。


皆が見ている前で、あたしの頭をポンポンと二回ほど上から軽く叩くと、貴公子みたいな微笑を惜しげもなくさらしてみせる。


「じゃあな、陽葵ひまりちゃん。 昼休みにまた逢おう」


それこそ、きらりん、っていう効果音が、一緒に流れてきそうだ。

わらわらと周りを囲うようにして集まってきた女子たちから、どよめきがあがった。


(ホント、よくやるわ)


「彼」はあたしの背後に回ると、顔を上げ、あたしの両肩に手をおいて、今度はお家芸ともいうべきアルカイックスマイルを湛え、昨日あたしをハブにしたファンの子達たちに向かって優しく言った。


「交際、やっとOKしてもらえたんだ。暖かく見守ってもらえると嬉しいです」


そして、軽く右手を上げると、そのままポケットにそれを突っ込んで、颯爽と身を翻し、自分の教室の方角へと足早に歩き去って行った。


余韻たっぷりの、退場シーン。


(文句なくかっこいい…悔しい)


「殿下」のひと言が、どれだけ効いたというのだろう。

もう、あたしに冷たくする娘は、ひとりもいなかった。



…そうだ。

正確にはひとりだけ、あたしに突っかかってきた娘がいたわ。


「ちょっとお! 陽葵ぃ!」


絵麻だった。


即座に二の腕を掴まれて、あれよと言う間に、さんさんと日の降り注ぐ廊下の窓際に連行されるあたし。


「ちょっと、どういう事? あまりにも水臭いじゃない」

「え、絵麻…」

「ってか、それどころかすっとぼけたりして! いつから殿下と? 何処で知り合ったの? 学校?」


次々と飛び出す尋問に、多少面食らいながらも、さっき車の中で復唱したとおりに答えていく。


(許せ、絵麻)


「うーんと、2年の終わり頃からかな、二人きりでたまに逢う様になったのは。実はね。 小学校に上がる前に、家の近所で、よく一緒に遊んでた子で…」

「はーん・・・幼なじみ設定ってやつね」


「引っ越しちゃったみたいで、それから逢えなくなっちゃって…」

「へえ・・・で高校で再開って展開か」


(どうしよう。完全に疑ってるよ、これ)


訝しげに眉をひそめる絵麻の耳元に、あたしは自分の口元を近づけて、ヒソヒソと話し始めた。


「ねえ。 びっくりしないで。

…あたしってば、なんと、"あらた君"の初恋の女の子なんだって!」


(あいつがそう言えっていうから言ったけど、こんな恥ずかしいセリフ、普通のボリュームじゃとても言えないよ)


それでも、あいつの言ってた事は、ある意味間違ってはいなかったように思う。

あたしはその事を、練習の成果もあって、まるで本当の事みたいにすらすらと、なめらかに話した。

そうすると、その付け焼き刃的な作り話が真実みたいに思えてくるから不思議だ。


あらた君って…ああ、殿下の事? ははーん、初恋のオチまでついてきたか」

「えへへ」

「ねえ、あんなに目立つ男…気付かないとかあるの?」


(そうよね、そうは言っても、流石に絵麻は一筋縄じゃいかないや)


「だってね、まるで別人なんだよ。思いもよらなかった。

子供の頃はあたしより背だってだいぶ小さかったし、声だって今と全然違うし。名前だって、あだ名くらいしか知らないし…」


実際に、そんな子達が、何人かは居た気がする。

だから、それを思い浮かべれば、イレギュラーな質問に答える事も、意外と簡単だった。


あたしは更に続けた。


「彼」は何となくは気付いてたらしいけど、いまいち確信が持てずにいて、ようやくそれを確かめる機会が訪れたのは、高校生活が半分以上過ぎてしまっていた後だった事。


丁度、絵麻が予備校に通い出し、あたしがひとりで下校する機会が増えた頃から、徐々に交流を深めていった事。


内緒で付き合いはじめたけれど、あたしが倒れた一件で大騒ぎになっちゃったから、これを機会に公にしようと二人で決めた事、など。


「…で、いつからなの?」

「え?」


「で、結局、いつから付き合ってるのよう」

「…ああ、新学期始まってからすぐ。

その前から付き合ってくれって、再三言われてたんだけど、あたし、ずっとどうしようか迷ってて。

外野が超うるさそうだし、お互い、受験もあるし。

でも新君が "どうしても" って・・・。 だから内緒にって、あたしから条件を付けて…」


(…これ、口に出してみると、めっちゃ気分イイ)


「それにしたって、あたしにまで黙ってるなんて!」


このあたりは、実をいうと、ちょっと苦しかった。

だから、本当の気持ちを織り交ぜて話す。


「絵麻は絵麻で、彼氏ができて、忙しそうだったでしょ?遠慮してるんだよ、あれからずっと、あたし」

「まあ、そう言われればそうだけど・・・。 何よう、一番に知りたかったのに」


絵麻はあたしを肘でコツンと小突くと、鼻から小さく息を抜いて、続けた。


「…うん。 でも確かに、あたしだって、最近はあんたにも、何もかも話してたわけじゃなかったかも。

あたしも気を使ってたし…色々と」


でもこれからは「こういう話」も遠慮なくできるよね、と言って、ひとり、満足気に頷いていた。


どうやら絵麻もあたしの言う事に、少しは納得したらしい。


(でも、絵麻ってばイイ気なもんだよね。 ずっとあたしの事、後回しにしてたくせにさ)



そして、今度は絵麻が、あたしに顔を近づけて、声を潜めた。


「…エッチな話とかもできちゃうかもね」

「え、エエ?!」


一瞬、保健室であいつの顔が近づいてきた事を思い出し、不覚にも頬が熱くなる。


(もう、絵麻たら。 現金なやつめ…)


「でも、それ聞いて、まあまあ理解した。

ちょっと気になってた事があったんだけど……あんたたちが付き合ってたってオチなら、なんとなく合点がいくわ」


「気になってた事?」


「うん、あんたが倒れた時に……ってあたし、昨日LINEで送ったはずだけど?」

「ああ、ごめんごめん、放置したままなんだ。 あのさ、あたしも色々おとりこみちゅうで」


ここまで話すと、先生がやってきて、あたし達を呼んだ。


「こら、二人とも入りなさい。 授業をはじめるわよ」


それを聞いてあわてて教室に入ろうとするあたしの首根っこを掴み、軽くため息をついてから、ひとこと言った。


清家陽葵せいけひまり。 補習の前に、わたしのところに来るように」

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