【カラフル彼女】Show the true colors

㐂太郎

1. バッドエンドは突然に

「あ……ぐぅ……っ!?」


 脇腹に深々と刺さった裁縫バサミが、ぐるりとネジ回される。

 痛みなのか熱さなのか判断つかない感覚が脳を駆け巡り、結果として涙がボロボロと溢れた。


 夕日が傾く校舎で、ボクは彼女と向かい合っている。

 彼女は笑っている。

 泣きながら震えながら、笑っている。


「全部、全部、あやむが悪いんだからね!私がいるのに、他の女の子とデレデレしちゃってさホント……!」


 小さな体のいったいどこに、そんな力があったのだろうか。

 大きな裁縫バサミの冷たい刃が、三分の二以上突き刺さっているのを、何故か冷静に見つめているボク。


 その裁縫バサミがゆっくり、ゆっくりと広げられる。

 ニチニチミヂミヂ音を立てて、皮膚が裂け肉が圧し抉られた。

 ボクの視界に広がる、真っ赤な血。ボクの血。


 そこに映り込んだ、赤い彼女。

 ボクの大事な幼馴染み。ボクが傷つけてしまった、小さくてかわいい彼女。


 血が足りなくなって、ボクの視界はふわふわし始める。

 薄れゆく意識の中、最後の力を振り絞ってボクは―――


 ★


「あやむちゃんがあたしを愛してくれないなら、別の人に愛してもらうから。いいよ、もう。自由にしたげる」


 それが最後に聞いた彼女の言葉だった。

 そのときの顔は、怒るでもなく、恨むでもなく、ただ寂しそうな表情をしていたような気がする。


 それ以降、彼女はボクの目の前から消えた。

 真面目に来ていた学校も来なくなり、噂では良くない輩と遊び歩いている、と聞いた。


 そんなある日の夜、ボクはフラフラとおぼつかない足取りで歩く彼女を見つけた。

 派手だった外見は更に派手になっていて、しかし、前のような軽やかさというか、ハツラツさというか、それが無くなっていた。


 だらしなく羽織ったジャケットから澱んだ空気を垂れ流し、ガードレールを跨ぎ―――


「先輩っ!危ないっ!」


 一瞬、車のライトに照らされた、焦点の合わない濁った瞳。

 嘘みたいに宙に舞った体がアスファルトに落っこちて、それは手足のもげた人形のように。


 駆け寄って声を掛けるが、彼女からは不明瞭な、言葉にもならない音しか出てこない。

 痛みを感じていないのか、笑いながら蠢く彼女。ヨダレと血の混ざった泡が口から溢れ、胸の上を転がる。


 その姿を、黄色信号が不様に照らした。


 ★


 その部屋に満ちていたのは、甘い臭い、しょっぱい臭い、辛い臭い、酸っぱい臭い、苦い臭い。

 そして、死の臭い。

 横たわる少女の顔を、口から溢れ出た吐瀉物が汚していた。


 食べ滓とゴミの棺に、ボクは恐る恐る足を踏み入れる。

 こんなことになるなら、ボクが手を差し伸べない方がよかったのだろうか。

 ボクのせいで彼女を追い詰めてしまったのだろうか。


 生気のない垂れ下がった脂肪が鎮座している。腹部から胸にかけての青痣が痛々しい。

 その苦痛と一人で向き合っていた体を撫でる。肌に触れても、彼女はもう、くすぐったそうに笑ったりしない。

 恥ずかしそうにはにかんだりしない。

 目を輝かせてご飯を食べることもない。


 頬を汚す吐瀉物を拭うと、真っ青な顔が現れた。


 絶望に染まったその顔を、ボクはもうどうすることもできない。


 ★


「あやむさん、愛してます……♡」


 そう言ってボクの頭を撫でる彼女。

 冷えきった指先、艶かしい体つき、狂気に浸かった瞳。

 とても美しい人だと思っていたけれど、もはや彼女は恐怖の象徴だ。


 両手を拘束する手錠が重くて痛い。アキレス腱を切られた足は、引きずる以外に何もできない。

 もはやもう、ボクは彼女によって生かされているだけの存在だ。


「……っ」

「あやむさん、どうされました?」


 ボクを覗き込むその顔は、本気でボクを心配してくれている。

 少し前までは、それだけで嬉しかったのにな。


「と、トイレ……」

「はい、わかりました♡」


 彼女に抱えられ、トイレに連れていってもらう。扉を閉めてくれる彼女の姿を見て、まだ大丈夫と、自分に言い聞かせる。


 大丈夫。

 ボクはまだ彼女に愛されているから、大丈夫。


 でも要らなくなれば、ボクもきっとあの時見てしまった、緑色の腐乱死体のように棄てられるのだろうか。


 ★


「へ、へへ、あははっ」


 恥ずかしいのに気持ちよくて、気持ちいいのに苦しい。

 短いスカートの下で、拘束具がギシギシ音をたてている。それが弾けて誰かに見られてしまうのではないかと考えると汗が出て、余計に熱が集まってしまう。


 ボクはいったい何をしているのだろう?


 いかにもコスプレです!といった感じの、露出どの高い悪趣味なメイド服。薄い布切れがヒラヒラとお尻を撫でる。

 男のボクが着たら、当然サイズが合わなくてピチピチになった。


 その情けない姿を見て、彼女は冷たく嘲笑してくださった。

 ああそうだ、彼女に命令されたからだ。お散歩してきなさいと。


 愛しの女王様のことを思い浮かべると、世間にどう思われるだとかそんなちっぽけなこと、どうでもよくなる。

 お腹の底から熱くなって、切なくなって、めちゃくちゃにされたくなる。


 気がつくと、太股から液体が垂れていて、近くから悲鳴が聞こえてきた。


 快感に体がブルブルと震える。

 この粗相の報告をしたら、彼女はまたボクを辱しめて、苛めてくださるだろうか。


 体に這い廻る紫色の痣に、ボクの唇が歪んだ。彼女が死を命令すれば、きっとボクは迷わず死ねるだろう。彼女こそが全て。彼女がボクの生きる理由。彼女さえいればあとは何も要らない!


 そうして、このあとゴミのように捨てられることも露知らず、ボクはウキウキと歩き出したのであった。


 ★


 騒ぎを聞き付けたボクが駆けつけたとき、そこには嵐のような暴力の跡が散らばっていた。


 割れたガラス、ひしゃげた机、穴の空いた黒板。

 傍観者は息をするのも忘れて輪を作り、ただただ凄惨な光景を見つめている。


「ご、ごめんなさ……ゆる、し、……!」

「黙れ!」


 嵐の中央で、男子生徒は血塗れで怯えていた。

 その顔は半分腫れ上がり、左腕はおかしな方向に折れ曲がっている。

 その男子生徒に馬乗りになっている、ゴスロリ姿の小柄な少女は、燃えるような怒りに満ちた顔で見下していた。


 拳が振り上げられ、容赦なく叩き付けられる。

 グチャッ、と湿った嫌な打撃音が響く。

 拳が再び振り上げられる。グチャッ。

 拳が振り上げられる。グチャッ。

 グチャッ。グチャッ。ビシャッ。ヌチャッ。


 いつしか固い音は無くなっていた。そして男子生徒の呼吸音も。

 それでも少女の腕は止まらない。

 ブチャッ、という音と共に眼球が転がってきて、助けを求めるようにボクを見つめた。


「……っ!も、もう、止めて!」


 ボクは飛び出して、彼女の腕をつかんだ。

 彼女は加減することなく暴力を奮えるが、その代償として、自身もそれ相応のダメージを負ってしまう。

 案の定、小さな手の甲は腫れ上がり、皮膚は剥けていた。

 それでも。


「うるせえ!」


 彼女は力一杯ボクを突き飛ばした。

 壁に激突したボクを見る彼女の顔に、一瞬焦りが浮かんだように見えた。

 でもすぐに怒りに塗り潰されて、彼女は手を付けられないほどに暴れ出す。


 黒い警察官に抑えつけられ、白黒のパトカーに押し込まれる彼女に、ボクは何度も呼び掛けた。

 だけど、ついに彼女が反応することはなかった。


 ★


 屋上の風は冷たく、空は雪が降りそうな色をしていた。

 羽織っていたカーディガンを隣の細い肩に掛けてやり、顔を覗く。


「大丈夫?寒くない?」

「だーじょぶ」


 へへ、と笑う彼女の儚さに泣きそうになる。

 ボクの腕を掴む力の弱さは、彼女の生命の弱さを表しているようだ。

 初めて会ったときはもう少し強く掴んでくれていたのに。


「あ、白いの、ひらひら!」

「これは雪っていうんだよ」

「ゆきー!」


 ゆっくりと手を伸ばし、舞い降りる雪を捕まえようとする。

 無邪気に笑う彼女にはもう、記憶も時間もほとんどない。弱った体に純粋無垢な少女の魂だけが収まっていた。


 お姫様抱っこをして、フェンスを乗り越える。

 いっそう風を強く感じ、彼女が吹き飛ばされないようにしっかり抱き締めた。

 しがみつく彼女の顔は、出会った時と変わらず、天使のように美しい。


 天使は笑った。


「あやむ、だいすき」

「ボクも……、ボクも、大好き」


 ああ、鼻水が垂れた。なんて格好悪いのだろう。


 彼女を抱き締めて、半歩踏み出す。

 愛しているから、この道を選んだんだ。ひゅうひゅうと鳴る風を全身で受け止め、ボクらは空を飛ぶ。

 世界はボクらを、ゆっくり二人きりにしてくれた。


「あやむ」

「なに?」

「あいしてる」

「ボクも愛してる」

「ぼくね」

「うん」

「あやむの赤ちゃんがいるんだ」

「え」


 そして世界は途絶えた。

 はずなのに。


 ボクは、ボクだけが、真っ白な病院の天井を見つめていた。

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