五〈セイ〉

 さて、どこから回るか。僕とあやめは、昔あやめが勤めていた店舗があるアウトレットモールに来ていた。夏にあやめは派遣の仕事で訪れ指導係と対立し、しまいにはケンカをして退職したのである。しかし、アウトレットモールで仕事をするにあたって真由子さんのところに間借りをしはじめたので、いま思えば素晴らしい縁である。

「なつかしいっ。辞めてから一回も来てないんだよね」

あやめはモールのゲートをくぐったところで、ふと立ち止まって言った。首をうしろに傾けて空を見上げたり、そのまま周囲をぐるりと見回したりした。

「こっちは普段の仕事を思いだすだけだな」

僕は普段アパレルの仕事をしているので、服は嫌というほど見ていた。ただ、レディース専門なので、メンズの服を中心に見て歩こうかと考えていた。

 あやめはなんとなくある店舗に入っていった。メンズとレディース両方を扱っている店舗だった。メンズの流行を確認するのにもちょうどいい。

「これどぉ?」

あやめがベージュ系のトップスを手に取り、鏡の前でからだに沿わせた。

「イマイチだな。そのトップスを合わせるなら、こっちのボトムスのほうがいい」

僕がロングスカートを手に取ったところで、あやめが身を隠すようにして、

「ああっ! 前の指導係がいるっ!」

と店の外の通路を見て叫んだ。

「別にいいでしょ。もうやめたんだし。大胆なんだか小胆なんだかわからんな」

僕はやれやれといった感じで、ロングスカートを元の場所に戻した。

そのあとは、特に店に入らないまま、ぶらぶらと歩いた。広大な敷地に入り組んで三百以上の店舗が入っているため、適当に歩いていると元へ返ってしまう。一度元へ返ってしまったので、有名店を目印にして、気になる店をつぶすように回り直した。

「ほんとシングルマザーっぽい人多いよね。悪い意味じゃなくてね。みんな頑張っててすごいなあって尊敬する」

 あやめのその言葉を聞いて、あやめと行った夏祭りのことを思い出した。あの頃から、僕たちは何も変わらない。それが良いことなのか、悪いことなのか、僕にはわからない。ただ、変化がほしいと思ったとき、飽きていなければそれでいい。

「このブランド見ると、母が父のパスケースを買ったの思い出すなあ。ドイツからビールとソーセージ送ってきたのも」

 ポールスミスの店の前に立ち止まって、あやめがそう感慨にふけっていた。

ところで、

「うわあ、まずい! 徹底的にまずい! 元課長と嫁子供がいる!」

と言って、あやめは建物の影に隠れた。まるで追っ手から逃げる者のようだった。

「ここ駄目だ! いろんな都合の悪い人たちに会うわ! さっさと帰ろう!」

 あやめは青ざめた顔をして、からだを低くして言った。

「ここらへん一帯で唯一のアウトレットモールだぞ。しかも日曜日だ。そんなこと了承済みで来たんじゃないのか」

 つられて隠れるように低い姿勢になって僕は言った。

「なんも考えてなかった――」

と言ってあやめはうなだれるフリをした。肩を落とし、両手をぶらりと下げていた。

そこで急に「あやめちゃん」と声をかけられたので、あやめはびっくりして硬直していた。僕は声のするほうに素早く首を振った。あやめより一足先に安心した。

「欽さんじゃないですか」

 欽さんはいつものラフな服装で、サンダル履きであった。こんな格好でここに来ている人間はほかにいない。しかし欽さんは細かいことには頓着しない。隣には小奇麗な格好をして奥さんが立っていた。そのちぐはぐなコントラストがほほえましい。

「あやめが精神的にまいってしまったので、これから帰るところなんです」

「デート?」

「これはデートですね」

 デートの定義について夏に欽さんと話したことがあるが、今回は僕にとっても欽さんにとっても完全にデートだった。あやめにとってもデートであるはずだった。

それからアウトレットモールをすぐに出て、僕たちはあやめの家に向かった。不安から開放されたあやめは帰り道、いつもより快活に話した。

帰宅した僕たちはあやめが間借りしている部屋の押入れの整理を行うことになった。あやめは人からもらったものは捨てられないタイプで、押入れのなかは必要な不要であふれていた。いかんせんもうスペースが限界となってきたので、僕が手伝うことになったのである。

 あやめは半分ほどしか扉の閉まらない押入れを開け、ごそごそとやり始めた。早速、ひとつめの物体を僕に渡した。あやめにはなんだかわからない物体であった。

「エンジンのピストンじゃないか。こんなものどうしたの」

「忘れた」

 さらにあやめはごそごそやった。僕にとってはちょっとした宝探し気分であった。

「トランスかい。しかもこんなにたくさん」

 あやめは大小いくつかのトランスをゴロゴロと僕に示した。変圧器である。

「電気屋のおじさんがくれた」

「わっさん?」

「違う。うちの地元の。これはわっさんにあげよう」

 あやめはさらに奥を探る。今度は長い物を出してきた。まさか!

「おーっ! 模造刀じゃないか! これは同田貫正国だな!」

僕は思わず声を上げてしまった。子供の頃に日本刀が好きで、図鑑を集めていたので詳しかったのである。直感的に欲しい! と思った。

「これ、もらっていい?」

「いいよ。あげる」

 僕はなんなく同田貫正国の模造刀を手に入れた。帰ったら掃除して丁寧に磨こう。あやめは再び奥のほうをごそごそやっていた。今後もこういうものが出てくるんだろうか。突然張り合いが出てきた。

 そのとき、真由子さんがあやめを呼ぶ声が聞こえてきた。はぁい、とあやめが応答した。いつもと変わらないよくある生活の一部であった。

「ちょっといってくる」

あやめは真由子さんがいるほうに縁側を走っていった。ギシギシと走る音がしていた。僕はあやめが何歩で真由子さんのほうに着くかをだいたい把握していた。

 しばらくすると走って戻ってきて、僕にこう言った。

「猫が帰ってこないんだって。ちょっと周辺探してくる」

 あやめはすぐ見つかるよという表情をしていた。

「僕も行くよ」

 ふたりで外に出て猫を探した。花壇をかき分け、家の裏のほうも探した。平べったい茎の先の黄色いスイセンが風に揺れていた。

家のまわりにはいなかった。庭を出て近所を探し歩いた。途中で野良猫に餌やりをしているおじさんに会ったので、猫の集まる場所を聞いてだいぶ範囲を広げて探した。暗くなるまで粘ったが、それでも見つからなかった。僕たちは家に帰って、真由子さんに報告した。

「どこいっちゃったのかなあ。前にも同じようなことがあって、そのときはひょっこり帰ってきたんだけどね。そろそろ沙々が帰ってくると思うから、心当たりがないか聞いてみるわね」

 僕たちはあやめの部屋に戻って、押入れの整理を再開した。夜までかかって、そろそろ欽ちゃんに行ってごはんを食べようと考えていたところで、再び真由子さんがあやめを呼ぶ声が聞こえてきた。

「あ! 見つかったのかな!」

と言って、あやめは真由子さんのほうに走っていった。

 しばらくすると、いままで見たことのない深刻そうな顔で走って戻ってきた。表情のなかには漠然とした恐怖が宿っていた。あやめは、

「沙々ちゃんが帰ってこないって! 電話しても出ないって!」

 と言って、急いでコートに腕を通し始めた。

「探しに行こう!」

 僕はすぐに立ちあがってコートを着た。

 あやめは一瞬考えて、出かけようとしている僕を止めて、

「ちょっと待って、あたしからも電話してみる!」

 と言った。

 あやめがスマートフォンで沙々ちゃんに電話をかけ、しばらく呼び出し続けた。

「さ、沙々ちゃん! どうしたの? 大丈夫?」

 なぜか、あやめの電話はつながった。僕には向こうの声は聞こえない。しかし、しっかり応答しているようである。

「潮浜公園! そうなの、そんなこと――」

あやめは絶句した。続けて、

「うん、あたし助けに行くから。大丈夫だから。あのね、聞いて。いまから一一〇番するから、そこから動かないで待ってて」

 と言った。あやめは電話を切り、いままで見たことのない厳しい表情で僕を見た。瞳の奥には野生的な怒りの炎が燃えているように見えた。

「助けに行くよ! 向こうは五人くらいだって!」

あやめは鬼気迫る声で叫んだ。

「どういうことだよ!」

状況を把握しきれていない僕も自然と大きな声になる。

「男が五人いて監禁されてる!」

 監禁されているという日常では交わすことのない言葉が、ことさら重大な響きを持って僕に襲いかかった。

僕はあやめの家を飛び出しそうになった。するとあやめは僕の肩をつかんでそこにとどめた。首を振って、なにか忘れているだろうという顔をした。

「丸腰で行くの?」

「仕方ないだろ! 刑事じゃあるまいし!」

「模造刀!」

 危ないから家で待っていてくれと真由子さんに言って、あやめと僕は家を飛び出した。真由子さんの車を借りて行こうとしたが、こういうときに限ってエンジンがかからない。何度もかけなおしてセルモータが回らなくなる寸前くらいのところで、情けない音を立ててエンジンは始動した。

セイと三十分ほどの道のりを飛ばした。そのあいだ僕たちは緊迫した空気に抑えつけられ、ひとことも言葉を交わせなかった。

潮浜公園に着き、広い駐車場に車を停めた。すでに警察は到着しているようで、赤色灯の光があたりを支配していた。

「よかった。警察が来てればひと安心ね」

 あやめはひとまず胸をなでおろしていた。彼女の顔を赤色灯の赤い光がちらちら横切っていた。

「いや、まだ安心はできないぞ」

 僕たちは車を降り、行く手をさえぎろうとする警官を無視して、いちばん偉そうな私服警官に話しかけた。

「わたしは沙々ちゃんの同居人です! 沙々ちゃんはどこですか!?」

 あやめはしぼり出すような声で言った。

「おい! 勝手に入るんじゃあない!」

 と制服警官があやめの肩をつかんで引き離そうとした。

 すると私服警官は、

「いや、いい。大丈夫だ」

と制服警官を制止し、

「犯人は全員確保したが、監禁されている場所がまだ見つからないんだ。いま全力で探している」

と言った。理解のある私服警官で助かった。

「わたしたちも探します。わたしたちの声を聞けば、安心して応答するかもしれません」

「そうだといいが」

 わたしたちはまだ警察の手が及んでいない、船が停泊している岸壁のほうを探しに行った。警察は投光器などを準備して、そちらまで捜索範囲を広げようとしているところだった。

 あやめと僕は沙々ちゃんと呼びかけながら、停泊している船をひとつずつ確認していった。数隻確認したところで、かすかな声が船内から聞こえてきた。

「沙々ちゃん? 沙々ちゃんなの? いま助けてあげるから!」

 デッキの鉄格子から見下ろすと、沙々ちゃんは船内でからだを震わせて、床にへたり込んでいた。鉄格子は、あやめがちからを入れたくらいでは外れなかった。そこで僕は同田貫正国を鉄格子に引っ掛け、テコにしてこじあけた。同田貫はひしゃげたが、そんなものにかまっている場合ではなかった。

「よし!」と言って、僕は船内に降り立った。船内は廃材や古タイヤなどのがらくたが四方に積まれていた。その真ん中あたりに沙々ちゃんはへたり込んでいた。

「沙々ちゃん! もう安心だよ!」

 あやめも船内に降り立って、沙々ちゃんを強く抱きしめた。あやめは沙々ちゃんの顔や額についた汚れをハンカチで拭い、自分の着ていた服を沙々ちゃんに羽織らせた。そのころには警察もそばまで来ていて、一緒に沙々ちゃんを船のなかから引き上げた。

沙々ちゃんは女性警官のサポートを受け、ゆっくりとパトカーに乗せられた。僕は折れ曲がった同田貫を証拠品として警察に引き渡した。不要だと思われていたものが沙々ちゃんを救うきっかけになった。僕は深い感慨に包まれた。

「おふたりも同行していただけますか」

 僕たちは沙々ちゃんとは違うパトカーに乗り込んだ。得体の知れない苦いものがこみ上げてくるような気持ちのまま、警察署に着いた。あやめがパトカーのなかで真由子さんに電話をかけてとりあえずの事情を説明していた。

警察に着くと、沙々ちゃんは女性警察官に連れられ、奥の部屋へ入っていった。僕たちはしばらく待たされ、また別の部屋に通された。僕たちへの聞きこみは形式的なものですぐに済んだ。今度はさきほどの女性警察官が部屋に入ってきて、僕たちに事件のことを話しはじめた。

「学校から帰宅する途中、ワンボックスカーに拉致され、あの船のなかでいろいろと卑猥な写真を――撮られたそうです。確認のため、スマートフォンの画像を確認していただけますか」

 僕はその瞬間、スマートフォンから目をそらした。たとえ見ろと言われても、とても正視することはできなかっただろう。

「たしかに、沙々ちゃんです」

 悔しさと悲しみに満たされたような顔つきであやめが言った。

「不幸中のさいわい、動画はありませんでした」

「沙々ちゃんのからだに、女性的な傷をつけられたということは――」

 あやめは恐ろしい質問をした。今度は耳をふさがなければならないのか。

「それはないようです。のちほど医師の診察を受けて、正式な回答をします」

 女性警官はやや形式張った感じで言った。僕は心底ほっとした。からだに傷をつけられていたら、犯人たちを探し出して復讐するかもしれない。

僕たちはパトカーで潮浜公園に戻り、僕の運転であやめの家まで帰った。あやめは家に着くまでうつむいたままだった。沙々ちゃんは警察がのちほど責任をもって家まで送り届けるとのことだった。

あやめはその夜、考えあぐねた末に真由子さんにすべてを話した。隠していれば将来沙々ちゃんが苦しむことになるかもしれない。いまのうちに適切な対処をすれば、心の傷は克服できるはずだと考えてのことだった。

「今回は写真を撮られただけ――だけってわけじゃないが、暴行されるまでいたらなくて本当によかったなと思う。とても厄介なことなんだ。暴行されたからセックスを拒否する、なんて簡単な話じゃない。苦しみを乗り越えるために同じこと――セックスを繰り返す、そういう心理がある。時間は解決しない。わきあがってくる苦しみをどう解決するかが大事なんだ。誰かに相談したところで、心のなかでは、お前が悪い、なんで声を上げて助けを呼ばなかったんだ、嫌だ嫌だと言っても、濡れてたんじゃないか、セックス好きそうな顔だ、男に揉まれるためにある胸だ。なんて心のなかで蔑まれるんだ。――だめだ。僕はいくら冷静に考えようとしても、悪いほうに考えてしまう。帰るよ」

 沙々ちゃんへのやさしさが反転して、怒りに変わっていた。安定した狂気というのを僕は持っていると考えた。

「あたしも一緒に出るよ。ちょっと散歩しよう」

僕たちは月明かりを頼りに、近所をぶらぶらした。

「あっ」

 あやめはなにか重大なことを思い出したような声を上げた。

「どうした?」

 事件に関することなのかと考え、どきりとした。

「アウトレットで麻婆豆腐食べるの忘れたぁ! うまいのにっ! 課長も指導係りもとことんあたしの邪魔になる気だぜ」

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