マフユフミ


高いビルが倒れていく夢ばかり見る。


昨日は50階ほどもあろうかという細長い建物が、半ばでポッキリ折れた。たくさんの人たちが外へと投げ出されるのを、遠くから見ていた。


一昨日はどっしりと構えた太く丸いビルが、上から音もなく粉々に崩れた。辺りはこまかな砂埃に巻かれ、何も見えなくなっていった。


さらにその前日、また前日と、いつもビルが倒れている。悲壮感はない。喧騒もない。

ただビルが倒れていく、その事実だけがそこにはある。


不思議なのは、そのいずれに対しても私は遠くから眺める傍観者であるのにもかかわらず、まるで当事者のように、崩壊の衝撃から巻き起こる風を全身で感じていたことだ。


妙に生々しいぬるい風。

砂混じりの、ざらついた。


もちろんこれは夢だ。この壊れゆく景色が夢であることを私は知っているし、夢の中の私も頭の片隅で、これが現実ではないと分かっている。


にも関わらず、さもこれが現実世界であるかのような破壊の煽りを受けているのだ。

おだやかな寝室にいるのに、この体は風に晒され、瓦礫にまかれている。

それが何とも不思議な感覚で、ここ最近目覚めた直後はすぐ現実に戻れず、ベッドの上でぼーっとしてしまう。



今日もまた、きっとタワーマンションだろうと思われる建物が倒れた。いつも通りそれは見事なまでの崩壊だった。

そしていつもと違うのが、夢の中の私が傍観者ではなく当事者だった、ということだ。


私は見知らぬリビングのようなところでソファに座っていた。

しっとりした触感のソファは落ち着いた灰色で、小さめのガラステーブルが前に置かれている。後ろには大きな窓があるようで、白いレースのカーテンが揺れている。


まったくもって見たことのないその場所を、当然のように自身の居場所だと思っているのだから、夢というのは不思議なものだ。夢の中の私は何の違和感もなくそこの住人だった。


落ち着き払っている私は、テーブルの上のティーカップを、当然のように手に取ろうとしていた。白地に水色の水面のような模様のそれには、湯気の立つ紅茶が注がれている。

そのとき、どこからともなくミシミシ、メキメキというような音がしたのだ。

振り返るのと同時に、視界が弾けた。

リビングのようだった部屋は一瞬で粉々になり、私の体は宙を舞った。


これまで感じていたものとは比にならないほど凄まじい圧迫感を感じる。

風とはこうも強いものだったのか、なんて場違いなほど冷静な感想が頭に浮かぶ。

状況から見ると、私はちょうど裂け目にいたようだ。

あの、何とも言えないビルが倒れるときの音。

さっきまでの優雅な時間は一体何だったのだろう。

そんなことを思いながら私は、強い風に煽られて落下していた。


不意に目が覚める。

目覚めてすぐ確認した時計は2:37を指していて、薄い壁を隔てた向こうからかすかに冷蔵庫の音がしている。

ああ、現実に帰ってきた。


中途半端に体に掛かっているブランケットを握る。その柔らかさを何度も確かめるように力を込めて、一つ息を吐く。

ひどく喉が渇いていて水を飲みに行きたいのに、さっきまで落下していた体は言うことを聞かない。たくさんの人が落ちた。そして私も落ちていた。まさに地面に叩きつけられるその寸前だった。


疲れた、そんな言葉しか出てこない。

もう慣れてしまった崩壊の夢の、それでも初めての落下は精神的にかなり堪えた。

恐怖、だろうか。

今になってやっと体が震えている気がする。

落ちている最中は怖いなんて思う暇もなかったけれど、今安全な場所に帰って初めて夢の異常性に恐怖が沸き上がってくる。


それに、気づいてしまったのだ。

いつもいつも崩壊の世界にいるけれど、最後の最期にはたどりついていないことに。

これがもし途中で目覚めていなかったなら、地面に到達してしまっていたなら、痛みを感じないまま終わることができたのだろうか。


私は、無事に帰ってこられたのだろうか。


「…大丈夫」

思ったより掠れた声。それでも私は口に出す。

まだ、大丈夫。

何が大丈夫なのかも分からないまま、自分に暗示をかけるように。

実際はビルも倒れていないし、私も落ちていない。

私はまだ、ここにいる、と。




次の夜、果たして私はまたビルの崩壊に居合わせた。

前日と同様、また当事者として。

あの謎に優雅なひとときから急転して、私は宙に投げ出されている。

突き刺さるような風。何らかの叫び声を上げながら墜ちていく人々。


先ほどまでビルの一部であったのだろう、欠片となった金属や木片が宙を舞いながら落下して、時折人々の肌を傷つける。

私の腕にも何らかの残骸がぶつかり、たらりと血が流れ落ちる。

痛みはなく、ただ生温かい。


あたたかい。


初めて温度を感じた。

このなんとも言い難い血の感触。

そこで私は悟る。きっとこれは現実だ。

每日每日見ていたビルの崩壊の夢は、どれだけの風を感じても埃の匂いを感じてもそれは「夢」でしかなかった。

でもこの落下は現実のものだ。

いつもの感覚とは比べ物にならないほどの臨場感が私を圧倒している。


ああ、遂に墜ちるのか。

あの地面に叩きつけられてしまうのか。

それは恐怖でも絶望でもない、ただの事実。

ここ最近の不思議な夢は、今この時のためにあったのかもしれない、と

激しい落下のさなかに思う。


ふいに巻き起こった風から、強い土の香りがした。

私は、ここで、終わる。

そしてすべてを受け入れる準備をする。

妙に凪いだ気持ちで、私はそっと目を閉じた。来るべき瞬間に備えて。




私というモノの本体はいったいどこにあるのか、もう何もかもわからないけれど。


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マフユフミ @winterday

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