休暇中”冒険者”のミステリー解決編~あいつもこいつもそいつも絶対何か隠している~
白夏緑自
第1話
「ここは俺のような人間が多いのだな」
「あら、お客様は違いますでしょう。この街に来られるのは旅人様がほとんど。あなたのようなお人は珍しい」
「俺は冒険者だ。余所者であることに変わりはないさ」
そう言って、【冒険者】の男──カミルは空になった杯を掲げる。
スカーフを巻いた【給仕】の女──テネブルが両手で受け取る。彼女を呼ぶ声があちこちから聞こえてくるおかげで、この店──【ヤドリギ】を初めて訪れるカミルも知ることができた。
「同じものでよろしくて?」
「ああ」
カウンターに立つ彼女は長い前髪で目元を隠しているものの、平均的な男性とそう変わらぬ長身と、黄金のシルクを想起させる金髪。さらに、外見の美麗を最大限に振りまく、踊るような所作に男女問わず、見る者の目を奪っていた。
いま、このとき話し相手を務めているカミルに対して嫉妬や羨むような視線を向けている男もいる。彼はそんな視線をあえて無視して、返ってきた杯を受け取る。
「どうぞ。──しかし、よく呑まれますこと。せっかくの雨だと言うのに」
「雨であることと、酒を控えることに関係があるのか?」
雨の多い地域だ。1年を通して、太陽が顔を見せることは少なく、鉛色の雲が空を覆っているか、今日のように雨降りがほとんど。
湿地帯であり、夏が始まるころだ。気温は蒸し暑く、不快な汗が1日中張り付いている。むしろ、よく冷えたエール《麦酒》が良く進む。
「おや、“冒険者”様はわかってこの街にいらっしゃっているのかと」
「わかっているさ。なればこそ、だ。酔わずにはいられぬだろう」
「そう言うお客様も珍しくはありませんわ」
捻くれた俺に対する、気遣いのつもりだろうか。なに、彼女の方がこの街に訪れる余所者と接しているのだ。実際、自分のように、これからの奇跡にシラフで臨めぬ愚か者を多く見てきたのだろう。そして、そういった輩に対する決まり文句の1つを放ったに過ぎない。
達観したつもりではあるが、男として美女から与えられる言動に特別感を見出す性は抑えられぬことに気づき、カミルはエールを呷る。
青臭い舞い上がりは止そう。これ以上、ここに居ては他の男たちと同じように叶わぬ独占欲が芽生えるかもしれない。馬鹿々々しい、と「会計を」とカミルは立ち上がった。
「はーい!」
応じたのは、テネブルとは違う【給仕】であった。
小柄な背丈に、眉の上で切りそろえられたボブカットの赤い髪。快活な声。この【給仕】も美しいが、しかし、テネブルとはまた種類が違う。
愛くるしい、という方が近しいかもしれない。指さしで伝票と金額を確認する彼女の姿に純粋な庇護欲がかき立てられる。カミルに年の離れた妹がいるからかもしれない。
「3600ミルですね!」
「2800だ。そんなに大食いの大酒飲みになった覚えはないよ」
エール1杯が380ミル。適当なツマミも注文したが、それも900ミルほど。これではカミルは余分に2杯ほど飲んだことになる。
このごろのエールは酒気が強く、また長く続いた戦争の終結後、国全体の景気も良いので1杯量もかなり多い。通常の飲料水であれば1日かけて飲み切る量だ。ゆえに、大概の男も3杯ほどで満足できる。7杯も吞めば、その日の酒場で主役になれるだろう。
だいたい、計算が合っていない。彼女の会計では割り切れないのだと、カミルが飲み干した5杯と、やはり人並み以上は飲酒している脳みそで素早く算出していた。
「ああ、すみません! すみません! 私、昔から計算が苦手で!」
慌てて頭を下げる彼女は騒がしいが微笑ましい。単純に酒と会話を楽しむこのような店では、この小娘のような快活さが相応しいのかもしれない。
「別に構わないさ。ただ、もう少し落ち着くと良いかもしれんな。特にお金に関するときは」と、カミルが手渡した貨幣を見て、【給仕】は目を丸くする。
「あ、あれ? 多いですよ? お代は2800ミルだって」
「心付けだ。君は俺の妹に似ている」余計なことを言った、とわずかに悔いた。
「はあ……。それは……」
【給仕】の表情が曇る。疑問を得て、しかし口に出すのを憚っている表情だ。
気を遣わせてしまった。
「いや、なに。そんな顔をするな。別に、妹は死んでなんかいない。もう長い間、会えていないが」
カミルが細くすると【給仕】の顔がパッと明るくなる。わかりやすい奴だ、と今度は彼が苦笑を堪えられなかった。
「代わりと言ってはなんだが、君の名前を教えてくれないか」
「ルーン。ルーンと申します」
彼女の笑顔は蔓延る湿気をいっぺんに晴らしてしまうのではないか。そんな馬鹿な錯覚を呼び起こすほど、ルーンと名乗る少女は乾いたカミルの心に清涼な風を吹かせた。
カミルはルーンに対して、恋慕とは異なる特別な感情を抱いたことに偶然の糸の仕業を感じた。
ルーンとは彼の妹の名と同じであったのだ。
この奇妙な偶然に気づくはずもないルーンは別の客に呼ばれ、カミルに深いお辞儀をした後にすぐに賑わう酒場の一部に溶け込んでいった。懐かしい、捨てた故郷の風と同じ匂いを残して。
カミルにとっては呼び止める言葉も理由もない。しばらく、この街に滞在しなくてはならないし、その間にまたこの店に訪れたらよい。
会計は済ませたのだ。店を出よう。
荷物を纏めて、席を発ったところで「あら、お客様」と呼び止められた。
テネブルの声だ。
彼女の声は決して大きくは無いが、氷柱のようによく通る。そのおかげでいくつもの会話が飛び交うなかでもはっきりと聞きとれた。
「お釣り、お忘れですよ。やはり、吞み過ぎではございませんか」
「お釣り?」とカミルは訊き返す。
確かに、注文以上の代金は支払ったが承知の上かつ、ルーンに手渡したはずだ。それを彼女ではなく、未だカウンターの内側に立つデネブルが指摘するとは。なぜだ、と席に戻ると答えは明確だった。
ルーンに渡したはずの3600ミルが先ほどまでカミルが使っていた机の上に置かれていた。紙幣と硬貨が分かれていることから、デネブルがしっかり数え直してくれたのだろう。
カミルは頭を抱えた。自分の渡したお金を放置されたからではない。お金と言う大事なものを机の上に忘れて行ってしまう、ルーンの不注意さに心配と──余計なお世話であるところの──将来への不安が小さな頭痛を引き起こしたからだ。
「いかがしましたか?」
「なんでもない。気づいてくれてありがとう。これはお礼だよ」
カミルはお釣り(あるいは余分)の800ミルのうち、400ミルをデネブルに渡した。残り、400ミルは今度ミルに接客された際に渡せばいい。減ってしまったのは己の不注意ゆえだと、小言も付け足そう。
「痛み入ります。“冒険者”様から頂戴したお心付け、大事に使わせていただきます」
「なにを。朝食代にもならぬだろうよ」
デネブルほどの女であれば、たった400ミル。1杯のエールとチーズの盛り合わせ程度にしかならぬほどの心付けなど、極めて少額の部類なはずだ。
それでも、彼女はカミルが【ヤドリギ】を出るまで、頭を下げ続けていた。
雨は止もうとしていた。
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