クラゲは一人じゃ泳げない

亜未田久志

第1話 漂流した私

 

 南浜高校は海に面した地に建てられた名前に恥じない場所だった。此処が私の新天地。それに私は胸がはず……まなかった。むしろ憂鬱だった。高二の春、親の転勤に付き合わされて仲良かった友達と別れてゼロからのスタート。憂鬱にならないわけがない。海が見える廊下に立ち窓の隙間から流れ込む潮風を浴びながら、私は教室の前で先生の合図を待っていた。

『えー今日からこのクラスに転入生が入ってくる事になった、入って来ていいぞ』

 ドア越しの声を聴き、私はおもむろにスライドドアを開ける。視線が私に集まるのを感じる。恥ずかしい。

 だけど、そこで私は出会ったんだ。視線の先、教室の一番前。

 赤い髪をした女の子。

 私は教室の一番前、その子の前に立つと。

宇美野月果うみのつきかと言います。よろしくお願いします」

 深々と頭を下げる。拍手と共に私は2-Aのクラスへと受け入れ……られなかった。唯一、赤髪の子だけが、拍手をしていなかったから。

「ん、じゃあ宇美野は一番後ろの席な」

「あ、はい」

 あんまり視力よくないんだけどな、と思いながら、あの子から離れて良かったとその時は思っていた。


 授業をつつがなく終わらせた放課の時の事、つかつかつかと上履きがフローリングを鳴らす音が私に近づいてきた。ふと顔を上げて誰かと思えばさっきの赤い髪の女の子だった。

「よう、クラゲ」

「……?」

「お前の事だよ」

「わたし? なんでクラゲ……?」

 すると彼女はスマホに文字を打ち込み始めた。そしてその画面を見せてくる、起動していたのはメモ帳のアプリだったらしく、そこにはデカいフォントで。

『海の月か』

 と書かれていた。

「だから、クラゲ」

「……くらげ、クラゲ、海月クラゲって漢字違うし」

「あははっ細かい事気にすんなよ、アタシは流亜子ながれあこ。亜子でいいぜ」

「はぁ」

 もっと不愛想な子かと思ったら、案外、竹を割ったような性格をしている。その時はそう思っていた。快活に笑う姿がとても可愛らしかったから。少し小柄な亜子ちゃんは私をじろじろ見つめる。

「クラゲ、お前ってば背ぇ高いのな」

「まあね」

「ひゅー褒められなれてんねぇ」

「褒めたの? 今?」

「おう」

 よく分からない子だ。確かに私は背が高い方だったけれど。別に二メートルとかある訳じゃない。百……七十いくかいかないかくらい。亜子ちゃんは百六十くらいに見えたから、まあ身長差はある。

 おもむろに席から立ち上がって亜子ちゃんを見下ろしてみる。

「お? なんだ急に見下しやがって」

「見下してないよ、見下ろしてるんだよ」

「一緒だよバカクラゲ」

 お腹に一発軽い腹パンを喰らった。別に痛くなかったけど。あまりにも軽い拳はそよ風のようだった。まあ力加減をしたのだろう。私は痛がったフリをして。

「いったーい、いきなりお腹殴るとか……」

 と大げさに振る舞ってみる。すると亜子ちゃんは。

「ふん、どうせフリだろフリ。分かってんだ。こんな体じゃ力も入らねぇ」

「?」

 いったいなんの話をしているのだろう、と思った。すると亜子ちゃんは淡々と語り出した。

「このクラスのやつなら全員知ってる事だからお前にも話しといてやる。アタシは体に上手く力が入らない病気なんだ。重いものも持てないし、長時間立ってもいられない。一人じゃ生きていけないクラゲみたいなもんなんだよ。あ、今のクラゲはお前の事じゃないぞ?」

「……うん、分かってるよ」

 手加減をしたのではなく、あのそよ風のような拳が本気の一撃だった。まず人のお腹に本気の一撃をかまそうとした事の是非はおいておくとして、それが事実なら彼女はかなり力が弱いのが分かった。

 長時間立っていられないというのも本当らしく、近くの空いてる席に座った。

「だからさ、いつ死ぬかもわかんねぇ」

「そ、うなんだ」

「笑えよ。冗談だって」

「あはは……って笑えるかーい……なんて」

 亜子ちゃんはどこか寂し気に笑う。私はただ彼女の細腕が今にも壊れそうな硝子細工に見えていた。

「亜子……ちゃん」

「ん?」

「よかったら、さ。連絡先、交換してよ」

「またなんで」

 私は一呼吸置いて。

「友達になろう、そんで遊ぼう」

 と宣言した。すると彼女は目を丸くすると。

「いいぜ、けど、あんまり長時間は遊べねーけどな」

「分かってる、でもほんの少しでも亜子ちゃんが自分の体の事を忘れちゃうくらい楽しませてみせるよ」

 赤い髪の少女は小首を傾げて私に問う。

「どうしてクラゲがそこまですんの?」

「だってクラゲ仲間だから」

 そう返すと硝子細工の少女は繊細な笑みを浮かべる。心の底から笑うときっと彼女はそんな笑みを見せてくれるのだろうと思った。

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