第2話 一輪の花

 赤褐色の荒野が一面に広がっていた。地形の隆起はなだらかで昔、映像で見たどこかの砂丘によく似ていた。大気中に巻き上げられた砂は上空で滞留し、恒星からの光を遮っている。


 光合成ユニットを取り出して、背中に背負うと、それを展開する。薄い半透明の化学反応シートがマントのように翻る。この程度の光量でも、十分に機能するはずだ。光合成ユニットは簡易的な携行食の生成と酸素の生成を行う。おかげで、母船から離れても数日間であれば単独での行動が可能となる。


 宇宙服に組み込まれたセンサ類は惑星の地表を歩いているだけで様々な情報を取得する。ただ歩くだけなら人間でなくとも、あるいはアンドロイドでなくとも、単純な機構を持つマシンで容易に行えるように思う。しかし、本社セントラルの連中が言うにはそれを加味しても人間が最も安いのだそうだ。


 しばらく、歩いていると遠くの方でらせん状に粉塵が巻き上げられているのを確認した。視界の左側へ向かって移動しているそれは竜巻を彷彿とさせる。小高い丘状になっている地形を上って、詳細を目視で確かめる。


 すると、巻き上がる砂の根元に巨大な灰褐色の塊が見えた。ヘルメットに備え付けられた光学ズームを使う。大地から突き出た巨大な岩石のような物体の表面は鱗に似た組織で覆われている。地面との接地面からは、まるでそこから風が吹き出しているかのような勢いで粉塵が舞っていた。


「ありゃ、なんだ?」


 思わず、独り言ちる。


 竜巻の正体は自然現象ではなく、生物だったのだ。ヘルメットは全長がおよそ1000m前後であることを告げている。生きものが生息する惑星は宇宙開発が始まって数百年経った今でも相当に珍しい。俺は報酬が跳ねあがるであろう事実に高揚しつつも、なぜか体はこわばっていた。あの巨大な生物には逆立ちしても勝てないことを本能で認識していたのだ。


 巨体が高速で移動しているせいなのか体の周囲に特殊な気流が発生し、足元で舞い上げられた粉塵が竜のごとく天高く昇っていた。俺は、やつが遠くの方へと走り去っていくのをただぼうっと眺めていた。圧倒的な強大さを前にして、恐怖で足がくすんでいたのか、あるいは荘厳な光景に見とれていたのか。そのせいで、巨大生物を追いかけるように移動する小さな斑点に気が付かなかった。


 斑点の一粒一粒は、巨大生物の残滓ではなく、それ自体が独立した一つの意思を持っているように見えた。ヘルメットはそれらの粒の大きさが1m未満であることを告げている。しかし、違和感があるのは、その小ささに対する移動速度だ。巨大生物の数㎞後方にぴったりとくっつき、間隔が広がることはない。


 俺は無意識のうちに、そちらへ足を進めていた。異星人の理解を拒むあまりに特異な景色の正体を知らずにはいられなかった。当然、俺があれらに追いつくことは不可能だが、それでもやつらを追いかけるべきだと直感的に判断した。


 なだらかに隆起する地形を登っては降りを繰り返す。二時間と少しをかけてようやく目的地にたどり着く。大地が削り取られた細長い窪みがずっと先の方まで続いている。細長いと言っても、幅数百mはくだらない。何も知らない状態であれば、自然現象によるものだと即断するだろう。


 水の干上がった大河にも見えるその谷上の地形の先端には、天高く巻き上がる砂煙の竜がいる。あれほど壮大な生物と接触した人間は俺が初めてではないだろうか。

 茫漠とした星の表面で感慨にふけっていると、少し離れた位置に黒光りする何かを視認した。それが有機物であることをセンサが示している。鈍色の巨躯を追っていた矮小な方の生物だ。


 全長50㎝程のそれを間近で観察すると、思いのほか体の構造がシンプルであることに気づく。形状は流線形であり、尖った方と丸みを帯びた方のそれぞれに小さな穴がある。艶やかに光を反射する体表を指で突っついてみると、ゴムのような弾力をしていた。おおよそ生物とは思えない、人工物のような印象だ。


 と、そこで宇宙服が警告音が鳴らした。


「背後に未定義の物体を検知」


 跳ねあがるように体を半回転させると、眼前には深緑色をした半球がぺったりと佇んでいた。両手で抱えるくらいの大きさをしたボールをちょうど真っ二つに切ると、こんな形状になるだろう。


 突如現れた謎の半球は、球の頂点にある穴から呼吸のような音を鳴らす。そして次の瞬間、破裂音と共に砂煙を上げて飛び上がった。


「うわっ」


 俺の顔の高さほどまで飛ぶものだから、思わず声を出して後ずさる。どさり、と再び地面と接地した半球は俺との距離を縮めていた。おそらく、これがこいつの移動方法なのだ。


 『ぎゅー』と空気を吸い、『ぱんっ』と弾ける。体がふわっと浮き上がると、そのまますとんと落下する。俺はどうすることもできず、困惑気味に道を譲る。彼は流線形をした生物のそばまで移動すると、そこからしばらく動かなくなった。


 『ぶるる、ぴひゅー』と細かな高低のある音が静謐な惑星に響き渡る。宇宙服はその音声をマイクで拾いあげると、ヘルメットに文字列を表示した。


『ああ、哀れな同胞よ』


「おい、まじかよ」


 異種族の言語を今この場で翻訳したというのか。一体どんな仕組みなのか。


「こっちの言葉を向こうの言葉に翻訳することもできるのか?」


『可能です』


 俺は、思いのほか高性能な宇宙服に身を包んでいたようだ。本社セントラルの連中も案外悪くない。


「お前、俺の言ってることが分かるか?」


 俺が話した数秒後に、空気がゴムの筒を弾くような音声が、宇宙服のどこかしらに搭載されているスピーカーから流れた。


 謎の半球はその場で飛び上がると、そのまま同じ場所に落下した。予想外の声に驚いたのか、あるいは体の正面をこちらへ向けたのか。彼のどこからどこまでが正面と呼べる部位なのか、俺にはまるで判別がつかなかった。


『あなたは、我々の言葉を話せるのですか?』


「まあ、そんなところだな」


 厳密には、俺の力ではなく宇宙服に組み込まれた翻訳機のおかげだか。


『我々とは姿が違う』


「俺は宇宙を支配する人間サマだ。お前は?」


『<翻訳不能>』


 翻訳機は、固有名詞を翻訳しきれなかったらしい。空気の摩擦音をあえて文字におこすなら「ブルーム」といったところだろうか。彼こそがこの星に唯一咲く花という訳だ。

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