第12話
選挙事務所のスタッフになるのは、日ごろの探偵業で他の仕事になりきることに比べれば、難しくはない。選挙活動においてはボランティアを無数に必要としているし、そのボランティアの一人一人の顔ぶれを全て網羅しているほど、時間はないのだろう。ボランティアをするはずだった人に金を渡して、代わりに入ることができた。
水樹と陽希は、目立たない役回りを選んで、山田勝彦の選挙ボランティアに励んだ。先に公園で変装したとおりの格好で、ビラを配るために、そのビラを既定の枚数ごとに分ける作業だ。環境問題に力を入れているらしく、空調は控えめで、始めは肌寒く、動き回っているうちに暑くなってきた。
水樹が汗を袖で拭っていると――普段ならハンカチで拭うところであるが、変装中ゆえ偽のキャラクターを維持したい。気持ち悪いと感じたが我慢だ――そこに、一人の中年の男性が、水の入ったペットボトルを持って寄って来た。
「俺が自費で今買ってきたものだから、先生の立場は考えなくても良いぜ」
選挙ボランティア慣れしている気遣いを見せた、この男は、
「俺はなぁ、先生に賭けてるんだよ。俺なんか育ちもよくなきゃ稼ぎも悪い貧乏人だが、先生は目を掛けてくださっている」
計良は自分もペットボトルから水を飲むと、水樹の肩を勝手に組んだ。
「先生は政治家としての地盤もしっかりしていますからね」
先ほどの演説で、「父の代からこの区について考えてきました云々」と言っていたのを聞きかじっただけだが、何となく口にしてみる。肩に乗った馴れ馴れしい手を振りほどきたかったが。
計良は深く頷く。
「お父さんの尽力も勿論ある。だけど、先生は気取ったところが全然ない。他の二世議員とは大違いのインテリジェンス!」
「ええ、計良さんのおっしゃる通りです」
「知ってるか? 先生は元中学校の教師。其処で環境について生徒に教えてて、この地球温暖化だとか、そういうことを解決するには、政治だって気づいたんだそうだ。俺みたいな底辺の人間とは全然違う。先生についていけば、社会の課題は全部解決だ」
そんな奇跡はありえない。と、指摘してしまって話の腰を折るのも、情報を得られなくなる可能性がある。今はなるべく、あの日焼けするほど頑張っている立候補者と、周りの人間関係を掘り下げる必要があった。なぜなら、水樹は目を着けていたからだ。
「先生は素晴らしいです。でも、秘書の彼はどうでしょう」
――そう、あの秘書に。
地元議員の傍で働く若手の秘書。年齢的にもルイ・ナカムラに近そうだ。ルイ・ナカムラの部屋の写真には写っていなかったが、もし秘書業を極めて次の立候補を狙うなら、過去に固執し、殺害にまで至る動機もある――万が一、女性を襲っていたならば、政界に関わる彼にとって、最も汚点だろう。ゆえに過去を知るルイ・ナカムラとは表立った交流をせず、動向を探っていた。と、考えれば、つじつまは合うだろう。
「僕としては、先生は尊敬していますが、その秘書が真面目に働いているとは、とても思えません」
水樹が一言言っただけで、計良の人当たりのよい笑みを浮かべた目が、急に三角形になった。
「そんなことを言うもんじゃねぇぞ」
水樹はキュウリを見た猫のような顔で計良を見上げた。ため息を一つ漏らし、落ち着きを取り戻してから、計良は続ける。
「良いか、あの人は先生の第一秘書であり、唯一の秘書として勤めている優秀な方だぞ。もとは検事だったが、先生の志に惹かれて、秘書になったクチだ。山田先生は、秘書さんの中学校時代の恩師だとも聞く」
「勉強不足で失礼しました」
「それだけじゃねぇ、あの秘書さんは、僅かな休日には、自分で立ち上げた非営利活動法人の活動をしているのさ」
「非営利活動法人? いったいどんな」
興味津々という顔を作って、体を前のめりにする。
「嗚呼……確か、事件の被害者を守るための一時避難用のシェルターの運営と、その費用集めに、クッキーを販売する店を開いて、そこをシェルターの元住人の手で運営してもらってるらしい。事件の被害者だって言うのに、『何でこうしなかったんだ』『こうすれば防げたのに』とか、誹謗中傷される人は多いんだって。世も末だな」
「社会的な弱者を救おうとするのは、なるほど、立派な人格者だ。やはり、先生が志士仁人だから、そんな先生の周りには、似たような方が集うと。勿論計良さん、貴方もそうですよ」
水樹が眼鏡を中指で擡げながら言うと、計良はまんざらでもない顔で、そうか、と髪を掻いた。そうだとも、こんなに簡単に情報をくれる口の軽い人は、そう多くはいない。
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