第7話
ルイ・ナカムラの自宅の捜索は終わった。分かったのは、ルイ・ナカムラという人間が、充分以上に稼いでいたのに、何故か引っ越そうとはしていなかったこと、そして、一冊のノートに日記を残していたことだ。
帰りの車中、水樹と陽希は運転を理人に任せて、後部座席に乗り、そのノートを開いた。ノートには、几帳面な字で、ルイ・ナカムラの素直な感情が綴られていた。
序盤は、ネット小説家として徐々に人気になっていくことへの喜びや、SNSに載せるほどでもない日々の出来事などが書かれている。しかし、中盤から、内容から不安定さが滲むようになってくる。
水樹は、それらの中の印象深い文章を、いくらか読み上げた。
「あの過去の事実が僕をずっと苛んでいる」
「罪を償うことは出来ないのか」
「ここに住んでいることがあの人にばれたらどうなるのだろう」
その一方で、何らかの意を決したような記述がある。
「僕がどうなっても、僕はこの事実を公表する」
「小説と言う形であれば他人に迷惑を掛けることはないだろう」
そして、いよいよ終盤になると、具体的な精神的の不安定の理由について記載されていた。水樹は一度息を呑み、それから静かに朗読を続ける。
「『僕は中学生のころ親友と共に訪れた、あの別荘で、あの日、親友が彼女を犯しているのを見てしまった。ひどい熱帯夜で、皮膚を打ち合う、粘り気のある音が忘れられない。僕はあくまで見ていただけだ。だが、其処が問題だ。見て見ぬふりをした僕は同罪と言える。そのせいで、彼女は精神を病み、親と揉めた挙句、親に理由すら言えないままに、親が彼女を突き飛ばした拍子に死んでしまった。その悲しみは想像を絶する』……つまり、ルイ・ナカムラは、とある性的暴行の光景を目撃し、性暴力を行った犯人に拠って、口封じで殺されたということでしょうか」
「その話、今はやめて」
顔を上げると、陽希が恐ろしい形相になっていた。
次の瞬間だった。陽希に表情の意味を問う暇もなく、わずかに車が揺れ、前の座席の背もたれに、水樹は捕まった。陽希はもう、前の座席の間に顔を出し、手を伸ばしていた。ハッとなって運転席を見ると、理人が胸を押さえて、顔を青くしていた。「人の顔が青くなる」なんて表現は嘘だろうと水樹は思っていたのだが、実際に青かった。と言っても、この瞬間、現実的に、そんなことを考えている余裕はなかったが。陽希がハンドルを持って運転を立て直すとともに、ひと様を巻き込まないように、車を道の脇に寄せた。
嘔吐反射を繰り返しながら、ハンドルに寄り掛かって苦しんでいる理人を、後部座席から見て、水樹は暫く動揺のあまり、何もできなかった。陽希が手を握り、少しだけ落ち着いてきたころに、ようやく救急車を呼んだくらいだ。救急車には、陽希が乗り込んだ。水樹の不自由な足で歩いて帰るには事務所は遠く、タクシーを呼んで帰った。
タクシーの中でも殆ど放心状態。事務所に戻ってからも、ソファに座って、時計の針の音を聞くばかりで、何も手につかなかった。勿論、車が間もなく事故を起こしそうだった恐怖のせいもあるが、普段ちょっと嫌味でありながら落ち着いている理人が、急にあんな不調になったことがショックだった。
「ただいまぁー」
陽希が、自宅みたいに帰ってきて、目が覚めたような気になる。時計を見ると、事務所が閉まる定時よりずっと夜が更けていた。
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