手記:医療チーム所属財団員のぼやき

第48話 あなたの声で

 


「…………しんど……。」



 私――井上めぐみは喫煙所でエナジードリンクを片手に天井を見上げていた。特に美味いわけでもない煙草を咥え、吐き出した煙が天井に取り付けられた換気扇に吸い込まれていくのをぼーっと眺めた。


 医療現場というものはどこであっても戦場であるらしい。先輩ナースからの有難い指導に、肉体労働、患者からのセクハラ、汚物処理やキツイ実習。決して綺麗な仕事ではない。子供の頃読んだマンガに出てきたような、ミニスカートを着こなしてキャップを被った素敵なナースになるのが小さい頃からの憧れだった。夢見たナースは常に笑顔を忘れず、キラキラしていた。

 両親と兄は現役の医療関係者で、私がナースになりたいというと大層喜んでくれたものだった。恵まれた家庭に育ったと大人になってからつくづく思う。私立の高校に通わせてもらい、医大にも進ませてもらった。

 財団に入るまで都内の総合病院で働いていたのだが、その人間関係の煩雑さやしきたりに辟易して数年で辞めてしまった。


 それでも、医療によって人を救いたいと思う気持ちは変わらない。ひょんなことからSCP財団にスカウトされ、そこで働くことを決意してから早3年が経った。



「なにやってんだか……。」



 今となっては慣れてしまったが、SCP財団の救急外来現場は異常だ。戦争だ。本物の戦場だった。

 看護師としての業務の範疇を超える事も多々あるし、医務室に運ばれてくるのは人知を超えた存在によって傷付けられた人たちばかりで、その傷も異様なのだ。内臓が1歳児程度のサイズまで委縮した、だとか眼球が破裂した、だとか手足がぐちゃぐちゃだとか。彼らの悲痛な叫びや、その光景が脳裏に焼き付いて離れない。そもそも医療でどうのこうのできるような案件が少な過ぎるのだ。処置を施したところで只の延命措置に過ぎないし、無くなった部位が再生するような超次元的現象を起こせる訳でもない。施術後に汚い言葉で罵られた事もある。「なんで俺を助けたんだ!」って。



「はぁ……。……世那ちゃん元気かな。」



 仕事が嫌になった時、同期の彼女の事を思い出す。一緒に過ごしたのは研修期間のたったの数か月だが、その後も数回館内で見かけることがあった。彼女は財団のジャンバーを颯爽と着こなし、いつもしゃっきり伸びた背筋で歩き、生き生きとしているように見えた。私とは大違いだ。窓に映る私はぼさぼさの髪に、目の下には青いクマができてしまっていて、何とも情けなく見える。配属当初は頑張ってた化粧も、今ではファンデーションを塗って眉毛を描くといった最低限だけになってしまった。



「……私と世那ちゃん、何が違うんだろ……。」



 彼女には困っている人を助けたいという信念があって、そのためならば自分を犠牲にすることも厭わない。でもそれは私だって同じ気持ちだ。少なくとも、3年前は。憧れであり、尊敬する同期。違うフィールドで私たちは戦っている。私は医療で、彼女は現場で。それでも同じ志を持つ者として、くじけそうな時は彼女の姿を思い出すのだ。しっかりしろ、自分。


 ぱん、と頬を叩く。



「……よし、頑張ろ。」






 


 ――井上めぐみ。彼女は後に、自分が白衣を着た悪魔と呼ばれることをまだ知らない。












 


「医療チーム派遣?」


「そう。井上さんもかなりできる様になったから。そろそろ行って貰おうかと思って。」



 SCP財団日本支部医療チームの轟副長から呼び出され一体何事かと思いながら執務室を訪ねると、予想外の言葉を掛けられた。

 できる様になった――。その一言で頬が緩んでしまいそうになるのを上司の面前だからと自重する。やはり、仕事ぶりを評価してくれる人はいるのだ。3年間、辛い業務を我慢した甲斐があるというものだ。それに今までSCP財団日本支部の医療室に籠り切りだったので、外の現場に出られるというのは良い気分転換にもなりそうである。



「喜んで承ります。」


「そう、助かるよ。井上さん、出張は初めてだし、今回は阿比留君とバディを組んでもらおうと思うんだけどいいかな?」


「阿比留さんと?良いんですか。私が?」


「ふふふ。なんとね、彼からのご指名だよ。」



 阿比留 伸。医療チームのみならず、彼の事を知らない財団の女子は居ないだろう。医療技術や知識は素晴らしいものを持っているし、人当たりも良くて人望もある。だが何よりも彼を有名たらしめんとするのはその甘いマスクだ。アーモンド型の流線を描く目は優しげなまつ毛で縁取られ、すっと伸びた高い鼻に、微笑みを絶やさない薄い唇。そして、左目の下にある泣き黒子がなんとも魅惑的なのだ。

 優秀で、性格も良くて、見た目も良い。そんな彼に親しい女性がいると予想する人は多いだろうが、彼の紳士ぶりを表すエピソードがある。


 ――既に殉職してしまったが、彼に好意を寄せる美人で評判の女性が食事に誘うと快く快諾され、食事を共にした。下心もあって女性は自宅へ誘ったが、彼は丁重に断り、彼女を家まで送り届けて帰ったそうだ。きっとその女性はやきもきした事だろう。彼女がいるのではと囁かれていたが、本人談だと恋人は今まで一度も作ったことが無いらしい。


 そんな彼が、私を選ぶ理由なんていったい何だろうか。とりわけ優秀なわけでも、美人でも無いと自分で理解している。凡人には分からない基準で私を選んだのだろう。



「……それで、どんな任務なんですか?」


「SCP-939が東北で新たに見つかったんだ。君と阿比留君には、機動部隊と行動を共にして負傷したスタッフの治療を任せたい。」


「SCP-939?……聞いた事があるような。」


「多分入団後の座学で聞いたんじゃないかな。記憶処理材の遍歴について覚えているかな?」



 数年前に受けた講義の内容を手繰り寄せる。確かに、テキストに写真付きでそいつの説明が書かれていたような気がした。赤くて、4つ足の化け物。その強烈なイメージはしっかりと頭に記憶されていた。



「えぇっと、AMN-C227でしたっけ。クラスC忘却物質の。」


「その通り。奴の体内には記憶があやふやになるガスが作られる器官があって、財団はそいつを記憶処理剤として利用していた時期もあるんだ。色々問題があったから結局使用禁止になったんだけれどね。まぁそんな感じでSCP-939は比較的研究が進んでいるから、相対した時の対応や処置など分かっていることが多いんだ。だから君の初現場に相応しいと思う。詳しい事は阿比留君から聞いてくれ。それじゃ成果を期待しているよ。」


 






後書き

この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。


Author: sinema

Title: SCP-939 -数多の声で-

Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-939

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