鳴瀬研究チームのScip実験
第38話 美味しいザクロの調理法①
長い黒髪を結わえた理知的な印象を受ける美女――鳴瀬瞳はコーヒーを片手に思案する。彼女の頭を悩ませているのは、つい昨日持ち込まれた患者に関するとある問題が原因である。
「砂糖が足りないわ」
机の引き出しから透明な瓶を取り出す。長いネイルをトング替わりに、その中から3個程の角砂糖を掴んでマグカップに投入し、一口啜る。甘さに満足したのか、彼女はファイルに丁寧に綴じられた資料をペラペラとめくりながら思案する。
夢中になって資料に目を通すうちに、気が付くとコーヒーはいつの間にか全て飲み干してしまっており、マグカップは空っぽだった。
「星谷君、お替わり頂ける?」
鳴瀬は20代前半のいかにも若手といった見た目の男性に声を掛ける。彼は元気よく返事をすると、すかさずサーバーを手に取り慣れた手つきで彼女のマグカップに熱いコーヒーを注いだ。
「チーフがこんなに悩むなんて珍しいですね。」
淹れたての熱いコーヒーに角砂糖が次々に投下されていくのを見て、星谷は鳴瀬がご機嫌斜めであることを知る。失言だったかと思い、思わず姿勢を正すが、鳴瀬は思った以上に迷っていたのか、ぽそぽそと話し始めた。
「星谷君、これ見て。……貴方、どう思う?」
そう言うと彼女はファイルを星谷に手渡す。
「……良いんですか、僕が見て。」
「フレッシュな意見が欲しいわ。忌憚のない意見を聞かせて欲しいの。」
財団の中でも群を抜いて優秀な上司からアドバイスを求められ、星谷は飛び上がりそうなほど嬉しくなった。ついに僕も、チーフに頼られる男になったんだ。あぁ、でも彼女をがっかりさせる意見を言う事だけはあってはならない――そう息巻いた彼は嬉々としてページを捲るが、すぐに情けない声を上げた。
「……これって、SCP-890-JPの報告書ですよね?何か問題が?」
「15ページ目」
星谷は急いで言われたページを捲り、よくよく目を凝らす。
「……人肉が湧く皿?これはまた、スゴイ代物ですね。」
内容は、精神鑑定に回された患者:須山氏(POI-5819₋JP)を狂わせた物品について詳しく記載したものだった。写真が載っている。蓋付の平鉢だ。いつの時代に作られた物かは骨董品に疎い星谷にはさっぱり分からないが、青と赤の塗料で描かれた模様が実に美しい。某鑑定番組なら、いい値段がつけられても可笑しくない程の値打ち物のように思われたが、如何せん”人肉が湧く”その余計な一文のせいで得体のしれない不気味さを醸し出している。
「星谷君、惜しい。もっと発展した思考をしなきゃいけないわ」
ぴしゃりと鳴瀬が活を入れる。そうだ。今の発言はただ感想を言っているだけだ――。建設的な意見を出さなくては失望されてしまうかもしれない。そう思った星谷は慌てて脳みそをフル回転させた。
「えぇーと……オブジェクトクラスはsafe。えー……処分方法にお困り、とか?」
「違うわ」
鳴瀬はため息を吐き出し、実に真剣な面持ちでこう言ったのである。
「人肉ってどんな料理が向いてると思う?」
「倫理観どこに落としてきたんですか?」
これには思わず突っ込まざるを得なかった。だが無礼極まりないこの突っ込みを彼女は嬉しそうに受け入れる。彼女は無邪気に研究・仕事をしていただけなのに優秀であるが故偉くなりすぎてしまったのだ。そんな彼女に意見できる者は一握りだ。その一握りに星谷は何故だか数えられていた。
「いいわ、いいわよ星谷君。あたしにそんな事言えるの、貴方くらいよ。さぁ、もっと聞かせて頂戴!」
「いや……そもそもカニバリズムは禁忌でしょう。少なくとも日本では。”遭難して食料が無く、仕方なく仲間の肉を食べた”だとか、”どこかの部族が儀式や伝統的なものとして食す”とかなら分かりますけど。」
「バレなきゃいいの」
鳴瀬主任と言えば、”黙っていれば美人”と評されるが、本当にその通りなのだ。ちょっと思考が常人の上を行き過ぎているだけの才女なのだ。そんな彼女の傍に置いて頂けるだけ幸せな身分なのである。星谷は自分を言い聞かせた。
「それに、カニバリズムは病気を引き起こすんじゃないですか?確かパプアニューギニアのフォレ族の風土病にクールー病というのがあったはずです。彼らは葬儀の際、遺体を食べる習慣があります。」
「クール―病は悪性のタンパク質プリオンが脳に蓄積することによって引き起こされる。彼らは遺体の脳も食べていたからクール―病に罹患しやすかった。神経細胞を食べなきゃさほど大きな問題ないわ。」
それに、と鳴瀬が付け加える。
「人肉食の可能性が広がったら、視野が広がると思わない?例えば、近い将来……脱酸素を謳う世の中が来るでしょうね。地球温暖化にかこつけて色々言いたい奴がごまんと現れるわ。豚とか牛とかが0から食べ物になるまでの過程で、Co2が多く排出されるとか考える世の中になる。そうなったら、何を食べるようになると思う?……恐らく虫よ。あたし、虫嫌いなの。絶対無理。」
鳴瀬はげぇっと、舌を出して見せた。確かに、虫を食べるのは抵抗感がある。日本でもハチの子やイナゴの佃煮を食す地域があるのは知っているが、進んで食べようとは思わない。だからと言って人を食べることで解決するとは到底思えないが。
「それで、地球の未来のために人肉レシピを開拓しようという訳ですね?」
「ビンゴよ星谷君。でもそれだけじゃない。研究者たるもの、様々な体験をすることが凄く大事なの。視野は広ければ広い方が良い。勝手に狭まっていってしまうものだから、抗わなくてはいけない。人が普通考えない事や体験したことない事に興味を持つべきね。……そんな変な奴が人類の歴史を発展させてきたのだから。」
星谷祐樹26歳、青天の霹靂。
――なんて人だ。……この人に一生着いていこう。今、心が打ち震えている。彼女の瞳が見据えているのは未来の希望なのだ。運命の女神よ、僕を彼女の傍に居させてくれて有難う――。
「僕でよければ、お手伝いさせてもらいます!それで、具体的に僕は何をしたらいいですか?」
意気揚々と返事をすると、「料理して」……と鳴瀬が呟いた。
「貴方、お昼いつもお弁当作ってきてるじゃない。可愛いお弁当。料理が上手だと見受けたわ。」
「弟達の弁当の残りですよ。まぁ確かに……料理は得意ですが……。」
「あたし、料理は苦手なの。それじゃ、よろしく。一緒に人類の未来を創りましょう。」
「そんなぁ」
人肉を調理する光景を想像して背筋がざわざわと粟立った。トラウマになったらどうしてくれようか。そんな不安が脳裏にもたげたが、その時は記憶処理剤でも打ってもらおうと思い、諦めて開き直ることにした。
【あとがき】
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
Author: tonootto
Title: SCP-890-jp -培養肉のジャータカ-
Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-890-jp
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