第36話 シーヒューマンは総世主の夢を見るか④

 濾過装置の改善が功を奏したのか、水の汚れは翌日にはすっかり元通りの透明さを湛えていた。破壊された家屋の瓦礫はまだ残っているが、シーヒューマン達の働きにより大方片付きつつあった。彼らは仕事熱心で真面目だ。復興を目指して雄雌関係なくせっせと一丸になり働く姿は実にいじらしい。

 それに戦争を経て大きく変わったことがある。シーヒューマン達が葉山の存在を認知したのだ。時折食料を天から降らせ、適切な水温を常に保ち、住みよい環境を与えてくれる万物の創造主こそが葉山だ。葉山が水槽を上から覗き込めば、気づいたシーヒューマンは両手をいっぱいに広げて何かを叫ぶようになった。彼らの言語を知らない葉山には口をぱくぱく動かしているようにしか見えないのだが、崇め奉られているのだと考えていた。この小さくてか弱い生物が、生きるために自分へ絶大な信仰心をおいている――そう考えただけで葉山の心が満たされていく。


 街の住宅は高密度化し、所謂郊外に集落がいくつもできた。住居の増加は人口の増加を意味する。

 結果的に言うと、戦争前の数はゆうに超え、数を数えることは最早不可能になっていった。何万の生体がいるのだろうか。水槽の底に敷いてあったサンゴ砂は、縦横無尽に這い回るアスファルト道路に覆われて見る影も無くなってしまった。その道路を、微生物に曳かせた荷馬車が走り、いつの間にか自動車が黒い液体を滲ませながら走るようになっていた。底に転がしてあったライブロックは鉱山と化し、いくつも穴をあけられてその穴から薄汚れたシーヒューマン達が出たり入ったりして何かを掘り出しているのだった。その麓にも集落が出来、栄え、町へと発展してゆく。そして街ができ、黒煙ならぬ黒液を吐きながら蒸気機関車が街と街を結んでいく。水槽の上の方には、翼を携えた飛行機のようなものが飛び交うようになった。


 最も栄えている街のびっしりと建物が立ち並んだその中にぽつんと開けた土地があったのだが、いつの間にか葉山の姿を模した像が建てられているのを見て思わず葉山は涙する。


 


 20**年*月*日 飼育24日目


 

 俺の人生のピークは今かも知れない。俺は神になったんだ。俺の意思一つでこいつらを生かすことも殺すこともできるんだ。まぁ、ここまで繁栄できたのは俺のお陰だからな。敬われるのは当然ではある。それにしてもいきなり近代化したから驚いた。人類の進歩も、神視点だとこんな感じだったんだろうな。俺は文明を作り上げた。


 


 


 急に人口が増えたことで問題が発生した。餌が足りていないのだ。数万まで膨れ上がったシーヒューマンが平等に餌を食べられるわけはなく、一握りのシーヒューマンが餌をがめつく確保する傍ら、欠片すら得る事の出来ないシーヒューマンは最低限の動きしかしなくなった。それにより裕福なものと貧しいものがはっきり二分化してしまったのだ。そのせいか餌を取り合って喧嘩している姿をよく見るようになった。餌を増やすために牧場を作ろうにも、水槽の中は建物でいっぱいでそんな土地はもう無い。葉山は見かねて朝と晩に2回、人口餌を与えることにした。

 それから程なくして、水槽の濾過が追い付かなくなった。生き物の排泄物や餌の食べ残しであれば現状の濾過装置で十分濾過できるはずなのだが、どうも綺麗にならない。シーヒューマン達の乗り物やエネルギーが特殊なのか、墨汁を水に垂らしたような汚れがこってりと水槽の四隅や角にこびりついている。


 葉山は濾材を洗って詰め替えようと濾過装置を取り外そうとして驚いた。


「あっつ!」


 手にほんの少し触れた水がとんでもなく熱い。触れた箇所が赤く腫れてヒリヒリと痛んだ。数日前は普通の水だったのに、それに匂いもなんだか違う。きっと、濾過が追い付いていないのが原因と踏んだ葉山は、ゴム手袋をつけて作業をすることにした。濾材を洗い、古すぎるものは新しいものに変えた。これで事態は収拾するだろうと思いきや、翌日になっても解消しない。それどころか、水槽の隅に溜まった黒い汚れが水全体に広がりつつあった。



 心なしか、シーヒューマン達の動きが不穏だ。葉山が餌を与えるために水槽を覗き込めば、彼らはひと際高い建造物に登りだす。それが葉山に縋り付く為なのか水槽という狭い空間からの脱出を図っているのかその意図は分からない。どちらにせよ、葉山には不気味に思われた。それに、身なりの汚いシーヒューマンが爆発的に増えた。以前はぽつりぽつりとしか見受けられなかった彼らが、今や路地や大きな通りを徘徊し、中には野たれ死んでいる者もいるほどである。それでも、彼らは数を増やし続けた。

 やはり餌が足りていないのだろうか。葉山は一日に与える餌を2回から4回に増やした。それでも、改善は見られない。投入した人口餌に群がる彼らは必死に食料を奪い合って、平等にそれが行き渡る筈もなかった。共食いしているのを見た時には思わずぎょっとした。

 完全にキャパオーバーだ。水槽を維持するには間引くしかない。

 葉山がそう思っていた時だった。




 ドカンという鈍い音がして、葉山は水槽に駆け寄った。


 黒い液体と建造物の破片が飛散している。戦争だ。とうとう食料争奪戦争が勃発したのである。


「や、やめろお前たち!やめろってば!!」


 水槽の中はまさにカオスだった。逃げ惑うシーヒューマン達を無差別に襲う爆撃。爆弾が弾けると、気泡がぶわりと広がって、その周辺の水が陽炎のごとく揺らめいた。砲台の付いた乗り物から発せられた玉も同様の気泡爆弾だ。巻き込まれたシーヒューマンは茹で上がったエビのごとく赤く変色し、死体は水面に浮かぶことなくそのまま底の方に沈んで沈黙した。あちらこちらでそのような惨劇が広げられている。


「あぁぁぁぁ、やめて……」


 葉山は直視できず目を覆った。こんな事になるなんて。天罰が下ったのだ。神様気どりしたから。アクアリウムが下手糞だったから。こいつらを育ててしまったから。Scipをくすねたから。

 そしてとうとう、高温と衝撃に耐えられなくなったガラスがパリンと割れてそこから大量の水とシーヒューマンが流れだす。生きているものも、死んでいるものも関係なく流されてゆき、部屋のフローリングに広がって大きな水溜まりが出来た。


 葉山はもろに汚水を被って悶える。目に入ったのか、激しく痛む。ポケットに入れていた携帯電話をなんとか掴み、財団にSOSを求める。



 これが、葉山の違反行為が明るみになった顛末である。




【あとがき】

この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。

Author: tatenano

Title: SCP-1852-JP - 博士のシーヒューマン観察キット! -

Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-1852-jp

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