第7話 プール

 そうして有坂が館内の清掃だったり、シーツや衣類の洗濯といった気楽な雑用を1週間ほどこなした頃だった。有坂は、財団の恐ろしさの片鱗を目の当たりにする事になる。


「Dクラス職員の諸君、おはようございます。本日は遺体の搬送をしてもらいます。」


 そこに集められたDクラス職員6名全員が息をのんだ。SCP財団というのは今までの業務のようにケーキを延々食べさせられたり等ふざけた実験をしているだけの組織なのではないかとうっすら思っていたのだが、死に直結するワードを聞いてそれは序の口に過ぎないのだと思い知らされた。


 レインコートのような素材の防護服を着用し、長靴・ゴム手袋を身に着けるよう指示される。顔にはゴーグルとマスクを装着し、誰が誰だかもはや見た目で判断できない程の厳重装備だ。


「全員準備できましたか?よし、では2人1組を作って下さい。…できましたね?では職員が火葬場行き・冷凍庫行き・プール行きか指示するので貴方達には遺体をコンテナに分類して積み、一緒について行って貰います。Cクラス職員と警備員が同行するから、現地で適切に処理して下さい。以上。」



 実にあっさりと説明が終わる。職員は定期的に行われるこの業務の為に、決まった文章を淡々と読んでいるに過ぎないのだ。

 重厚なドアが開かれると、むわっとした生臭い匂いが押し寄せた。


「臭ぇ……っ」


 そこには凄惨な光景が広がっていた。見覚えのあるオレンジ色のツナギを着た遺体がそこかしこに転がっているのだ。人と分かる物はまだマシかもしれない。中にはバラバラになったものや形を留めていないものもあり、体液が床に大きな水溜まりを作っていた。


「うっ……!」


 あまりにもショッキングな光景に有坂は吐き気を覚えた。一体、何を行えばこのような事態になるのだろうか?そして、職員たちは何故平然としていられるのだろう。有坂は彼らとは対照的に狼狽していた。人間の死体を初めて目の当たりにして有坂は逆流する胃液に耐えられず、思わずマスクを取って床に嘔吐した。


「はーーっ、はーーーっ、う、おぇ…!」


「D-0419、吐くな!なんだ、お前Dクラスのくせに死体を見たことないのか。…上の手違いだな。明日は別のDクラスを呼ぶからすまんが今日は我慢してくれ。」


 吐瀉物の据えたにおいが死臭を搔き消し、中和する。吐いて少し落ち着いた有坂は再びマスクを着け、整列しなおす。他のDクラス職員は意外にも落ち着いており、自分だけ取り乱しているのが途端に恥ずかしくなった。


「すんません……。やります、やらせてください。」


「よし。では作業開始。……あぁ、ゲロも掃除しておけよ。」







「足を持って…。滑るなよ、いくぞ、せーの…」


 こんなことならケーキを食べ続けるほうが遥かにマシだった。有坂は辞退したことを心底悔やんだ。


「あぁもう……。」


 相方のDクラス職員と息を合わせて遺体を抱え上げる。死後硬直した遺体はまるで丸太のように硬く、湾曲することを拒んだ。体液で手が滑るのも相まって、遣り辛い。何とか1体コンテナに寝かせ、なるべく運び易そうな遺体を次に選んだ。彼らが何故このような死に方をしたのか、何が起こったのか知る由もない。知りたいが、知りたくも無いのだ。有坂は自分もこんな死に方をする可能性があるのかと思うと恐怖で足がすくむので作業に無理やり没頭することにした。



「D-0419、D-1502。貴方達はこのコンテナとプールへ向かってください。」


 遺体を全部コンテナに積み終わると、部屋外の廊下と直結した電磁浮上式トロッコに移動させ、プールがあるという低層へ向かった。荷台の下からはゴウンゴウンと地鳴りがする。警備員とCクラス職員かと思われる女性が同乗し、手元のタッチパネルを用いて速度調整などの操作を行っているようだった。まるでジェットコースターのように、時折車体をくねらせながら爽快に線路を走った。




「アンタ大丈夫かい?さっき吐いていただろ。」



有坂と遺体を積んでいた片割れのDクラス職員が気遣って声をかける。



「ありがとう、もう大丈夫だよ…。」


「死体を見たことがなかったのかい?まぁあんな酷い仏さん、そうそう見ねぇよな…。」


「なんていうか、人間ってあんな風になるんだなーって初めて思ったよ……あぁいう死に方はしたくないな。」



 警備員が有坂たちが喋っているのをちらりと一瞥し、進行方向に視線を戻した。有坂たちは話を続けた。


「俺なんか見慣れちまったよ」


「はは…俺は慣れそうにないかな。無理。グロすぎ。」


「俺はこの仕事に回されるの3回目なんだが、コツを教えてやる。……最初は俺もキツかった。少し漏らしちまう位にな。でも人間慣れるもんだ。いいか、人間じゃなくて物として見てみろ。もう魂はそこには無いんだ。人の形をした只の入れ物なんだってな。それかカボチャかスイカかだな。……アンタがこの仕事に慣れてくれりゃずっと俺の相方になって欲しいもんだ。Dクラス職員ってのは陰気な奴ばかりでこうやって話せる奴が少なくて気が滅入ってたんだ……。」


 そんな話をしているといつの間にかプールへ到着した。白いタイル張りの部屋には巨大な水槽が鎮座しており、プールと形容されるに相応しい。そこにはぷかぷかと死体達が浮かんでいた。まるで樹脂で創られたかのように透明性を失った肌色のそれらが所狭しと液体の中を揺蕩っている。相方の男が言ったように、確かに彼らは物であるかのように沈黙を守っている。


「それじゃあ、コンテナの死体の衣類を脱がせて身体を洗って下さい。皮膚が損傷している物は跳ねのけてね。」


 Cクラス職員はそう言うと医療チームを呼んでくるといってさっさとどこかへ行ってしまった。警備員の視線を感じ、有坂はしぶしぶと作業を始めた。


「死体になってまでこいつら使われるんだ?」


「綺麗な死体はこうやって大事に保存するのさ。よく知らないが、実験なんかに使われるんだろうよ。」


「へぇ。じゃあ冷凍庫に行った奴は?」


「…ここよりは大事に扱って貰えないだろうな。きっと。」


「火葬場行きは…利用価値無し?」


「…そうなるな。まったく、人を何だと思ってやがるんだ、なぁ。」



 ホースから水を放出し、先ほどコンテナに集めた死体達を一つ一つ丁寧に洗った。有坂はなんだか彼らが気の毒なように思われて、瞼が開いたものは閉じてやり、脱がしたツナギも畳み、ドックタグも一つずつ纏めた。



「……アンタ、なんていうかDクラス職員っぽくないよな。」


相方のDクラス職員が物珍しそうに有坂を見る。


「そうかな」


「そうさ、Dクラス職員って言えば大抵、重犯罪者だったやつだろ。頭が逝ってる奴ばっかりだ。でもアンタはなんていうか……。丁寧?」


「なんだそりゃ」


 有坂たちはすべての死体を洗い終えた。死体たちはすっかりきれいになり、床に横たえられていた。彼らはこれから医療チームが防腐処理を施し、プールで保管されるのだそうだ。


「おかげで助かったわ。またお願いすると思いますからよろしくお願いします。それじゃあ、今日の業務はここまでです。お疲れさまでした。」



 業務が終わり、着ていた防護服を脱ぐと、中は汗でびっしょりだった。死体を持ち上げたり支えたり、重労働だったのもあって服の下は蒸れていた。ゴーグルとマスクを外すとひんやりとした外気が涼しくて心地よいが、薬品のにおいがツンと鼻をついた。


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