第5話 ようこそSCP財団へ

 「Dクラス職員の皆様、おはようございます。起床時間となりました。身支度をして9時までにドアの前に整列してください。」


 朝の7時。久しぶりに安眠できた有坂は機械音によって1日を迎えることとなった。良い夢を見ていた気もするが思い出せない。寝ぼけ眼をこすりながら、洗面台で伸びたひげを剃った。

 食堂で朝食をとりドアの前で待機していると、続々とDクラス職員たちがドア前に整列していく。いくら元犯罪者とはいえ、この規律正しさは日本人ならではのものだと有坂は他人事のように感心した。

 ふと、はす向かいの男が目に入った。40歳前後に見えるその男は刈り上げた頭髪に鋭い目つきが内面の猛々しさを表しているようであり、左手の指が数本無いところを見るにその筋の者だったのだろうと予想された。刑務所暮らしが長い有坂にとって珍しいものではなかったが、やはり目を引く。


「何見とんねん」


すぐに目を逸らしたつもりだったが、男の気に障ったようだ。


「見てねぇし」


「いやいやいや、見とったやん。何や君、文句あるんけ?」



 きつい関西弁の男が案の定有坂に突っかかってきた。手こそ出してこないが、有坂の事を見定めるかのように睨みつける。有坂とて、昔はやんちゃをしていた男だ。売られた喧嘩は買い叩くのが礼儀だった。


「あ?アンタ喧嘩売ってんの?」


 有坂も負けじと睨み返す。かつて喧嘩に負けたことは無い。腕っぷしにはそれなりに自信があった。


「えぇ度胸やないかキミ。ここでヤったってもええんやで?」


 有坂と男との距離がどんどん近づく。ガンの飛ばし合いを見て、周りのDクラス職員達が囃し立てた。


「何をしている!お前たち早速解雇されたいのか。」


 騒ぎを聞きつけたのか保安職員の男が間に割って入る。有坂と関西訛りの男の顔を交互に見、本当に喧嘩をする気が無いと悟ったのか「次は解雇するからな」とだけ言い残し去っていった。


「ふん」


「クソガキが」


 有坂と男は互いに睨みながら後ろに下がり一触即発だった雰囲気も鎮火した。せっかくお互い新しい環境に身を置こうというのに解雇になっておじゃんになるような馬鹿な真似はしたくないのが本心だ。


「Dクラス職員諸君、揃っているか。今から班ごとに分かれて入団の手続きを踏んでもらう。個人の持ち物は全て個室に置いてくるように。」


 スーツの上にロゴ入りジャンバーを羽織った中年の男がファイル片手に呼びかける。昨日聞いたように、正式な雇用のための諸々の手続きが行われるのだろう。有坂たちは10人ずつの班に分けられ、それぞれ別の部屋へと案内されていった。それから近未来的なエレベーターを乗り継ぎ、青白く照らされている通路を進むと、小ざっぱりとした更衣室に出た。


「検疫だよ。衣類をすべてここに置いていけ。」


 職員らしい中年の男の指示に従い、衣類を全て脱ぎ去った。そして、男の指示に従い扉の先に進むと、床を階段状にくりぬいて消毒液らしき液体で満たされている消毒槽があった。



「これに浸かるのか?」


「そうだよ。真っすぐプールを進んだ先に曲がり角があるだろう?次はそっちに進んで。ほら、後ろがつっかえてる。入った、入った。」


「ひ…っ冷てぇ!」



 全裸の男たちが悲鳴をあげながら列をなして消毒槽プールに肩まで浸かっていく様はさぞかし滑稽だろう。有坂も前の男に続いたが、あまりの冷たさに鳥肌が立った。小学校のプールの授業を思い出す。塩素のにおいも似ているが、比べ物にならない刺激臭がした。

 指示通り突き当りを曲がると、今度は水色のタイルが前面に貼られた細長い部屋に出た。



「ここを進むんですか?」


「慣れればなんてことないさ。次は突き当りを右だよ」



 消毒槽の次はシャワー地獄だった。天井・壁4方全てに取り付けられたシャワーヘッドからこれまた冷たい液体が浴びせられ、押し流されそうな程の水圧に耐えながらそこを歩き進んだ。口に液体が入ったが、水ではない。妙に酸っぱい味がした。



「寒い!い、いや熱い!! 」



 ガタガタと寒さに震える彼らを今度は熱風が襲う。遠赤外線のサウナのようにじりじりと焼かれるような熱風が吹きすさんだ。お陰で全身くまなく乾いたが――Dクラス職員たちはとてつもなく疲弊していた。

 脱衣所に戻ってくると、オレンジ色のジャンプスーツと下着・靴下がサイズごとに陳列されており、各自好きなサイズを選んで身に着けるように、とのことだった。米国の囚人服を彷彿とさせる、派手なオレンジ色のジャンプスーツの背中と胸にはSCP財団のマークが刺繍されていた。有坂はLサイズを手に取りそそくさと着替えた。


「検疫の次は精神鑑定だ。」


 全員が着替え終わったのを確認し、中年の男はDクラス職員達を一人ずつ個室へと案内していく。



「次、入れ」



 有坂が個室に入ると白衣を着た利発そうな女性医師らしき人物と銃を持った保安職員が控えていた。真っ白く清潔なベッドと、何やら複雑な装置が壁面にぎっしりと並んでいた。


「名前と年齢を教えて下さい。」


 精神鑑定というものだから仰々しいものを想像していたが、どうやら刑務所の健康診断と似た雰囲気で拍子抜けした。


「あ、有坂翔馬です。26歳」


女性はパソコン画面を見ながら、マウスをせわしなく動かした。


「有坂…有坂…。あった。…持病なし、現状精神疾患も診られない健康体ね。」


さらに画面をスクロールし、有坂の個人情報を見ていく。


「…驚いた。貴方の罪状、殆ど逃走罪じゃないの。長い間ここで過ごすけれどこんな人初めてだわ。」


「そうなんですか?」


「Dクラス職員の殆どは殺人や暴行で捕まった人なの。…貴方は何のために脱獄を繰り返したの?」


「えーっと…飯が不味いだとか看守が気に入らなかったとか、そんな些細な理由です。」


「本当にそれだけ?」


 有坂は女性の問い詰めるような物言いに眉がピクリと動いた。それを感じたのか、女性はすかさず言葉を連ねた。


「…誤解しないで。貴方を尋問している訳じゃないの。言いたくないなら言わなくても結構よ」


「……。なんとなく、ですかね。なんとなく自由になってみたかっただけです」


「なんとなく、ね。分かりました。」



問答を終えると、女性はPCに向かい直って何やらデータを入力した。外国語でタイピングされており、有坂には何と書かれているのか読むことは出来なかった。


「採血とワクチン接種するわ。左腕を出して頂戴。少しチクッとするわよ?」


「______っ」


 女性は慣れた手つきで腕にバンドを巻き、注射器でボトル2本分の血液を素早く採った。今度は同様のボトルに入った透明な液体を体内に注入した。それが何のワクチンなのかは詳しく知らされなかった。

 有坂は昔から注射が嫌いだったが、大の男が注射嫌いなど格好付かないものもないので、できる限り痛くなさそうな素振りをしてみせた。そうやって採られた血液は細かく仕切られた専用のカゴに収められ、誰かの血が入ったボトルと一緒にわずかに揺れて波打った。


「結構。…次は簡単なテストをします。私の質問に答えて。」


 変な絵を見せられて何に見えるだの、簡単な算数の問題を解かされるだのそれからはまるで心理テストのような内容の質問が続き、一問終わるたびに、女性は忙しなくキーボードを叩いた。長いネイルがキーボードに当たり、タイピングするたびにカチャカチャと音を立てた。


「OK。これでテストは終わりです。貴方は多目的室Bにて待機して。お疲れさま。」


 有坂を一瞥すると、彼女は言い終わる前にまたPCに向かいなおった。実に長い問診だった。有坂は個室を出ると、集合場所に行くように職員から指示される。



「ID識別タグを配ります。名前を呼ばれたものは受け取りに来てください。」


 有坂の名が呼ばれ、タグを受け取る。


「有坂翔馬。今日から貴方の呼称はD-0419だ。」


 有坂の名前が呼ばれ、ジップ式のビニール袋に入ったドックタグを渡された。2枚のプレートの盤面には“D-0419”の他に血液型と、数字の羅列が刻まれていた。


「受け取ったらすぐに身に着けてください。そしていついかなる時もそれを外さないよう心掛ける事。」


 有坂は首にドックタグを着けた。動くたびにチャリチャリと擦れた音がする。まるで、首輪の様だ。


「これで貴方がたは晴れて正式なDクラス職員です。明日からしっかり働いてもらいますので、よろしくお願いします。……改めて、ようこそSCP財団 日本支部へ。」

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