スミレさんの事件簿

BISMARC

第1話 先輩の帰還

 ここは刑事課の大部屋。

 いつもはどことなく殺伐とした雰囲気が漂っているのですが、今日はなぜか穏やか――と言うより、むしろ浮き立った――雰囲気が感じられます。

 その理由は、すぐに明らかになりました。


「先輩、お帰りなさい! 会いたかったっす!!」


 満面の笑みを浮かべ、倉田刑事が新里警部補に駆け寄りました。


 そのまま抱きつく勢いでしたけど、そうはなりませんでした。

 警部補が手の平をビシッと相手に向けて、ハグを阻止したからです。


 あれは犬に対する待てステイのポーズですね。


 人に対してやるのは失礼かもしれませんが、この場合は問題ないどころか、むしろ相応ふさわしいと言えるでしょう。

 なにしろ倉田刑事がフサフサの尻尾をブンブン振っているのが、誰の目にもハッキリ見えるのですから。

 そのおかげで刑事部屋の雰囲気までが、いつもより明るくなっているのですね。


 新里警部補は警部補に昇任したてで、昇任研修からたった今、戻ったところです。

 倉田刑事が久しぶりに飼い主に会えたワンコみたいに全身で喜びを表しているのは、そういうワケなんです。


 え? 「そういうワケ」じゃどういう訳だか分からない?

 そもそもふたりはどういう関係なのかって? 


 新里警部補はこの仲竹警察署刑事課のエース、倉田刑事はその相棒バディです。


 倉田刑事は新里警部補を敬愛し、警察官のかがみとしてお手本にしていて、剣道の師匠としてあがめ、拳銃射撃の教官として敬い、パソコンの先生として頼りにし、捜査書類の作成がどうしても間に合わない時には泣きつき……。


 まあとにかく、警部補の事が好きすぎて「先輩の為なら死ねる」が座右の銘みたいになっているのは、この仲竹警察署では知らない人がいないくらい、有名な話ですよ?


 そんな話、知らない?


 では刑事課のヌシたるこのわたくしが、ふたりの出会いから倉田刑事が新里警部補を「先輩」と呼び、心から敬愛するようになった経緯いきさつを、特別にお話してあげましょう。


 倉田刑事はこの春の人事異動で仲竹署に赴任してきたばかりなのですが、新里警部補との出会いはもっとずっと前、10年前にさかのぼります。



「あいつは邪魔だ…」

「何とかして…排除…」


 あらら。

 何だか不穏なセリフが聞こえてきました。

 倉田刑事と新里警部補の出会いについてお話ししようと思いましたのに、どうやら今はそれどころではないようです。


「本当に迷惑な…」

「…でも吞まなきゃ、やってらんねぇ」


 ふたりの刑事が、新里警部補と倉田刑事の方をチラチラと盗み見しながらヒソヒソとささやきを交わしています。

 他の誰にも聞こえないと思ったのでしょうが、私にはちゃんと聞こえています。

 伊達に刑事課のヌシを名乗っているワケではありませんから。


 どうやらあのふたり、新里警部補か倉田刑事、もしくはその両方をターゲットにして何やら良からぬことを企んでいるようです。



 これは、断固として阻止しなければなりません。



 何しろ新里警部補はうちの刑事課の検挙数トップのエースであるだけでなく、文武両道に秀で、できる男オーラがダダ洩れの仲竹署随一の好男子イケメン警察官。


 仕事はできるし一見、クールなのに実は優しいので、倉田刑事以外にも署内にはファンが多いのです。

 もっと言うと、「取り調べの時に親身に話を聞いてもらえて感動した」「おかげで、罪を償って人生をやり直す気になった」と、犯罪者さんたちにまで信奉者ファンがいるようです。


 一方の倉田刑事は、明るい性格と爽やかな笑顔がチャームポイント。


 まだ25歳の若さながら結婚3年目で、警察官の激務のかたわら家事も育児も積極的にこなす愛妻家で子煩悩な2児のパパでもあるのです。

 まだ刑事1年目なので色々と粗削りな面はありますが、敬愛する新里警部補をお手本として日々、精進しているのでいずれ新里警部補並み――とまではいかなくとも――立派な刑事に成長してくれる事でしょう。



 そんな貴重な存在であるふたりに悪しき企みの手が伸びようとしているなら、何としてでも阻止しなければ。



 けれども私は刑事課のヌシ。


 この大部屋が私の持ち場ですから、ここを離れるわけにはいかないのです。


 でも、大丈夫。

 伊達に刑事課のヌシと呼ばれているワケではありません。


 私が動かなくても、いつでも情報源が向こうからやってくるのですから。



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