1:浮気夫

「タイムマシーンがほしいんだが」

「あいにく、うちでは取り扱ってないですねえ」


 の一世一代の願いを、店員はけんもほろろに却下した。このクソガキ、いい大人が真面目な顔して「タイムマシーンがほしい」なんて口にするのがどんだけ恥ずかしいかわかってんのか。


 神話伝説の品々が売られているという都市伝説の店、≪WWW≫。今の今まで本気にしたことはなかったが、立地の悪さからつい先日閉店したコンビニの筐体にその店名が新たに掲げられているのを見た途端、帰宅途中の俺の足は吸い込まれるようにその扉に向かっていた。


 店内はろくな照明がなく、夕暮れ時のような薄暗さの中、辛うじて、扉の正面、階段の手前にカウンターがあり、そこに実寸大の人形が飾ってあることが見て取れた。振袖の日本人形だったら回れ右したかもしれないシチュエーションだが、一部で根強い人気のあるゴスだかロリだかのヒラヒラな西洋人形だったからどうにか踏みとどまる。


 が、その西洋人形が膝上に開いた本から視線を上げたとき、やっぱり回れ右しそうになった。


 人形――――のように着飾った小娘は、半歩退いたの顔を見て完璧な接客スマイルを浮かべる。


「いらっしゃいませ。何をお探しでしょう?」


 紛らわしいな、驚かせるんじゃねえ。……っていうか店員ならそもそもカウンターに座るんじゃねえ! いやこれ店員なのか? 普通の店ならバイトもできない、親から小遣い貰ってるような歳だ。


 行儀の悪い店番に、それでも意を決して冒頭の台詞を言った結果が、これだ。


「なんでだよ、ここはそういう不思議な道具を扱う店なんだろ!?」

「そうね、不思議な道具と言えばそうだけど」


 俺がつい声を荒げると、ゴスロリ娘はわざとらしく溜め息をつきながら栞を挟んだ本を閉じた。あと五年も経てば誰もが認める美少女になるだろうが、今はその大人びた仕草が芝居がかっていてむしろ腹立たしい。


「うちは伝説の品を売る店であって、創作フィクションの道具を扱う店じゃないの。でも結構いるのよねえ、そこを勘違いしてる人が。集めれば願いを叶える珠も、名前を書くだけで人を殺せるノートも、うちでは取り扱ってません」

「タイムマシーンは伝説の道具じゃないっていうのかよ」


 言わずと知れた、過去や未来に自在に行ける魔法の道具。不老不死に並ぶ、古来からの人類の夢じゃねえのかよ。


「あの漫画やあの映画はわたしも好きよ。でもないものはないの」


 取り付く島もない。


「つうか、それが客に対する態度かよ?」

「駄菓子屋に焼酎買いに来た人を客とは呼ばないわねえ」


 解るような解らんような喩えを言いやがって!


「一応聞くけど、あなたが行きたいのは、過去と未来のどっち?」

「過去だよ」

「じゃあやっぱり無理ね。未来なら、龍宮城や桃源郷への旅行って形でどうにかなったかもしれないけど」


 ゴスロリ娘はお手上げと言うようにすげなく肩口の髪を払う。龍宮城って、浦島太郎のあれか。俺がしたいのは海中旅行じゃなくて時間旅行だ。あと、それって未来に行ったはいいけど現在に戻ってこれるのか?


「ちなみに、集めれば願いを叶える珠はないけど、如意棒や斤斗雲はあるわよ。いかが?」

「いらねえよ!」


 なんでそんな需要の低そうなものばっかりあるんだよ!

 

 自分の娘でもおかしくないような小娘相手に本気で腹を立てるのも我ながら大人げないが、同時に、大人に凄まれても一切動じない小娘も可愛げがない。


 ……娘、か。あと半年もしないうちに産まれるんだよな。


 だけど、身籠ったのは同じ歳の妻じゃない。――――年下の不倫相手だ。


 しかもそれを、あいつは、俺より先に妻に暴露しやがった。


 確かに、不倫相手のカナコは、妻のハルより若くて頭が軽くて可愛い。でも今思えば、それは青臭い愛だ恋だと言うより浮気の背徳感やスリルを楽しんでいただけの気がする。当然、妊娠なんて想定外だ。いやそりゃすることはしたが、カナコが薬飲んでるから平気とか言うから!


 ハルは即座に別居を選び、離婚する、慰謝料も払ってもらうと言って聞かないし、カナコもカナコでマンションに押しかけて来て、絶対産む、責任とってちょうだいと言い張っている。八方塞がりだ。


 そんなときに目に飛び込んできた≪WWW≫の看板に、俺は藁をも縋る思いで扉を開けたと言うのに。


 タイムマシーンで過去に戻り、心当たりの夜にカナコと会わないようにする。……いやいっそ、最初から関係を持たないようにする。それですべてが解決するはずだったのに! 売ってないとかふざけんな! 振り出し戻っただけなのに、一旦奇跡の解決策を見出した分、反動で落胆が大きい。


「……どうしても無理なのかよ」


 諦めきれず、俺は唸るようにまだ訊いてしまう。ゴスロリ娘は緩く首を傾げた。


「そうねえ。近代になって密林の奥の遺跡や古代の王の墓が発見されたように、わたしが寡聞にして、タイムマシーンやそれに類似した道具の伝説をまだ知らないっていう可能性はなくもないわ」

「だったら」

「だからあなたがその伝説を探してきてくれれば、わたしたちがそこに買い付けに行くわよ」


 僅かに期待した俺の台詞を遮って、ゴスロリ娘はなかなかの無理難題をしれっと言いやがった。あるかないかも判らないものを探させるとか、正気の沙汰じゃない。


「無茶言うな、できるか、そんなもん!」


 そんなことしてる間に娘が産まれて離婚が成立して慰謝料毟られちまうだろうが!


「でもねえ。まあタイムマシーンがあるとして、よ。それはいったい、どのくらいのお値段になるのかしら」

「……っ」


 殊更のんびりと呟かれた一言に、俺は思わず息を呑む。


 ここは「店」だ。ほしいものは無償で与えられるわけじゃなく、相応の支払いをしなくてはならない。


 俺はまんまとゴスロリ娘の狙いどおりの反応を見せてしまったらしく、幼い唇がニンマリと笑う。


「あなた、払える自信ある?」


 頷くことはさすがにできなかった。金額にすれば天文学的数字が弾き出されることは目に見えているし、そうでなくても都市伝説や怪談ではこういう場合、寿命とか魂とかを取られるのがセオリーだ。


 俺の返答など端から待つ気はないようで、ゴスロリ娘は歌うように続ける。


「勿論、仕入れ値にもよるし、新しい仕入先を見つけてくれた御礼として幾らか値引きはするわ。それでも、今現在、宇宙や深海に行くのも億単位の金額がかかるのよね?」


 人類はついに、宇宙に進出し深海に到達した。それでもなお果たせない、過去や未来への旅。それを強行しようとすれば、いったいどれだけのものを犠牲にしなければならないのか。


「素直に慰謝料なり養育費なり払ったほうがよっぽど安く済むと思うわよ、但馬たじまヒカルさん」

「!」


 店内に漂う薄闇を越えて俺をひたと見据える大きな両の眼は、すべてお見通しと言わんばかりに輝いていた。名前も悩みのタネも見透かされ、俺は年甲斐もなく背筋に冷たいものを感じる。


「……っもういい! 邪魔したな!」


 こてんぱんに打ちのめされた俺は、虚勢を張って大声で捨て台詞を残し今度こそ回れ右をした。背中に、トドメのように紋切り型の挨拶が飛んでくる。


「またのお越しをお待ちしています」


 二度と来るか!

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