42:闇の中に、貴女はもう

「シャノン……?」

 

 よろめいて後退ったディアナの短剣から血が滴り落ちる。

 崩れ落ちるシャノンをクレイヴがすかさず抱き留めた。

 

 見れば、シャノンの制服の腹には赤色が滲み出している。

 

「ぐっ……! だ、駄目……っ! ウィナちゃんも、ディアナも……! 駄目です!」

「どうして……どうして!? その女を庇って何になるんですの!?」


 ディアナが悲痛な声を上げた。

 短剣を持つ彼女の手は震えている。


 今ならアタシは容易にディアナを斬り殺せるだろう。

 けれど、アタシはシャノンの言葉を聞くディアナを斬れなかった。


 違う。斬りたくなかった。

 アタシの中に残ったほんのわずかな何かが、それをさせなかった。

 

「だ、だって……」


 なぜなら、もし目の前の敵であるディアナを救えるとしたら――。

 

「だって、二人とも私の大切なお友達だから……っ! ううっ……!」


 ――それはここでディアナの唯一の友人であるシャノンだけだと思ったから。

 

「あっ……ああっ……! あああああああ! お姉様っ……!」


 シャノンの言葉に、ディアナは頭を抱えて呻く。

 そして、何かから身を守るように自分を抱きしめ、髪を振り乱し、あらぬ方向へとよろよろと歩き出した。

 

「ああああぁぁぁ! うるさいうるさいうるさい! お姉様! お姉様はどこ!? 返して!? 返してぇ!」


 その隙にアタシはフィロメニアを抱えて、シャノンを抱えたクレイヴと一緒に別の建物の屋上へと避難する。

 フィロメニアは遠くで狂乱するディアナを不快そうな顔で見た。


「もはや正気も保ってられんか。あれだけの量の霊獣を従えていれば精神も分裂しよう。――ウィナ」

「なに」

「楽にしてやれ」


 アタシはフィロメニアの命令に剣を強く握る。

 もしディアナがなんの繋がりのない人間なら、アタシは頷いていた。


 けれど、シャノンにとってディアナは身を挺して人を殺めることを止めるほどの友人だとわかった今、アタシは躊躇している。

 

「ウィナちゃん……」


 か細い声でシャノンがアタシの名前を呼んだ。

 

 わかってる。

 ここでディアナを斬るのは、きっとシャノンの心を斬るのと同じだ。


 そうなればアタシのシャノンを幸せにするという決意に反する。


 この世界はゲームのように単純じゃない。

 全員が幸せになる世界なんてないことくらいわかってる。


 しかも、アタシが手を握れる程度の近さにいる人の幸せを守ることも中々難しいらしい。


 けれど、だからこそ、頭を捻って、拳を握って、剣を振るう価値がある。

 

『……セファー』

『なにかな』


 アタシはフェンリルに囲まれながら叫ぶディアナを見ながら、セファーに話しかけた。

 

『あの子を止める方法は?』

『あるにはある』


 とは言うが、セファーの顔は難しそうな顔をしている。

 

『そもそもあの状態はおそらく、我らの召喚の儀式の結果とヒロインの魔法の応用と推測できるねぇ。なら、同じものを使えばあの異常な状態をどうにかできるんじゃないかな』

『どうすんの?』

『簡単さ。まずはヒロインの治癒魔法を【模倣Imitate】し、直接彼女の霊核に打ち込む。そして霊獣召喚の魔法陣の逆転術式を発動させれば霊獣は消えるだろう。ただし――』


 セファーは一呼吸置いて。

 

『彼女は二度と霊獣を召喚できなくなるがね』


 それは貴族にとって致命的というべき代償だ。

 だが、命を救うための代償が安いことなどない。

 

『それでいい。やろう』


 アタシは頷いてシャノンを見る。

 すると、クレイヴが必死でシャノンの傷口をハンカチで塞いでいた。

 

「ううっ……」

「シャノン! しっかりしろ!」

「なぜ治癒魔法を使わない!?」


 フィロメニアが言うと、シャノンは苦しみながらも笑って言う。

 

「え、えへへ……。実は私、自分の体は治せないんです……。私はっ……他の人に戦ってもらうしかできない、根っからの臆病者なんです……」

「フィロメニア、血を止めなければシャノンが危ない!」

「くっ……。ウィナに任せておけばよかったものを……!」


 歯噛みしながらもフィロメニアはアタシに振り返った。


「ウィナ、お前は奴に集中しろ! 殺せぬのならどうにかしてみせろ!」

「……わかった」


 フィロメニアの叫びに、アタシはディアナへと向き直る。

 腕輪を変形させ、冒険のときに【模倣Imitate】しておいた魔法を用意した。

 

『我が君。打ち込むなら彼女の胸に直接だ。それから、あの大量のフェンリルも一体殺すごとに確実に彼女の霊核を傷つけている。短期決戦で仕留めなければ意味がない』

『いい響き……!』

『準備は』

『いつでも』


 そして、アタシは屋根を蹴ってフェンリルの群れへと飛び込む。

 その中心では目を覆ってそこにはいない何かを探すディアナの姿があった。

 

「ああぁぁあぁぁ~……お姉さまお姉さまお姉さまぁ~……?」

 

 アタシは何も言わず彼女の近くに降り立つと、フェンリルたちの上を跳んで肉薄する。


「ころ……? 殺せば、よろしいのですか? そうすればお姉さまは帰ってきて? あぁ、あぁぁははは?」

「……っ」


 ディアナをこうしてしまったのはアタシのせいだ。

 それは認める。

 アタシがフィロメニアを愛しているように、ジョゼが仲間を大切にするように、彼女もまた姉のクラエスが大事だったのだろう。

 

 けれど、アタシにだって譲れないものがあった。

 

 アタシは面白半分でディアナの姉を殺したわけじゃない。

 フィロメニアの命を、未来を望むがために確固たる意志でクラエスを殺した。

 

 だから後悔なんてしてない。

 今も、後悔しないためにディアナを止めようとしている。

 

 アタシはよろよろと歩くディアナの胸に魔法を打ち込もうと踏み込んだ。


 だが――。

 

 ――ガキン、とディアナの短剣に阻まれる。


「嘘でしょ!?」

「あ゛あ゛あ゛あああああ~!」


 ディアナ自身は視線の定まらない虚ろな目をしているというのに、両手に持った短剣でアタシの左腕の打撃を防ぎ、さらには攻撃まで繰り出してきた。

 相手の視線から攻撃を予想することができず、アタシは右手の剣も合わせて突き出される短剣をなんとか捌く。

 

『狂気の中にも正気あり、か。中々冴えているねぇ』

『器用なやつ! ――ってうおぉぉ!?』


 そのとき、それまでは周囲をうろつくだけだったフェンリルたちが一斉にアタシに襲い掛かってきた。

 大量のフェンリルに飛び掛かられ、アタシの視界は一気に暗くなるのだった。

 


 ◇   ◇   ◇


 

 自らのドレスを破いて、フィロメニアはシャノンに応急処置をする。

 だが、シャノンの血は止まらない。

 

 自らの盾になった者が目の前で命を削られていく状況に、フィロメニアは思わず苛立った。

 

「馬鹿め……なぜ私を助けた!?」


 すると、シャノンは歯を食いしばりながら、こちらを見る。

 

「あなたの……ためじゃない……。私はっ……ディアナのために……!」

「気に入らんやつだ……!」

「私、だって……!」


 シャノンと自分は根本的に考え方が違う。

 それはシャノンを一目見たときからフィロメニアにはわかっていたことだ。


 故に、恐らくこの娘と自分は相反する存在だと――親しい間柄にはなれないと思っていた。

 相手もきっとそう思っているだろうと。

 

 だが、自分はシャノンに助けられた。

 彼女にその気がなくとも、フィロメニアはそう感じた。

 

 ならば、この娘を見捨てることはできない。

 でなければ今、戦っているウィナに顔向けできない。


 だが、次第にシャノンの目が虚ろになり、体から力が抜けていく。

 

「おい、おい! シャノン! 気を失うな!」

「シャノン! しっかりしろ!」


 そのとき、シャノンの体が発光した。


「なっ……!?」

 

 その背中に翼が生えて――いや、違う。

 翼はそのまま大きく広がり、一匹の大きな鳥へと変わった。


 翼長は成人が両手を伸ばした二倍ほどだろうか。

 その姿は光に包まれ、輪郭は朧げだ。


 そして、甲高い鳴き声が上がり、さらに強い光が辺り一帯を照らす。


「これは……霊獣、か……?」

「あのときの光……いや、暖かい。火とは違う」

 

 フィロメニアとクレイヴは思わずその姿に見とれていた。

 その翼がシャノンを包む。

 

 すると、シャノンの顔色は瞬く間に良くなり、か細い呼吸が正常に戻っていった。

 

 しかも、その光は周囲のフェンリルをも遠ざける。

 

「うああぁぁあぁッ! 見えない! お姉さまが、お姉さまが見えないいいいいッ!」


 同時に、光を浴びたディアナが苦しみ出した。

 フィロメニアは思わず、フェンリルに押し潰された己が霊獣の名を叫ぶ。


「ウィナッ!」

「七式尖拳改・【境身弾・岩きょうしんだん・いわ】!」


 技名と共に、フェンリルの山が吹き飛んだ。

 その中心で拳を下方向に叩きつけて衝撃波を生み出したウィナが、メイド服を傷だらけにしながらも吠える。

 

「アンタの姉はもういない! アタシが殺した!」

「うるさいうるさいうるさいうるさい! なら殺してよ! 私も殺してよおおぉぉぉ!」

「それは――できない!」


 光に苦しむディアナに、ウィナが矢のような速度で迫り、彼女の胸に手を当てて――。

 

「――文句ならシャノンに言って。シュートッ!」


 ウィナの左腕から魔法陣が発動する。

 そして、その複雑な魔法陣による光がディアナを覆うと、一匹のフェンリルの遠吠えを最後に、群れは燐光となって宙へと消えるのだった。

 

 

 ◇   ◇   ◇



 ああ、どうして。

 暗闇の中にいた姉の姿は、ディアナにはもう見えない。


 ディアナにとって、姉は憧れだった。

 子爵家の子として立派な神殿騎士となり、美しいフェンリルを従える姉はディアナの目標だった。


 そして、ある日から姉は帰ってこなくなった。


 誰も知らない。

 姉がどこにいったのか、両親ですら知らない。

 神殿に聞いても、なんの返答もない。

 

 姉はいつの間にかにいないことになっていた。


 だが、ディアナは見た。


 いつの日か見せてくれたフェンリルの風の魔法と咆哮を、あのメイドが使うところを。


 聞けば、あのメイドと主が一時的に帝国に捕まった日は、姉が帰ってこなくなった時期と被る。


 そしてあのグレーター級三体を相手に見せた圧倒的な力。


 あのメイドが殺したに違いない。

 あのフィロメニアに殺されたに違いない。

 

 だから、ディアナは神殿と取引をした。


 自分の身と引き換えに、姉の死の真相と力を求めた。

 すでにシャノンの力によって昇華したフェンリルを見せると、彼らは喜んで取引に応じた。


 そして、ディアナはもう一度召喚の儀式をするという実験に身を捧げた。

 

 その結果が、この群れ。全てがフェンリルで、すべてが私。そして、すべてがお姉さま。

 私は独りでも寂しくはない。友人など、しょせんは駒に過ぎない。


 あの女も、あの平民も、どうせそう思っている。ここはそういう世界だ。

 信じられるのは、家族だけ。

 ここにいる自分の家族だけが私の味方。


 けれど、それももういなくなってしまった。

 

 もうディアナには自分がわからない。

 もうディアナにはフェンリルが感じられない。

 もうディアナには姉の姿が見えない。

 

 それを覆い隠す強い光が、ディアナの視界を覆っていたから。

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