8:違う。こっちじゃない

 その夜、アタシは慣れない天幕付きのベッドを見上げながら、考えを巡らせていた。

 隣ではすでにフィロメニアが眠りに入っている。


『眠れないのかい?』


 すると、光る粒子を纏いながら、アタシの真上にセファーが現れた。


『……これまで散々準備はしてきたけど、だんだん不安になってきちゃってさ』

『今更だねぇ。君にできることなんて限られているのだから、深く考える必要なんてないじゃないか』

『どういう意味?』


 アタシが言葉の意味を図りかねると、セファーは両腕を広げて肩をすくめる。

 

『君には君の知っている物語をブチ壊しにする覚悟がない。極論を言おう。君の主人の死がヒロインの恋物語と直結しているのなら、今から一階に降りてヒロインをくびり殺せばいい。そう思わないかい?』


 セファーは涼しい顔でとんでもないことを言い出した。

 けれどそれは図星だったし、絶対に間違ってるとは言えない。

 

 アタシは眉をひそめてセファーを睨みつける。

 

『でもそれで未来がどう転ぶかはわからないでしょ。それに……アタシは嫌よ』

『なぜ? 主人の命とヒロインの命、どちらかを選べと言われたら君は即断するだろう? 自ら手にかける必要があったとしても躊躇しないだろう? 君はそういう人間だよ』

『そ、そんなわけ……それにアタシはヒロインが嫌いなわけじゃないの!』


 とてつもなく冷徹な人間かのように言われて否定したが、アタシはそこでまた得も言われぬ違和感を感じた。

 確かに、アタシはヒロインとフィロメニアの命を天秤にかけたとき、その比重は一瞬でフィロメニアの方に傾くだろう。

 

 

 問題はそれを自分の手で行うことができるか、というところだがアタシは――できる気がしてしまった。

 

 

 まだろくに魔法が使えないヒロインはまともに抵抗もできないだろう。彼女の部屋の扉を力任せに破壊して、その細い首を動かなくなるまで締め上げればいいだけ。

 

 そんな気が――してしまった。

 

『そうかい。まぁ、君の言う通り、ヒロインを殺すという選択が正しいかは未知数だ。なら、君は君のできる範囲で出来ることを成すしかない。そう言いたかっただけさ』

 

 嫌な光景が頭にちらついたアタシへ、セファーは真っ直ぐに視線を落としてくる。

 うだうだと悩むくらいなら早く寝てできる限りの手を打て、ということか。

 

『わかったわよ。もういいって』

『いい子だ。今夜のお話はこれで終わり。おやすみ、我が君』


 そんな子供を寝かしつけるような口調で言い置いて、セファーはふっと消えてしまった。

 結局、フィロメニアの死を回避するためにできることをやるしかない。


 そのためにやるべき一つ目はヒロインとフィロメニアをうかつに接触させない。もしくは友好的な関係にすることだ。


 前者は学園という舞台では限度があるけれど、後者は成功すればフィロメニアが悪役にならない確率がぐっと上がると思っている。

 なぜなら悪役令嬢としてのフィロメニアの攻撃的な感情の大半は嫉妬だ。

 婚約者である王子様からの愛情や、学園内での人望、幼い頃から才女と言われてきた周囲からの羨望など、それまで彼女が持っていたものがその手から零れ落ち、逆にヒロインがそれを獲得していくことが原因だと思われるからだ。

 

 もちろんヒロインがどの攻略対象と結ばれるかのルートによってフィロメニアの行動原理は異なるけど、その中心にある【因縁】のようなものはそれなんじゃないかな。


 もしフィロメニアとヒロインが共に成長や幸せを喜べるなら関係なら……。

 

 アタシはなんとなく左腕の腕輪を見つめながら、そんな未来を思い浮かべて目を閉じるのだった。



  ◇   ◇   ◇



「それで、一睡もできなかったと」

「……気持ちいい朝だね!」


 ついに来た入学式当日、窓の外に見える空は快晴で、春の陽気もそこそこな気持ちのいい朝だ。

 きっと新入生たちも晴れやかな気持ちで起床し、期待に胸を膨らませながら入学式へと臨むのだろう。

 早くも外からは元気のいい生徒たちの声が聞こえてくる。

 

 そんな中、アタシは意図しない完徹により、目の下にクマを浮かべながらメイド服に袖を通していた。

 さっき鏡で見たがかなり不健康そう、かつ疲労感に溢れた顔である。


 ラウィーリア家の使用人としてあるまじき失態だ。メイド長がいたら今から昼過ぎくらいまで説教を食らいそう。


「部屋で休んでいるか? 今日は入学式と案内のみだ。お前がいなくとも問題はない」

「フィロメニアが使用人連れてないなんてカッコつかないでしょ。心配だし。絶対行く」

「その死人のような顔のお前を連れているのもどうかと思うが……」


 フラフラとした眩暈を感じながらも「まぁまぁ」と制すと、フィロメニアはそれ以上何も言わない。


 とはいえ前世で社畜をやっていたアタシにとっては大した不調じゃない。

 やってみれば案外、体と頭は動くものだ。


 フィロメニアの学生鞄を持って、彼女の後ろについて寮を出ると、黄色い声がアタシたちに飛んでくる。


「フィロメニア様! おはようございます!」

「お久しぶりです! フィロメニア様!」

「学園で同じお時間を過ごせるなんて夢のようですわ!」


 寮の前では予想していた通り、フィロメニアを何人もの女子生徒たちが待ち構えていた。

 入学初日から共に通学しようという取り巻きの令嬢たちだ。


 その顔を確認しつつ、アタシは後ろに下がる。

 一応、護衛も兼ねているので、怪しい雰囲気の生徒がいれば間に入るつもりだったが、問題はなさそうだ。


 そして、最大の問題点であるヒロインの姿が周囲に見当たらないことにも安堵した。


『そうキョロキョロとしなくとも安心したまえ。ヒロインは君たちよりだいぶ早くこの建物を出ていったよ』

『なら、とりあえず安心かな……』


 そうしてフィロメニアは出待ちしていた生徒たちを引き連れて学園へ向かう。

 彼女は次々に話しかけてくる女子生徒たちの声を無視することなく、一人一人の名を呼んでしっかりと応じていた。


 現時点じゃ悪役令嬢なんかには見えない。

 

 公爵家の令嬢という立場だけに様々な社交界に出席している彼女のことだ。

 顔を合わせたことのある生徒の名はすべて頭に入っているのだろう。さすがアタシの主人である。

 

「フィロメニア様、わたくしもご一緒してもよろしいでしょうか?」

 

 ただ……ある一人の女子生徒の顔を見た瞬間に、フィロメニアの目に動揺の色が表れた。

 周囲の生徒にはわからないほどの些細な変化だが、アタシはそれを見逃さない。

 

「……ディアナか。久しぶりだな」


 ディアナと呼ばれた女子生徒は柔らかな笑みを返す。


 アタシはその様子に首を傾げつつ、フィロメニアを先頭に歩き出した集団の後ろをついていくのだった。



 ◇   ◇   ◇



 集団でわいわいと賑やかに登校するというのも学生の時だけできる特別な体験だなぁ、と思う。

 社畜だったときは朝から死んだ顔で電車に乗り、同僚が同じ車両にいようと業務開始時間までは体力を温存しておきたい、なんて考えていた。


 フィロメニアたちをそんなノスタルジックな気持ちで眺めていると、それを邪魔する声が響く。

 

『いや、あれだねぇ。やはり、多少の小細工には修正力、復元力というべきものが作用するのかもしれないねぇ』

『は? なんの話?』


 嫌な予感を感じつつ周囲を見回すが、セファーの姿は見えない。

 けれど、言葉は続けられる。

 

『ヒロインがこちらに近づいてきている。君から十時の方向、学園から走って引き返してきているようだ』

『はぁ!? シャノンが!? なんで!?』

『知らないよ。だが、このままだと君の言う通りの出来事が起きるんじゃないかな。――あと三秒後には』


 もっと早く言え!


 そう思ったがすぐにアタシは思考を切り替えた。

 

 どうする? フィロメニアを呼んで引き留めるか? けれど、多少の小細工では、とセファーが言うのなら、その程度で回避できる気がしない。もっと直接的な――いや、物理的に止める必要があるんじゃないの……?


 アタシは覚悟を決めて、地面を蹴った。

 霊獣になってから馬よりも早く駆けられるようになった足で、フィロメニアの前に出る。


 お互いが気づいた頃には絶対に回避できないレベルの鉢合わせだ。

 その間に、アタシは体を滑り込ませた。


「あっ――」

 

 何度も言うが今のアタシの体はかなり頑丈だ。駆けたその速度のままシャノンにぶつかれば、間違いなく相手側が吹っ飛んでしまう。

 そうなればただ事ではない。

 鍛えられた騎士の家の男子生徒なら耐えられるかもしれないが、それこそ彼女は剣も握ったことのない田舎娘だ。

 下手をすれば大怪我をするかもしれない。


 だからアタシは――。


「きゃっ!?」

「ドワァー!?」


 ――自分で派手に吹っ飛んで見せた。


 バトル系漫画で見たことがある。相手の攻撃と同じ方向に動くことで衝撃を吸収する技。

 アタシはシャノンの体にぶつかる寸前、斜め後ろに飛んで衝撃を和らげたのだ。


 これならばシャノンは怪我をすることはないし、フィロメニアにぶつかることもない。

 いや、やればできるもんね。読んでおいてよかったなぁ。あの漫画。今どうなってるんだろう? 異世界とかにいってたりして。ははは、そんなわけないか。


 ……ただ、ちょっとやりすぎたかもしれない。


「え、あっ、あのっ……」


 ――アタシはすぐ近くの茂みに頭から突っ込んでいた。


「どうした!?」

「誰かぶつかったぞ」

「なにあのメイド。だっさ……」

 

 突然のことに周囲が騒然となる。

 アタシは服に引っかかった枝を外すのに四苦八苦していると、誰かが駆けてくる足音が聞こえた。


 そこで直感する。これから乙女ゲー最初の王子との遭遇イベントが始まる。


 本来ならここでシャノンはフィロメニアへとぶつかり、取り巻きから目をつけられてしまう。

 だが、ぶつかったのはアタシで、周りの反応からしてドジを踏んだと見られているのもアタシだ。


 まずはなんとか最初のイベントを乗り越えることができたかもしれない。


「怪我はないか?」


 すると、そんな男子生徒の声が聞こえた。

 この、声だけでも相手をたらしこめそうなイケボは……。


 恐らく今頃はシャノンへ手を差し伸べているんだろう。

 そして、名前を聞き、特別に入学を許された女子生徒だと彼は認識する。

 それが二人の出会いだ。

 

 実に王道でありがち。だが、そこがロマンティックであり、そこにときめくのだ。

 

 いいじゃん。そういうのも好きでアタシは乙女ゲーをやってたんだから。

 

「ぶはっ!」


 アタシはなんとか茂みから脱出する。

 そして、シャノンが予定通り王子と出会うイベントを目にしようと振り向くと――。


「よかった。顔に傷はなさそうだ。立てるか?」


 白く、大きな手が差し伸べられていた。


 ――アタシに。

 

 視線を上げる。

 輝く金髪に吸い込まれそうな碧眼、整い過ぎて直視しかねる美形の顔を見間違えるはずがない。

 モルドルーデン王国王位継承権第一位王子、【クレイヴィアス・エルサレム・モルドルーデン】。

 

 攻略対象のまず最初の一人が、アタシの顔を覗き込んでいた。


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