38輪 手札の使い方

 皇太子の指示で、ザックはすぐさま執務室から飛び出していった。わけが分からないまま残される形になったケイレブは、ジェイデンに詰め寄った。


「どういうことだ。彼女になにが」

「おそらくソーンだ」


 執務室の奥に向かいながらジェイデンが答え、ケイレブは眉宇びうをより険しくした。


 ソーンは、ロザリーが皇后の首飾りを購入したとされる宝飾店の店主の名だ。盗品仲買をしていたことが分かり摘発に至ったが、首謀者であったソーンは逃げ延びて現在まで行方を眩ませている。

 そしてこの摘発は、ロザリーが新春の宴で件の首飾りを身に着け、それをジェイデンが糾弾したことに端を発している。


 ケイレブは一気に蒼白になった。


「盗品商が、彼女に報復を?」


 奥の壁にかけてあるフロックコートを手にとって、ジェイデンは頷いた。


「ソーンは慎重な男だ。まずはラガーフェルドからの脱出を図るだろう。あまりに動きがないので、すでに洛外らくがいへ出た可能性を考えていたが、やはり潜伏していたんだ。ロザリーには身辺に気をつけさせていたが……おそらく、わたしへの急用でそれが疎かになった。その隙を狙われた」


 早口で言いながら、ジェイデンはコートに袖を通してボタンを留めていく。


「わたしの元婚約者としてロザリーの顔は広く知られている。彼女の乗った侯爵家の馬車なら、大した調べもなく検問を抜けられるだろう。検問官への対応は、ロザリーを脅してお忍びの振りでもさせればいい。そのためにソーンは、拉致が知れ渡る前にラガーフェルドから出ようとするはずだ」


 長髪をコートの襟から引き出し、乱れを軽く撫でつける。手早く身なりを整えたジェイデンは、言葉を失っているケイレブとミンディの方に向き直った。


「侯爵家の馬車は郊外では目立つ。ラガーフェルドから出たら、どこかで乗り捨てるか、荷馬車にでも乗り換えるに違いない。ロザリーへ本当に危険が及ぶとしたらそのときだ。偽装の必要がなくなれば用済みになる」

「そんな!」


 悲鳴じみた声をあげてミンディが立ち上がった。


「用済みって、つまり……」


 その先は声にならず、ミンディは自身の肩を抱いて身を震わせる。

 ミンディの怯える姿を見たジェイデンは、眉間を緩めて歩み寄った。


「あくまでわたしの推測で、まだそうと決まったわけではない。ロザリーはきっと無事だ」


 ロザリーがまだ無事だと想定した、ある意味では希望的な推測だ。犯人がただのならず者であったなら、最悪の事態は十分にありえる。

 しかしかなりの確率で当たっているのでは、という直感がジェイデンの中にあった。少なくとも、ロザリーを攫ったのが盗品仲買人ソーンである可能性は高い。


 けれどジェイデンは、その考えを口にすることはなかった。悲痛に曇ったミンディの瞳を見詰めてほほ笑む。


「君がすぐにわたしを頼ってくれてよかった。ロザリーは必ず無事に君のもとへ帰す」


 言葉と共に、ジェイデンはミンディの頭へ手を置いた。そうしてふと、彼女のまとめ髪に挿された髪飾りが目に留まった。髪の赤に映える薔薇の白さに、ジェイデンはちょっと眼差しを細くした。


 なだめるように頭を撫でられたミンディは、みはった目でジェイデンを見詰め返した。曇っていた瞳の青に淡く輝きをとり戻し、ゆっくりと頷く。


「よろしくお願いします」


 確かに引き受けた印に、ジェイデンはもう一度ほほ笑んで頷き返す。

 手を下ろして表情を引き締めたジェイデンは、執務室の出口へ歩き出しつつ、顔はケイレブの方へ向けた。


「ケイレブ、ここでわたしの代わりに報告を受けろ。馬車の足どりが分かったら、とにかくすぐに追え。わたしを待たなくていい。時間が経つほどロザリーの身が危うい」

「殿下はどこへ」


 ケイレブの咄嗟の問いに、ジェイデンは扉を開きながら答えた。


「人員が足りない。他の近衛騎士も動かせるよう父上にかけ合ってくる」


 言い終わるのとほぼ同時に扉を閉める。軽く襟を引っ張ってコートを正しながら、ジェイデンはほとんど走る速さで歩き出す。


 その矢先、同じように早足で廊下をこちらへ向かってくる若者が視界に入った。近衛騎士のコートを着た彼がザック配下であることに、ジェイデンはすぐ気づいた。

 序列により、近侍らの配下が皇太子と直接関わることは原則としてあまりない。先ほど外に出たザックが、臨時の使いとして寄越したのだろう。


 案の定、若者は声の届く距離に近づくなり素早くかつ丁寧な礼をした。


「皇太子殿下に申し上げます。先ほど警察の方が――」

「遅い」


 歩調を緩めないまま、ジェイデンは若い騎士の横を通り過ぎざまに言い放った。驚いて顔を上げた若者が、慌ててその背中を追う。


「あの、殿下――」

「ロザリー・フレディーコ失踪について、こちらはすで把握して動いていると先方へ伝えろ。警察が持っている情報をすべて出させたら、すぐに執務室のケイレブのところへ持っていけ。その後の連携はケイレブとザックに任せる。以上だ」


 一息に命じ、ジェイデンはさらに足を速める。若い騎士は瞠目して、「御意」とだけ答えてすぐさまきびすを返した。


 今になって警察がきたことで、ジェイデンはいち早く皇太子を頼る判断をしたミンディに内心で感嘆としていた。


 手順を飛ばしての謁見を、ジェイデンは彼女に許していた。それを利用すれば警察に先んじて皇太子に話を通し、より迅速に近衛騎士を動かせると見込んだのだろう。的確に状況を伝える彼女の話しぶりからそう感じた。


 やはり、ロザリーが目をかけているだけのことはある。大人しいようでも、ミンディは己が持つ手札の使い方をきちんと理解している。


 実を言えば、頼る相手としてミンディから真っ先に選ばれたことに――たいへん不謹慎ながら――ジェイデンはある種の誇りと喜びを覚えていた。彼女が白薔薇の髪飾りを身に着けていたことも、その思いに拍車をかける。


 なにがなんでも、ロザリーを無事にとり戻さねばならない。ミンディのためにも。ジェイデン自身のためにも――あの狡猾な元婚約者ほど張り合いある好敵が、他にいようはずもないのだから。


 ジェイデンは一瞬の時間さえも惜しんで、青い床の回廊を父皇ふおうのもとへ急いだ。

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