28.5輪 流行の先端はバラッドから

「コリン坊ちゃま、あっという間に学校へ戻ってしまわれたわね」


 栗色巻毛のメイドはベッドカバーを引き剥がしながら、落胆の口調で言った。窓辺でクッションをはたいていた黒髪のメイドは、手を休めないまま巻毛メイドを一瞥した。


「こんな半端な時季に、そう何日も寮を離れられないのだから仕方ないわ。そもそも今回の外泊は、坊ちゃんが最優秀生徒だから許可が出たようなものだそうよ」

「それは分かっていてよ。でも、せっかく気合いを入れてお部屋を調えたのだから、もう少しお世話をさせていただきたかったと思うのは、そんなにおかしくはないでしょう? 坊ちゃまがいると、お嬢様もいつにも増して機嫌がいいし」


 憂げに言って、巻毛メイドは丸めたベッドカバーを洗濯籠へと放り込む。黒髪メイドはそこへすかさず、埃をはたいたクッションを投げ渡した。


「そんなに嘆かなくても、どうせ夏至には学校が長期休みに入って坊ちゃまも帰省されるわ。その頃にはお嬢様もヘルツアスのご領地へ戻られるでしょうし。そのときにまた、存分にお世話できるわよ」

「うーん。そうねぇ……」


 受けとったクッションも籠へと押し込みながら、巻毛メイドは唸るように言う。芳しくない反応に、黒髪メイドは訝しんで顔を振り向けた。


「なにか気になることでも?」


 問われた巻毛メイドは、空いた両腕を考え深げに組んだ。


「お嬢様が、なにごともなくご領地へ帰られるかしらと思って。お嬢様とジェイデン殿下に復縁の兆しがあるって、ラガーフェルドのほとんどの人が思っているような状況よ。あなただって、新聞の物語詩バラッドを読んでいるでしょう?」


 新聞と共に売られている物語詩バラッドは、民衆のもっとも手軽な読みものだ。詩人が作った韻文に挿絵を添えて、一枚の紙に印刷されている。


 通俗的かつ風刺に富んだその内容には、ほぼ確実に実在のモデルがいる。娯楽のため事実より大げさに脚色されてはいるが、物語の主役が誰なのかは案外と分かるものだ。物語詩バラッドさえ読めば、ちまたの話題についていくには、おおむね事欠かない。


 そして数ある物語詩バラッドの中でも人気を博しやすいのは、やはり恋愛物語である。

 黒髪メイドは古新聞の処分前に目を通した物語詩バラッドの、胸焼けするような言葉の数々を思い出してちょっと顔をしかめた。


「そういえばあったわね。白薔薇の貴公子と紅薔薇の乙女、だったかしら。驚くほど甘ったるかったけれど」

「高貴な男女の歩み寄りがたまらなくロマンチックな物語詩バラッドよね」


 黒髪メイドの表情に反し、巻毛メイドは腕を解いてうっとりと頬に手を当てる。けれどすぐに、巻毛メイドは表情を改めた。


「これだけ注目されているのだから、旦那様としてはこの流れに乗って少しでも長くお嬢様をラガーフェルドに留めたいと考えるのが自然だと思うの。近頃はお嬢様と殿下の間で使者の行き来も増えていらっしゃるし。それをあえて引き離すメリットが侯爵家にないわ。そうなると、お嬢様がご領地に戻るのもまだまだ先になるのではないかしら」


 大真面目な顔で述べられると、黒髪メイドにもそうとしか思えなくなってきた。


「俗っぽい物語詩バラッドに振り回されるのは癪だけれど、そう言われると確かにありえるわね。その場合、あなたはどうするの? コリン坊ちゃまのお世話がしたいのなら、ご領地に戻るしかないでしょうけど」

「悩ましい問題よねぇ。でもやっぱり、わたくしはお嬢様と一緒にラガーフェルドに残るかしら。なんだかんだ言って、お嬢様の下にいるのが一番働きやすいもの」


 巻毛メイドは最初の一言だけは憂げだったが、すぐにいつもの明るさをとり戻して言う。黒髪メイドは深く頷いた。


「同意するしかないわね。やっぱり働くなら、公平な方の下に限るわ」

「そうそう。コリン坊ちゃまのお世話ができないのは少し寂しいけれど、ここなら紅葉こうようきみとお話しできるし、ケイレブ様のお姿も見られるし、まったく悪くないわ」


 声を弾ませた巻毛メイドに、黒髪メイドは抱いたばかりの感心も引っ込んで呆れ返った。


「結局そこに行き着くのね、あなたって」

「どんなときにも目の保養は大切よ」


 茶目っ気たっぷりに巻毛メイドは片目をつむった。すっかり意気の削がれた黒髪メイドは、会話で止まっていた手をまた動かし始めた。


 黒髪メイドが部屋中央の絨毯を剥がすのを見て、巻毛メイドは手伝うために急いで駆け寄った。大きな絨毯の埃をはたくために、二人がかりで丸めて慎重にバルコニーへと運ぶ。広げた絨毯をバルコニーの手摺りにかけたところで、二人揃っていったん息をついた。


 ふと、黒髪メイドは真横に立った巻毛メイドの髪に垂れ下がる、ピンクのリボンに気がついた。束ねた髪を収納するキャップからうなじに垂れているそれに、黒髪メイドは見覚えがなかった。


「あなたそんなリボンを持っていた?」


 黒髪メイドが指差して言うと、巻毛メイドはリボンが揺れる後頭部に手をやった。


「気づいちゃった?」

「ええ、たった今ね。どうしたのそれ」


 巻毛メイドはニヤリと笑い、内緒話をするように距離を詰めて肩を寄せる。


「ついこの間、お休みをいただいでしょう? そのときに、すっかり惚れ込んでしまったの」


 得意げに首を揺すって、巻毛メイドはリボンを見せつける。上品な艶のサテンリボンは、近くで見ると薔薇模様の繊細な縫いとりがされていた。


「よく見たら、すごくいいものじゃない。あなたの髪の色にもよく似合っているし、とっても素敵ね」


 黒髪メイドの素直な評価に、巻毛メイドはますますはしゃいで早口になった。


「やっぱりそう思う? 実は前に見かけてからずっと気になってはいたの。それでまた出会ってしまった以上、もうこれは運命なのではと感じて、思い切って――」


 そのとき、がちゃりと扉の開く音が室内からした。バルコニーで話し込んでいた二人のメイドは、慌てて窓から室内を覗き込んだ。水色のお仕着せの洗濯係が、扉を開け放って立っていた。


「まだ終わっていなかったの? 洗濯場の仕事があなたたち待ちなのだから、早くしてくださらない?」

「申しわけありません! すぐに持っていきます!」

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