16輪 お茶とスコーン

 紙包みを抱えて茶葉店を出たところで、ミンディはほっと緊張を解いた。先日の焼き菓子店でのことがあったのでヒヤヒヤしていたが、今回はなにごともなくロザリーのお使いを終えられそうである。ふわりと茶香の立つ包みをしっかりと胸に抱くと、ミンディは白い舗道を意気揚々と踏みしめた。


 そのとき、脇道から出てきた馬車と鉢合わせしそうになって足を止めた。速度を落として主道へと出た馬車は、ミンディがいるのとは反対方向、皇宮方面へと角を曲がっていく。その際、黒光りする横腹に青い薔薇が控えめに描かれいるのが目に留まった。皇室所有のものであることを示す紋章だ。


 馬車は車輪がプラチナ色である他は、装飾が控えられていた。二頭立てで、決して大きくもない。皇室のものにしては一見して簡素なその馬車が、主に皇太子が好んで使用しているものであることを、ミンディはよく知っていた。


 皇太子の呼び出しでロザリーを迎えにくるのも同じ馬車であるし、皇太子の侍衛がヘルツアス侯爵邸へ訪ねてきたときに乗っていたのも同様だった。侍衛が倒れたことを皇宮へ知らせに走ったときには、恐れ多くも皇太子と同乗することになろうとは思わなかったが。


 馬車が向かった方角からして、公務なりを終えた皇太子が皇宮に帰るところなのだろう。


 走り去る馬車をミンディが見送っていると、少し先で急に進路を変えて路肩へ停車した。横腹の扉が開き、若い男性が一人降りてくる。暗色の髪を刈り上げたその男性は、皇太子の侍衛の一人だ。やはり皇太子の馬車だったのだ。


 この辺りに、皇太子が立ち寄るような場所があっただろうか。


 そう思いつつ、ミンディは茶葉の包みを大切に持ち直して歩行を再開した――が、その足はすぐさま止まった。馬車を降りた皇太子の侍衛が、真っ直ぐこちらに向かっていることに気づいたからだ。


 いかにも騎士然とした体格の若者が、あっという間に目の前にやってくる。これは挨拶すべきなのだろうかとミンディがあたふたしている間に、相手が先に声をかけてきた。


「ロザリー・フレディーコ様の侍女の、ミンディ・グンマイ殿ですね」

「は、はい。あなたは皇太子殿下の侍衛の――」

「ザック・ランザンです」


 相手の名前がすぐに思い出せずミンディが言いよどむと、彼は即座に名乗った。ミンディは慌てて荷物を片手に持ち直し、右手で軽くスカートを摘まんだ。


「ご挨拶申し上げます、ザック様」


 ミンディの礼にザックは少しだけ眉を上げたが、すぐに元の無表情に戻った。


「わたしに挨拶は不要です。いきなりでたいへん失礼とは存じますが、共にいらしていただけますでしょうか」


 ザックは礼儀正しく言ったが、声音は有無言わさぬ響きがあった。表情がなく身幅が広いので、余計に威圧感がある。ミンディは気後れを覚えながら、ザックの背後にある馬車をちらとだけ窺った。


「わたくしに、どういったご用件でしょうか。主人の使いの途中ですので、あまり時間がとれないのですけれど」


 相手が悪人でないことを重々承知していても、やはり疑念はもたげる。


 尻込みするミンディを、ザックは数度まばたきして眺めた。その間、表情が動かないので彼の考えがいまいち読めない。もしや気分を害しただろうかとミンディが危ぶんだ矢先、彼は驚くほどあっさりと告げた。


「皇太子殿下が、あなたとお茶をご一緒されたいそうです」




 ❃




 ジェイデンが侯爵令嬢の侍女を誘ったのは、皇室御用達ホテルのティールームだった。午後のお茶の時間とあって、シャンデリアの下にテーブルと椅子が何組も並べられた店内はほぼ満席で、貴婦人たちの優雅な喧噪と温かな茶香が漂っている。皇太子ジェイデンは、そこに隣接する個室をいつも利用していた。


 いくつもの絵画と金縁の鏡が飾られた個室は、ミンディもロザリーに伴われてきたことがあるはずだ。けれどテーブルについた彼女は、初めての場所のように落ち着かなげに、瞳を彷徨わせていた。


 お茶とスコーンがテーブルに並んだところで、ジェイデンはさっそく切り出した。


「突然誘って申しわけなかった。支援している慈善団体の代表から食事に呼ばれたあとなのだが、どうにも退屈で食べた気がしなくてね。気分を変えたいと思っていたところで君を見かけて、つい声をかけてしまった。君とゆっくり話す機会も、お預けにもなっていたところでもあるしね」

「さようで、ございますか」


 硬い表情で肩をすぼめるミンディに、ジェイデンは苦笑を漏らした。


 ロザリーを介してとしてといえど何度も会っているのだから、もう少し打ち解けてよさそうなものだが、彼女にはいまひとつ打破するきっかけが必要らしい。やはり、無遠慮な令嬢と同じというわけにはいかない。


 ジェイデンの外出先の近くにミンディがいたのは、今回もロザリーの差し金であろう。さりとてそれは、ミンディのあずかり知らぬことだ。彼女にしてみれば、わけが分からぬまま攫われたような心地に違いなかった。


 ミンディが裏道に待たせていた馬車は、先にヘルツアス侯爵邸へと帰らせた。御者に彼女の持っていた荷物と、ロザリーへの伝言も預けている。とはいえあまり長時間、侍女を拘束しては、侯爵令嬢の不興を買うだろう。


 ブルーベリーのスコーンに手を伸ばしながらジェイデンは横目に窓の外を見やり、ミンディと過ごせる時間を推し量った。


 スコーンをとり分けて正面へ視線を戻すと、ミンディはまだ縮こまって俯いていた。きつく口を引き結んだその表情は、戸惑いや驚きを通り越して怯えているようだった。


 少し強引過ぎただろうか。と、ジェイデンは考えつつ、彼女へ向ける眼差しを細くした。


「わたしが怖いかい」


 囁くほどの声量で、ジェイデンは問うた。ミンディがはっと顔を上げる。皇太子と目線が合うと、金の虹彩に囲まれた瞳孔がわずかに大きくなった。


「いいえ、そういうわけではありません」

「無理にとり繕うことはない。君も、新春の宴にいたのだからね」

「本当に違うのです。ただ、その……恐れ多くて」


 首を横に振り、ミンディは再び俯いてしまった。


 ロザリーの遠慮のなさを見習えとは思わないが、これほどまでに萎縮されると皇太子といえど少々居心地が悪かった。けれども、今は気弱なようすのミンディも、ロザリーの隣にいるときには見劣りせぬほど凜々しく映るのを、ジェイデンは知っている。


 初対面のときは確かに、赤毛の侍女は侯爵令嬢の後ろにぎこちなく立っていた。その侍女が、短い間に立ち姿から顔つきまでみるみる洗練されていくのを、ジェイデンは感嘆の思いで見ていた。


 第一印象で色鮮やかな容姿に目を引きつけられて以降も、ミンディがジェイデンの意識へと入ってきたのは、彼女の成長を目の当たりにしたのが理由として大きい。


 聡明な侯爵令嬢の導きが正しいのは間違いないだろう。ロザリーは元来、かなり世話好きの女性でもある――皇太子が彼女の世話をまるで必要としないのが、不仲の一要因である程度には。


 だが、ミンディ自身にも応えられるだけの資質が備わっていなければ、目覚ましい成長はなかったはずだ。だから、今の彼女の自信のなさが、ジェイデンには不可解だった。


「今はロザリーの侍女をしてるとはいえ、君も正当に爵位ある家の嫡女ちゃくじょのはずだ。そこまで過剰に遠慮をする必要はないだろう」


 ジェイデンが指摘すると、ミンディは少し驚いたように瞳を上向けた。


「……そのように言われますと、確かにそうかもしれません」

「ロザリーが厳しいかい?」

「それは違います!」


 急に叫んで、ミンディは顔を跳ね上げた。勢いのまま腰を浮かせた彼女に、ジェイデンは目をみはった。


 直後、ミンディは大きな声を出した自分に驚いたようすで口を押さえた。目元が瞬く間に羞恥の朱に染まる。


「あ、その、申しわけございません」


 慌てて座り直したミンディは、またしても深く俯いてしまう。恥じ入って狼狽える赤毛の頭頂部を見詰め、ジェイデンはまなじりを下げた。軽く腰を浮かせて手を差し出し、俯く彼女の視界に入るよう指先を伸ばす。


「気にしなくていい。わたしも、おかしな聞き方をしてしまった。顔を上げてくれるか」


 ジェイデンがそっと赤い前髪を掻き分けると、ミンディは上目にこちらを窺っていた。彼女は胸に手を当てて躊躇う仕草を見せたが、皇太子がほほ笑みかければ、おずおずと背中を伸ばした。


 ジェイデンは改めて椅子に腰を落ち着け、相変わらず不安げなミンディの瞳を見据えた。


「実は君と話したかったのは、ずっと疑問に思っていたからだ。君はすでに、社交界に出ていておかしくない年齢だ。にもかかわらず、わたしはロザリーが君を連れてくるまで、君の姿を見た記憶がない。こう言っては不快に思うかもしれないが、君の容姿は非常に人目を引く。忘れることはありえないだろう。君がそんなに怯えるのは、もしや、そのあたりに事情があるだろうか」


 ミンディの瞳が震えた。息をのんだように肩が揺れ、赤かった頬が青ざめた。

 彼女の明らかな動揺にジェイデンは危うさを察し、すぐさま斟酌しんしゃくする言葉を継いだ。


「話すのが難しい事情なら、無理に話す必要はない。これは、わたしの好奇心にすぎないのだから。断ったとしても、君やロザリーの不利益になることはなにもないから、安心したまえ」


 ジェイデンの言葉を受けて、ミンディは目線を左右に彷徨わせた。その瞳が部屋の出入り扉の方をちらと窺う。


 目線の意味に気づいたジェイデンは、そこに無言で控えているザックに向かって軽く払うように手を振った。侍衛は皇太子の意を即座に察し、一礼して個室を出ていった。


 扉が閉まり、二人きりになったところで、ようやくミンディの唇から言葉が落ちた。


「父に……」


 それだけ言って、ミンディはまた表情に迷いを見せた。ジェイデンが辛抱強く待っていると、彼女は肩を大きく上下させてから、意を決したように言い直した。


「ずっと父に、言われていました。わたくしは、決して人前に出てはいけない、と」

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