10.5輪 乙女の守備範囲は広い

「ねぇねぇ、お菓子をいただいたわ」


 栗色巻毛のメイドは厨房に隣接する休憩室で、同輩メイドの肩を叩いて言った。黒髪の同輩メイドは淹れたてのお茶をテーブルに置いて振り返り、巻毛メイドの持つ箱に目を留めた。


「あら、ロセ・ベーカリーのクッキーじゃない」

「そうなの。あまり数がないから、二人で食べてしまわない?」


 巻毛メイドがいたずらっぽく誘い、二人は簡素な丸椅子に並んで腰を落ち着ける。黒髪メイドはテーブルの上に身を乗り出し、花柄の蓋を開く巻毛メイドの手元を覗き込んだ。


「人気だから買うのもたいへんだって聞いているけれど、誰に貰ったの?」

「お嬢様からだって、紅葉こうようきみが持ってきてくださったのよ」


 黒髪メイドはさっそくクッキーへ手を伸ばしたが、聞き慣れない言葉に顔を上げる。


「紅葉の君って?」

「お嬢様の侍女の、ミンディ様のことよ」


 クッキーを摘まみながらこともなげに言う巻毛メイドに、黒髪メイドは怪訝に眉をひそめた。


「あなたったら、彼女のこと、そんな呼び方をしているの?」

「あら、わたくしだけではないわよ。近頃は、メイドの間でそう呼ぶ子が増えていて人気なのよ、彼女。ご存じないの?」

「……そうなの?」


 初めて聞く話に黒髪メイドは目を剥く。クッキーをかじった巻毛メイドは砂糖の甘さにうっとりとして頬に手を当てた。


「ミンディ様って背が高くて、色白でお顔立ちはすっきりしてらっしゃるし。その上、お嬢様仕込みの上品さで、わたくしたちに対しても威張ったところがないでしょう? 下手な殿方よりもずっと素敵だって評判なのよ。彼女が男性だったら今頃、とんでもない争奪戦よ。今でも、誰が最初にお手紙を差し上げるかで、密かに牽制し合っている子がいるくらいなのだもの」


 まくし立てるような饒舌さでほぼ一息に語られ、黒髪メイドは唖然とした。新たな世界を垣間見た心地で、クッキーを砂糖細工ごと噛み砕く。


「全然知らなかった……みんな、守備範囲が広いのね。てっきりあなたは、皇太子贔屓びいきなのだとばかり思ってたわ」


 黒髪メイドが神妙な表情で噛み締めると、巻毛メイドは奇妙なものでも見るように首を傾けた。


「もちろん、ジェイデン殿下は誰よりもお美しい殿方よ。でも、紅葉の君は女性よ?」

「……そうね。だからこの話の流れに驚いているのだけど」


 ここで当たり前の指摘をされると思わず、黒髪メイドはお茶を一口飲んで眉間をさすった。

 相手の毒気を抜いたのに気づかないまま、巻毛メイドは調子づいて二枚目のクッキーを摘まんだ。


「紅葉の君は女性なのがもったいない部分もあるけれど、女性だからこその素敵さがやっぱりあるわよね。赤い髪も見慣れると情熱的な色合いで、よく似合っていらっしゃるし。あの少しはにかむような笑顔で優しく手をとられたら、わたくしだってときめいてしまうわ。絶対に、お嬢様もそういうところを気に入って、熱心に面倒をみていらっしゃるのよ」


 巻毛メイドの熱のこもった力説に、黒髪メイドは苦笑いしてカップを持ち直した。


「ときめくかは置いておいて、お優しいのは確かよね。これまでお嬢様の侍女は性格がきつい方が多かったから、余計にそう思うのかもしれないけれど」


 黒髪メイドが見解を述べると、巻毛メイドは少し考えるようすで顎に人差し指を当てた。


「それは旦那様が選んでこられた方だったからよ。旦那様って、女性を見る目がちょっと偏っていらっしゃるというか。あ、もちろん奥様は別よ。奥様は厳しいけれど、平等な方だもの」


 うっかり口走った内容に、巻毛メイドは早口になってとり繕った。黒髪メイドは人差し指を立て、黙っていてあげることを身振りで伝えた。


「そうね。それで?」

「それで、そういう旦那様が選んだ方にはお嬢様も厳しくて、みんな何日も続かなかったわ。ミンディ様はお嬢様が自ら指名されて、もう一年になるかしら?」

「よく続いているわよね」

「そういう話ではなくて。お嬢様もやっぱり、ああいう方がお好きなのよ」

「……あなたがそうやって言うと、なんだか違う意味に聞こえる気がするわね」


 どうしてか少々後ろめたい心地を味わいつつ、黒髪メイドは最後のクッキーをかじりながら過去に思いを馳せた。


「でも確かに、だからと渋った旦那様を説得して押し切ったくらいだものね。始めからそれだけ気に入ってらっしゃった、ということよね。ちょうど、侍女が短期間で立て続けに逃げてしまったところだったから、とおったようなものだけれど」


 巻毛メイドもつられて当時を思い出し、顔をしかめて声をひそめた。


「あの頃はひどかったわよね。くる侍女がみんな、わたくしたちに対してお嬢様よりも偉そうで、失敗や不都合はぜーんぶわたくしたちのせい。そのくせ、お嬢様には媚びるんだもの」

「あったわね、そんなことが」

「お嬢様がすべてお見通しだったのが救いだわ。侯爵家に行儀見習いにくるくらいだから良家の子女には違いないはずなのだけれど、中途半端な家柄だとああなりやすいのかしら。ミンディ様がきてくださって本当によかったって、みんな言っているわ」


 ぼやく口調で言う巻毛メイドを、黒髪メイドは片眉を上げて一瞥した。


「調子いいものね。みんなだって、始めはだなんだと距離をとっていたのに」

「わたくしは、そんなことしてないわよ」

「知っているわ。あなた以外の人のことよ」


 黒髪メイドの辛辣さに巻毛メイドは少し唸って、カップのふちを指先でなぞった。


「多少は仕方ないのではないかしら。フィーユの混血は増えているけれど、あれだけはっきり特徴が出ていると、やっぱり最初は少し驚くもの」

「でも今は、それがいいのでしょう」


 黒髪メイドが呆れを込めて肩をすくめると、巻毛メイドは急にニヤリとした。警戒して身を引こうとする黒髪メイドの肩に肩を押しつけ、間近に顔を覗き込む。


「駄目よ、抜け駆けしては。お嬢様と一緒にラガーフェルドに残れているだけでも幸運なのだから、わたくしたちは。抜け駆けなんかしたら、ヘルツアスのご領地へ戻った面々に恨まれるわよ」

「あのね、わたくしにそういう嗜好は――」


 そのとき、がちゃりと扉の開く音と蝶番の軋む音が響き、二人のメイドは同時に振り向いた。少々肉づきのいい先輩メイドが、厨房側の出入り口に腕を組んで立っていた。


「あなたたち、もう休憩交代の時間よ。早く仕事に戻りなさい」

「はーい! すぐに戻ります!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る