加速度的社会変化耐久性能

小狸

短編

「生きづらい」


 思わず、声が出た。


 生きづらい、のである。


 毎日仕事が終わって、家に着くと、電池が切れたようにベッドへとダイブする。


 服を着替えるのも面倒臭い、全てが無理になるのである。真に電池切れのようなものだ。そして何とか意識が覚醒した午前一時頃に、のろのろと活動を始める。シャワーを浴びて、夕食(もはや夕食なのか朝食なのか分からないけれど)を摂って、肌と髪のケアをして、明日の服を用意して、アラームをセットして、もう一度寝る。そんな生活を繰り返していた。


 生きづらい。


 また口にしてしまうと呪いになってしまいそうなので、言わなかったけれど、心の中でそんな言葉を反芻はんすうした。


 いや、いや、いや。


 世の中には、もっと生きづらい人がいる。


 苦しくて、辛くて、死にたくて、それでも生きなければいけないからという理由で無理して生きている人が、いるはずなのだ。


 実際ネットを見るとそうである。


 障害者手帳など標準装備のように持っていて、病や先天的疾患を有し、殊更に「多様性」の強調されるこの世の中では、なるほど「生きづらい」部類に属するのだろう。


 こんなことを臆面もなく言うと、私が彼らを差別しているように思われることを承知の上で言うけれど、少しだけ、羨ましいと思う。


 自分の駄目を、自分の辛いを、自分の苦しいを、自分の死にたいを、障害という形で、世に認められているということなのだから。


 少なくとも社会人ができていて、役職こそないものの通勤できている。


 そんな私は、表だって「生きづらい」などと言うことはできない。


 自分より辛い人間を、知っているから。


 自分は、恵まれているから。


 少なくとも、そう思う。


 社会人2年目となり、後輩も入って来て、まあ仕事は大変だけれど、それでもやりがいはあった。頑張れば頑張るほど、それはきちんと評価される。そういう場所に居られることができたのだ――それでも、生きづらいと思ってしまう私は、贅沢者なのだろうか。


 人間関係の軋轢などがある訳ではない。


 ただ、何となく、社会人になったという気がしないのである。


 身体は、大人になった。


 それでも心は、子どものままなのだ。


 あの頃から、何一つ変わっていない。


 毎日学校に通ったり、下らないことで友達と喧嘩別れしたり、初恋したり、廊下に立たされたり、学力テストで一番になったり、失恋したり、誰よりも早くに読書感想文を書き終わったり、先生に「葬式」と言われて頭の上に花を添えられたり、リレーで前の子がバトンを落としたのに私のせいにされたり、クラス皆から笑いものにされる中一人だけ皆が笑っている理由が分からなかったり。


 そんなあの頃から、私は何も変わっていない。


 周りの皆は、違うのだろうか。


 心も大人に、なっているのだろうか。


 二十歳はたちを過ぎれば、勝手に大人になれると思っていた。


 お酒を飲めたり、煙草が吸えたり、クレカを作れたり、選挙に行ったり。


 誰かと交際したり。


 そういうことをすれば、私も皆と同じように、大人になれるとばかり思っていた。


 でも違った。


 何をしようが私は私のままだったし、私の内面は、何一つ変わらなかった。


 物事が進んでゆく中で、私だけが足を絡め取られて、その場に往生している。


 そして、流れをはばんでいる。


 皆は先に行ってしまう。


 結婚したり、子どもを作ったり、仕事で役職に就いたり、趣味を充実させたり。


 各々の幸せの形を見つけて、生きている。


 待ってほしい、と思う。


 思うだけで、それは言えない。


 早く大人になりたい。


 そんな私は、今日で26歳になる。


 ハッピーバースデー、私。




《Moratorium Personality》 is the END.

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