クレイフィザ・スタイル ―ある日(2)―

一枝 唯

第1話 ちょっとした確認


 ねえねえ、と若者は囁いた。


「ああ? 何だよ」


「どう思う、最近のトール」


「は? どう、って何だよ」


 そのとき、〈クレイフィザ〉のメイン技術者ふたり、それとも二体は、いつものように休憩室で休憩をしていた。


「だから。何か、変じゃない?」


「だから。何を言ってるんだお前は」


 アカシは呆れた。


「ヴァージョン変えた訳でもなし、メンテでどっかいじくったりもしてない。『何か変』だなんてあるもんか」


「そんなの、判んないじゃん。エラーは時に、前触れなくやってくる。アカシはよく知ってるはずでしょ」


 ひらひらとライオットは手を振った。


「目に見えて派手なことしなくたってさ。経験による学習、状況に応じた反応変化、俺らも毎日やってるでしょ?」


「そうだな。日々是学習だ」


 アカシは「人がましい」ことを言った。


「で、トールは何を学習中だって?」


「うん。しばらくアカシとふたりで話す機会、なかったけどさ。この前の『散歩』の件」


「ああ?」


 アカシは片眉を上げた。


「ああ。あれか。あれがどうした」


「あのあと、アカシ、再メンテしてもらってたでしょ。俺も続いたよね。トールはどうだったのか知らないけどさ」


「俺のメンテは、ちょっとした確認だったらしい。変更点は何もなかった」


「それがさ。俺もなんだよね」


 ライオットは両腕を組んだ。


「マスターらしくなくない? 開けたりつないだりしたら、ついでに何か変えるでしょ、あの人、たいてい」


「たいていに当てはまらなかったんだろ。そんなに不思議なことでもない」


「そりゃあ、ね。微妙に数値いじられても、大して変わんないもんね」


「ちょっとは変わるだろ」


「そりゃ、ちょっとは違うよ。でもさあ、細かく計測しながらロイド使う人なんていないでしょ。マスターだって、数字上の話じゃなく、実感でコンマ1の反応差を理解できてるとは思えないよ」


「あの人のは、一種の実験だろうよ」


「俺たちは実験体?」


「違うとでも?」


「違わない」


 ライオットは肩をすくめた。


「それで、ちまちま数字を変えられなかったことが、不満なのか? その方が希望通りだって言ってるように聞こえたんだが」


 アカシが尋ねれば、ライオットは両腕を組んだ。


「そこなんだよね。確認のためのメンテなんてのはマスターらしくないけど、エラーが生じるかもしれない何かを放置されるよりは、全停止してでも確認してもらった方がいいとも思う訳。怖いもんね、突然死は」


「突然死とか言うなよ」


「俺らの場合、過労死とか?」


「その手のたとえは適当にしとけ」


「うん。そうする。ふざけたい気分でもないし」


「さっきから、ふざけてるようにしか聞こえんのだが」


 顔をしかめてアカシは言った。


「だからさ。あの日以来だな、って思ってんの。トールが何だかぼんやりしたり、ひとりでため息なんかついちゃったりして」


「はあ?」


「恋でも、したかな?」


「……おい」


 アカシが顔をしかめれば、ライオットはひらひらと手を振った。


「冗談だよ。マスターがトールにそんなオプション、つけるとは思わない」


「あいつがぼんやりしてうっかりミスでも連発してみろ。部品は届かない、データは誤送信、〈クレイフィザ〉は大混乱だぞ」


「うん。だから。トールはいまでも充分すぎるほど繊細なんだから、いくら我らがマッド・マスターでも恋愛機能はつけないと思うよ、って言ってるの」


「じゃあ、何だってんだ」


「判らないから、アカシに訊いてんじゃん」


「俺が知るかよ」


「だよねー。トールの様子がおかしいことにも気づいてなかったんでしょ」


 ふふん、とライオットは鼻を鳴らした。アカシはむっとしたような表情を作った。


「俺はお前みたいに、他人の様子を盗み見たりしてないんだ」


「何だよ、それ。俺がいつ」


「……また喧嘩ですか」


 呆れた口調で休憩室に入ってきたのは、話題の主だった。


「あー、トール」


「よお、お疲れさん」


「どうしました?」


「え?」


「何が」


 「弟」たちは目をしばたたいた。トールは首をかしげる。


「いつもなら『聞いてよトール、アカシがさ』『ふざけるな、お前の方こそ』……とくるじゃありませんか」


「いや」


「別に」


「大した話じゃなかったから」


「そうそう。なかったなかった」


 こくこくと彼らは同意し合った。


「いつも、大した話じゃないと思うんですけどね」


 「兄」は容赦なく言った。


「まあ、自分たちで喧嘩を収められるなら何も悪いことじゃありません。僕もいい加減、飽きますので」


「ごめんね、トール。アカシがいっつも突っかかってくるから」


「何だと。お前だろうが。きっかけを作るのはいつも」


「……特にプログラムの更新があった訳でもないようですね」


 トールは結論づけた。


「なあ、トール」


 そこで兄を呼んだのは二男だった。


「何でしょう、アカシ」


「お前、何か隠しごとしてる?」


「は?」


「ちょっと、アカシ」


 ライオットが睨んだ。


「こいつが、言うんだよ。最近、お前の様子がおかしいと」


 アカシはライオットを指し、次いでトールを指した。


「何で言っちゃうのさ!」


 抗議の声が飛んだ。


「何のためにアカシに相談したと思ってんのっ」


「相談?……とても、そうは聞こえなかったが」


「あの、何のことですか」


 困ったようにトールは尋ねた。


「心当たりが、ないんですが」

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