二重奏のバラライカ
西野ゆう
Flying Scot
ウィークデイの昼下がり。ピーコックブルーの空の下、不安定でありながら華やかなスティールパンの音色が鳴り響く。祭日や祝日でもなければ、カーニバルの練習をしている訳でもない。
「観光客向け」と言えばそうなのかもしれないが、トリニダード・トバゴの日常であることに違いはない。
「それで君は、本田宗一郎がそのマシンを買ったって言うのかい?」
「可能性の話さ。ロマン、と呼んでも良いかもね」
「人殺しの話がロマンとは、いかにも探偵のキミハルらしい」
「去年シルビオが言い出したんじゃないか。
日本人探偵、キミハルはこのトリニダード・トバゴ第二の都市サン・フェルナンドへ、ただ友人のシルビオを訪ねて一緒にオープンカフェでの昼食を楽しむために来たわけではない。いや、このカリブ海に浮かぶ島国へ初めて来た目的はシルビオに会うためだが、これから二人が向かう地にキミハルの本当の目的はあった。
今こうして六十年以上も前のオートバイレース中の不幸な事故を昼食のテーブルで殺人事件として解決しているのは時間潰しでしかない。
「それにしても、この店のダブルスは旨いね。日本でもこのままの味で流行りそうだ」
トリニダード・トバゴのダブルスとは、様々なスパイスで味を整えられたカレー風味のヒヨコ豆と、マンゴーのチャツネ(フルーツを煮込んでスパイスを加えたソース)をロティと呼ばれる無発酵のパンに乗せた料理だ。イギリス植民地時代に広まった料理なだけに、同じくイギリス植民地だったインドの食文化が多く流れている。
もちろんイギリス本国の影響も大きい。スコットランドにルーツのあるシルビオは、自身がその事実を知る以前からスコットランド贔屓だった。本人曰く「血がそうさせた」らしい。
「日本人やアメリカ人はすぐに国内に小さな外国を造りたがる」
シルビオが鼻を鳴らすが、キミハルは笑って返した。
「でも、そのおかげで僕らは知り合った」
「俺はキミハルじゃなく、黒髪の美人と知り合いたかったね。そんなことより、ソウイチロウ・ホンダの件」
「まあ待ってくれよ。もう空港行きのマキシタクシー(小型の路線バス)が来る頃だろ? 続きはその中で。ほら、ちょうどマキシタクシーが」
「やってきた」というキミハルの言葉は、シルビオの「伏せろ!」という叫びにかき消された。
しかし、キミハルはそのシルビオの言葉を無視し、コーヒーが溢れるのを気にせず叩きつけるようにテーブルへ手をついて向かいに座るシルビオごとテーブルを飛び越えた。
連続した炸裂音を響かせ、テーブルの上の花瓶や食器、あるいはテーブルそのものが砕かれる。スティールパンの音が止む。
「馬鹿野郎が! マシンガンにテーブルナイフで勝てるかよ! ニンジャにでもなったつもりか!」
混乱の中でシルビオは頭を抱えて伏せながら、駆けていくキミハルの踵で跳ねるアディダスのトレフォイルに向かって叫んでいた。
「フライング・ジャップだな」
シルビオがそう零して嘆息した時、キミハルがテーブルに手をつくと同時に掴んでいたテーブルナイフは、テロリストの手の甲に突き立てられていた。
「貴方、プエルトリコ知事暗殺も自分がやった、なんて声明出して名を挙げようなんてつもりじゃないですよね?」
弾丸の軌跡が見える曳光弾を含め装填されるマシンガンを使用していたとはいえ、正に弾丸を見て躱しながら接近してきたかのような男の静かな物言いに、テロリストの男は戦慄していた。ナイフの突立つ手を見ても痛みを感じないほどに。
「や、やったさ。合衆国の犬、いや、鼠を退治してやったんだ。感謝してもらいたいね」
言葉の威勢とは裏腹に、テロリストは無事な左手で額に滲む脂汗を拭うのに終始している。その左手をキミハルが軽く触れて捻ると、テロリストは身体を回転させながら宙に舞い、地面に叩きつけられた。
それを合図にしたかのように、それまでカフェで穏やかな昼下がりを過ごしていた現地の人間たちが、地面にのびているテロリストを蹴りつけ始めた。
「止めろ! 止めるんだ!」
暴徒と化した市民はキミハルの制止など聞かなかった。テロリストを制圧したように力ずくで抑えることもできない。
「キミハルこそ離れろ! ここは危険だ」
シルビオがキミハルの腕を掴み、引きずってその場から離れる。輪になってテロリストを蹴りつけていた市民たちの動きが止まった。そして単発に切り替えられたマシンガンの銃口から三発の銃弾が発射されると、市民の輪は解けてスティールパンが再び歌い始めた。
まだテロリストが倒れた場所を見つめるキミハルの腕を、シルビオはマキシタクシーに片足を乗せて強く引いた。
「改めてようこそ、カリブの島国へ」
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