騎士と女王陛下・日常篇

@parliament9

第1話


登場人物

"女王陛下"

イルド・パースフェル

"白光騎士"

センロク・グリシア


時期

2019年12月


場所

東京都武蔵野市



「はんぺんが食べたい…」


ぼそりとそう呟かれたその言葉に、俺は戦慄を覚えずにはいられなかった。

今は12月、まじりっけなしの真冬で雪も降っている。

そりゃはんぺん、おでんの一つも食べたくなるだろう。

でもそれは家にないのである。つまり買い出しに行かなければならない。誰かが。

そしてこの場にいるのは俺と女王陛下だけ。答えは出ている。

だが真冬なんだ。それも大雪の降っている真冬。

だいたいさっきも飯食ったばかりだというのに、何故そんな思い付きをする。

忠誠心がないわけではない、ないが、それはそれとして大雪の中、もっとも近いコンビニですら2キロある道のりをおっかなびっくり自転車で駆け抜けていく思いはしたくない。

「陛下、お言葉ですがそれでは明日…」

「今」

抵抗を試みるが、一言で切って捨てられた。予想はしていたが辛い。

俺は覚悟を決め、寝転んで読んでいたスラムダンクを置き、こたつに足は突っ込んだまま身を起こす。

我等が麗しき女王陛下は座布団を枕に、こたつにほぼ全身を突っ込みながらうとうととした面持ちだ。(俺もほぼ全身を突っ込んでいたが、無理やり避けるように斜めの体勢を取っていた)

これなら放っておけば大丈夫かと思いそうになるが、女王陛下は決して甘くはない。惰眠の心地よさを貪る領域と、食べたいものを食べさせろと白光騎士に命じる領域を悠々と同時稼働させるお方なのだ。

当然、俺の正直だるいなという気持ちも見透かされているだろう。だがここで安易に屈してはならない。

命じれば何事も配下がやってくれる…そのような環境に甘んじた人間が大成した試しはないのだ。

真なる忠臣として、勇気をもって忠言しなくてはならない。決してだるいなどという低レベルな話ではない。だがただダメですよ陛下~などというノリで言ったところで聞きゃしないだろう。ここは正面突破。

正々堂々、ビッシィ言ったったるのだ!

「あっ、あの、あのですね陛下。その、あのその、やはりあの、先ほどォあのぉ、夕ご飯も食べたばかりですし、あの健康面の配慮から言ってもですね、あの夜食はあまり良くないんじゃないかなァ~なんて…」

砕けた。俺の腰は。

直前までは恐れながら申し上げます、陛下!とビシッと切り出す口になっていたのだが、いざ開いたらぐっだぐだだった。しかしこれまでははい…と何も言えずにすごすご命令を甘んじて聞き入れるだけだったことを思うと格別の進歩である。俺は恐れ恐れ薄目で陛下のご尊顔を伺う。


鬼がいた。


女王陛下は美しい。赤茶色に白のラインの入ったジャージはなるほど、一般的な美の勝負においてはハンディかもしれぬ。ジャージは日常生活を送る上での実用性に重きを置いた装備であり、装飾性に重きを置いたドレスとでは自然、バトルフィールドか違うのだ。

それであれ、そのハンディを負ってなおその美貌はもはやこの世のものではない。

人形よりも完成された、一ミリの崩れも見出せぬこの世の美の理想を具現化したかのような顔立ち。絹糸のように輝かしい金色のロングヘアに包まれたそれよりも美しい人間を俺は知らない。

その顔が今、怒りに染め上げられ、人を射殺すかのような視線が俺を貫いている。腐っても白光騎士、この時代の人間相手なら一山いくらにもなるまいという自負はある。あるがその俺が凍りつき、冷や汗が止まらず、心臓は早鐘である。自律神経レベルで命の危機を感じている。

「センロク」

かの口が開く。

「は!」

体が伸びる。自然と直立不動となる。

「今、何をか言うたか?」

「5分以内に御用意いたします。陛下!」

「センロク」

「は…!」

「私は、今、食べたいのだ。なぜ5分など時間を区切る?ただお前はお前に出来る限りの最速最短の行動を取ればよい。その結果が1時間であればそれは受け入れよう。だが予め5分で区切るということは4分で用意出来得る可能性を捨てるということ、つまり全力を尽くさずに済む余地を残すということであるな?それは果たして、本当に忠義の騎士の持つべき心構えたるものであるか?」


「今すぐに用意いたします陛下ぁあああああぁッ!」


アパートを飛び出し、壊れない程度を慎重に推し量りながら白光騎士の本気で自転車を漕ぐ。サドルの下の反射板が赤く輝き、動線が美しきラインとなって浮かび上がる(ような気がした)。


結果、何度かこけまくったが四分を切るレコードを出せた。やはり陛下は正しかったのだ。かくして俺はまたしても陛下への忠誠心を厚くすることとなったのである。


汁もまたこぼれまくったのでそちらの件で折檻を受けたことはまた別の話である。

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