第二階層
「まず、『特殊領域』の復習をしよう」
その日、アパートに帰った燐は、ベッドに座り、アリスにそう言った。
小さく頷くアリスへと、燐は『特殊領域』の説明を始める。
『特殊領域』とは、ダンジョン内に存在する階層の法則から外れた場所のことだ。
水の洞窟の中に突如現れる密林とそこに君臨する森の王、腐肉の海に浮かび上がる死者の館。通常であれば考えられない異常な場所を、人々は『特殊領域』と名付けた。
「その中でも、冒険者は『箱庭』と『自然』の二つに『特殊領域』を分類している」
『箱庭』とは、ダンジョン側が一から十まで環境もモンスターもそろえた場所のことだ。
そして『自然』は、特殊な地形や環境、あるいはモンスターの存在により、特殊な場所となったもののことだ。
「二階層に存在する『ゴブリン村の戦場』は、後者、『自然』型だ」
ゴブリン村の戦場が存在する二階層の東端。そこは、洞窟の中で突如開けた巨大なルームとなっており、その場所ではゴブリン以外は生まれない。
その結果、ゴブリンたちの安息の地となり、集まったゴブリンたちは大規模な群れを築く。
だがゴブリンの群れの限界数は、約50体。それを超えて群れが大きくなれば分裂して争う。
「あの場所ではそんな現象が何度も繰り返されている。結果、ルームは二分され、ゴブリン同士が縄張りを巡って争い合うようになる」
戦国時代みたいなものだな、と燐は付け加える。
ルームが日本本土で、村が各地の大名。日本統一を目指して、武力で争い合っている。
「まあそれは大して重要じゃない。問題は、ほぼ互角の群れ同士の争いを終わらせる存在のことだ」
それこそが、燐の目標だ。二階層はおろか、上層においても最強格の力を持つモンスター。
「『
『呪いの武器』は、怒りや憎しみ、嫉妬といった負の感情を浴びることで生まれる。だがすべての負の感情を浴びせられた武器が、『呪いの武器』になるわけではない。
『呪いの武器』には、生半な感情を凌駕する強烈な負の感情が必要だ。そしてその発生には魔力も強く関係していると言われている。今でも謎の多い現象だ。
「通常、モンスター同士の戦いで呪いの武器が生まれることは少ない。奴らは本能的で知能が低いからな。強力な負の感情を抱きづらい。だけど、ゴブリンは違う。人に似た社会性と高い知能を持つゴブリンは、人の劣化種と言ってもいい。奴らは人間の次に、『呪いの武器』を作り出す」
「そしてゴブリン同士の戦争では、ほぼ毎回『呪いの武器』が生まれる」
アリスが補足する。
流された血、戦場に満ちる恨みと殺意が、呪いの武器を生む。
そしてその武器を、ゴブリンたちは持ってしまう。
「大体のゴブリンは呪いに呑まれて自滅するけど、まれに呪いに適応する進化を行う個体が出てくる。それが、『呪われし小鬼』で、俺が討伐して武器を奪おうとしているモンスターだ」
モンスターは、人間のようにジョブが存在しない代わりに、レベルが上昇すれば『進化』と呼ばれる肉体と魂の変異現象を起こす。
基本的に、同階層内では同じような強さのモンスターが生まれるため、同士討ちが行われて進化が可能になるまでレベルを上げる個体は現れないが、極まれに進化した個体が強くなりすぎて、賞金首となることもある。
そしてその中には、通常の進化の枠組みからすらも外れた『名持ち』となることもある。
「まあ、アリスなら知っているだろうがな」
アリスは『特区第一ダンジョン』でダンジョンの管理をしていた【妖精】だ。
あの場所のことなら燐以上に詳しいだろう。
だがアリスは金糸のような髪を揺らして、否定した。
「そんなことないわ。『特殊領域』の分類のこととか知らなかったもの」
「ならいいんだが。……話を戻すぞ。まず、この『呪われし小鬼』戦う時の注意点は、呪いの武器の強さを確認することだ。ゴブリン自身のステータスは当てにならないと思った方がいい。まずは『呪いの武器』の効果を把握するんだ。そして戦う時は、『呪いの武器』を小鬼から切り離すんだ。『呪いの武器』さえなくなれば、ちょっと強いゴブリンでしかない、らしい」
「……らしい?」
「十香さんに聞いたんだ」
実際に戦った人間の意見を聞きたかったため、ダメ元で聞いてみれば、なんと十香も過去に、『呪われし小鬼』との戦闘経験があった。
燐が戦うつもりだと伝えるとかなり驚いていたが、真摯にアドバイスをくれた。
「へえ。あの燐が」
しみじみと、どこか嬉しそうにそう言うアリスに対し、燐は居心地悪そうに視線を細めて、目を逸らした。
「聞いた話じゃ、レベル10の時に挑んで、負けたらしい」
その事実は、燐を酷く驚かせた。
レベル10は、初心者とそれ以上を隔てる壁であり、冒険者にとっては大きな意味を持つ。
二つ目のジョブ枠も解放され、一端の冒険者として扱われるようになるのだ。
そんな冒険者が、二階層のモンスターに敗北することなどあり得ない。
それほどの『特別』なのだと十香は燐に告げた。
「今のレベルで挑むのはやめとけって言われたよ」
彼女は燐に情報を与えたが、それは『呪われし小鬼』に挑むのをやめさせるためだったように思えた。
燐のことを生まれたころから知る女性だ。だが燐の冒険を止められる間柄ではない。そんな彼女が燐の冒険を止める方法は、情報提供しかなかったのだ。
「燐、正直ワタシも厳しいと思うわ。少なくとも、正面からぶつかって勝てる相手じゃない」
『呪われし小鬼』を知るアリスもまた、同じ意見だった。
「だけど、勝ち目がないわけじゃない。だろ?」
「……ええ」
本音を言えば、アリスはもっとレベルを上げてから挑むべきだと考えている。
欲を言えば、仲間や武器を充実させてからだ。
だがそれを燐が聞き入れるとは思わなかった。
せめて、準備を整えてから挑む。その言質を取れたことに、アリスはひとまず胸をなでおろした。
□□□
週末、燐はダンジョンに潜っていた。
一階層の奥深くまで進み、自身の足音とモンスターの鳴き声が、石の洞窟に反響している。
それにも関わらず、燐の側にはアリスの姿はない。
その理由は燐の現在地にある。
前には視認できる距離に冒険者のパーティーが存在するし、この近くにも別の冒険者の姿を見つけた。
ここは第一階層正規ルートの奥だ。
基本的に別パーティーの冒険者同士は近づかない。
揉め事を避けて獲物の取り合いを防ぐためだ。
そのため視認できる範囲にいる人数は少なくても、総数としてみれば燐がいる一帯が、この一階層では一番人の通りが多い場所だろう。
燐は順調に正規ルートを進んでいく。モンスターを警戒しながらだが、周囲の冒険者が狩りつくしたのか、モンスターの姿はない。
そう思っていると、右側の通路から物音が聞こえた。
「来たか……!」
燐は僅かに興奮しながら短槍を構えた。
暗がりの奥から姿を現したのは、三体のゴブリンだ。
完全に燐の姿を捉えており、【ハインド】も間に合わない。
以前であれば撤退を選択した状況だが、今の燐は違った。
『ケガしないでよね………』
胸中にアリスの呆れ声が響く。
「分かってる!」
荒い叫びでそれに答えた。
燐はゴブリンたちに向かい疾走する。その走りはゴブリンたちよりも遥かに速く、こちらに向かってきていたゴブリンたちが驚き、足並みを乱してしまうほどだった。
臆したゴブリンが集団から遅れ、果敢な二体が前方に突出する。
燐はゴブリンたちの短い獲物の間合い外から短槍を突き出す。その一撃はゴブリンの胴体に突き刺さり、吹き飛ばした。
「は?」
ぽかりと空いたゴブリンの胸の穴を見て、燐は唖然とする。
今までとは手ごたえが違う。まるでクッキーを砕いたときのような薄い手ごたえだった。
『Giiiiiiiiiiiiii!』
ゴブリンの叫びが燐の意識を戻した。
振り下ろされる石のナイフを一歩下がり回避する。
先手をゴブリンにとられたはずなのに、いともたやすく燐の身体はナイフの間合いから出た。
そしてナイフが振り下ろされるのを観察する暇さえあった。
(レベルが上がるとこうも変わるのか)
ゴブリンも燐も低レベルだからということもあるだろうが、レベル1の差のあまりの大きさに燐は驚く。
すでに燐とゴブリンのアビリティの差は倍近く離れている。当然の結果だった。
燐は力を抜いて、片手で槍を振るった。穂先が首元に吸い込まれて跳ね飛ばした。斬首された頭が転がり、暗がりの奥へと消えた。
今までであれば、片手で短槍を扱うのもおぼつかず、ましてや太い骨に守られた首を斬ることなどできるはずも無かった。だが今は違った。レベル2になり上昇した『力』は燐に超人的な筋力をもたらしたのだ。
燐は最後に残ったゴブリンへと近づき、突きを放つ。力を調整して放った刺突は、ゴブリンを吹き飛ばすことなく魔石だけを砕き、灰に変えた。
「すごいな、レベルアップ!」
燐は思わず声を漏らした。ダンジョン内で騒げばモンスターを引き寄せることになるのだが、そんなことにも気づかないほど燐はレベルアップの恩恵を噛み締めていた。
『下の階層に行けばモンスターのレベルも上がるんだから、調子に乗らない』
そんな燐を、アリスが窘める。
1階層にいるゴブリンたちは大体、レベル1だ。だが下に行けばゴブリンのレベルは上がっていく。中にはレベルアップを成し遂げて、レベル3,4に上がっている個体がいてもおかしくはない。
そして燐はこれからそんな二層へと潜るのだ。
「いいだろ。どうせ今だけの無双なんだから」
燐は興が削がれたと言いたげに短槍を振るい血肉を落とした。
拗ねたような燐の仕草にアリスは心中で大きく息を吐いた。
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