あるいは幸運なミステイク
夢月七海
#1 探偵の失態
一葉の古い写真。写っているのは、大きな一本の木と、その根元に寄り添い合って座る二人の少女。どちらもワンピースを着ている。
見た瞬間に驚くのは、この二人が全く同じ顔をしていることだった。それだけではなく、髪型、ポーズ、服と靴のデザインまで一致していて、ワンピースの色が異なっていなかったら、合成写真だと錯覚してしまいそうだ。
「こちらが私、隣にいるのが、双子の妹のローズです」
写真の持ち主であるローザ・ノイルさんが、赤いワンピースを着た方を最初に指差し、次に青いワンピースを着た方を指差した。
教えて貰ったプロフィールによると、今現在のローザさんは、六十二歳。ブロンドの髪はシルバーに変わり、重ねた年月が顔に皺として刻まれていても、写真の少女の面影は確かに残っている。
「こちらの写真を撮ったのは、何歳の頃ですか?」
「十八歳……高校卒業する直前です。そして、これが、妹を写した、一番新しい写真でもあります」
なるほどなるほどと、冷静な顔で頷きながらも、私は内心焦っていた。
ローザさんからの依頼は、行方不明になった妹を探してほしいというものだった。「妹さんの写真は?」と尋ねた時に、テーブルの上に置かれたものを見た時に抱いた嫌な予感が、見事に的中してしまった。
「えっと、もう少し詳しくお話ししていただけませんか?」
「すみません。気が
苦笑を浮かべたローザさんは、改めてテーブルの上の写真に目を落とした。
「トレンバーという町に、私たちは生まれました。一緒に育ち、いつも行動を共にし、そして、家族も間違えるほど、見た目がそっくりでした。ファッションの好みも似ていたので、分かりやすくするために、服の色だけを変えています。
唯一の違いは、趣味くらいです。私はミステリーが好きなんですが、妹は詩が好きでした。私がよく暗号を作り、妹は詩を作り、お互いに見せあっていたのが、子供の頃の思い出です。だから、部活は文芸部に入っていました。
高校の文芸部は十人もいなかったのですが、一人、幽霊部員の同級生がいました。名前は、サミュル・ジーウンと言います。彼は苦学生で、放課後にアルバイトをしているため、滅多に部活に顔を出しません。
そんな彼と初めて顔を見合わせた時にときめいて、いつか私と同じようにミステリーが好きだと聞いて、より心が惹かれていきました。しかし、サミュルへ愛の告白はできませんでした。妹のローズも、彼のことが好きだったからです。
お互い、そのことを話さずとも、勘づいていました。それでいて、その気持ちは胸に仕舞っていました。一度も喧嘩をしたことがないので、どうすればいいのか分からなかったのです。妹には、私の飲み物を勝手に飲んでしまう悪癖がありましたが、それに対して怒ったこともありませんでした。
表向きには、仲の良い姉妹でした。いえ、冷戦と言えるほど、関係が悪化することもなく、私の妹への愛は変わりません。このまま、サミュルへの気持ちは隠し通して、いつの日か、姉妹で違う人を好きになろう、そう思っていました。少なくとも、私は。
……高校の卒業式の後、ローズとサミュルは駆け落ちしました。私たちとサミュルの家族、同級生たちも巻き込んで、皆で探し回りましたが、卒業式のあった日の夕方に、二人が駅に入っていくところを見た、という証言しか得られませんでした。
それから今まで、妹とサミュエルの行方は分かっていません」
まるで用意していた原稿を読み上げるように、淡々と自身と妹の話を語っていたローザさんだったが、駆け落ちの話では、流石に声が震えていた。それは怒りというよりも、当時と同じ衝撃を語っているように、私は感じた。
「回りくどいのは苦手なので、はっきり申しますが、なぜ、今、ローズさんを探し出したいのですか?」
「……ええ、あれから四十四年も経っているのに、不思議に思うのは当然ですよね」
ローザさんは目を伏せる。傷付いているのは明らかだったが、私はこの依頼を受ける前に、彼女の本心を確認したかった。
「単純に、許せなかったのです。サミュルを奪われたことに対しててではありません。妹の駆け落ちの後、私も結婚しましたから。ずっと一緒にいた妹が……、私に噓を吐いたことのない妹が、いつの間にか、サミュルと仲を深めていた、その裏切りが、許せませんでした。
それでも、年月が経ち、家族のいる忙しい毎日の中で、妹への怒りは落ち着いていきました。きっと、妹にも色々あったんだろう……そんな想像をする余裕が心にできてきたのですが、途端に、怖くなったのです。妹の現在を知ることが」
顔を上げたローザさんは穏やかに微笑んだ。しかしそれは、諦観の色が強いものでもあった。
「そんな風に、想像して怖がるのにも疲れた頃、やっと妹に会う決心がついたのです」
「……よく分かりました」
四十四年間の葛藤を、端的にだが正直に話してくれたローザさんに、私は大きく頷く。そんな彼女に対して、自分の真摯な気持ちを伝えるために、ローザさんの手を取った。
「妹さんのことは、私が必ず見つけ出します」
◐
「……そう、約束したのに」
ローザさんから依頼を受けた日のことを思い返して、私は溜息を吐いた。彼女の願いを叶えるために、手を尽くそうと決意していたはずが、自分の不甲斐なさが申し訳なく感じる。
まず、私はローザさんに頼んで、トレンバー以外の町に住んでいるローザさんたち姉妹やサミュルさんの親戚に、二人の行方を知らないかと改めて尋ねてもらった。結果は、全員知らない……駆け落ち当初ならともかく、四十四年後も匿っているとは思いにくいので、彼らへの追及は保留する。
次に、インターネットで、ローズ・ノイル、及び、サミュル・ジーウンの名前を検索してみる。しかし、それだけではヒットしない。ローザさんもそれくらいは行っているはずなので、ここは軽く調べるだけにした。
探偵としての私が出来ることは、僅かな情報から、
まずは、四十四年前の電車の沿線図を入手した。トレンバー駅から伸びる線路は北向きと東向きがある。ここから出発する電車の終点の町を調べてみると決めた。
根拠は、この線路は首都と直結しておらず、複数回の乗り継ぎが必要となるので、そこへ入っていないだろうということ。二人がパスポートを持っていないことを考えると、国外に出る可能性はゼロだ。そして、出来るだけ故郷から遠く離れたいという心理から、きっと終点まで電車に乗り続けていたのではないか。
ただ、根拠としては非常に薄い。終点の町に滞在したのはほんの数日間で、そこからまた別の場所、あるいは、首都へ向かった可能性もある。それでも、何かヒントくらいはあるかもしれないと、私は北向きの線路の終点を目指し、トレンバー駅発の電車に乗り込んだ。
私は、トレンバーを出発点にすることにこだわった。四十四年経って景色や電車が変わっていても、ローズさんとサミュルさんがどんな思いで電車に揺られていたのかを、同じ道を辿って想像したかったのだ。
トレンバーも片田舎の町だが、だんだんと北へ登っていくと、大きな建物は減り、木の数は増えていく。首都方面とは正反対な道なので、電車は、農業や畜産を中心とした村と村の間を走る。それを眺めるうち、うつらうつらと眠っていった。
目を開けると、電車は川の上の橋を渡っていた。しまったと、思わず立ち上がる。他の乗客の目を引いて、おずおずと席に着いた。だが、心の中の焦りは変わらない。「終点の町」を乗り過ごしてしまったから。
実は、三十年ほど前に線路が延長されて、トレンバー駅北行きの終点は、二人が姿を消した四十四年前とは違う。当時の終点は、今渡っている川の手前までだったのだ。
昨日の夜も、これから向かう町の情報を得ようと、当時の地方新聞や雑誌を捲って調べていたのだから、今日は寝不足だった。そのため、居眠りをしてしまったのだろうと反省するが、今はそんなこと無意味だ。
ともかく、次の駅で降りて、前の駅に引き返そうと、ネットで時刻表を検索するが、戻りの電車の出発は一時間後だと分かり、愕然とする。溜息を吐いて外を見ると、川の上を観光用渡し船が、悠々と進んでいた。そんな牧歌的な光景すら、憎らしくなってくる。
そんな失態を演じて現在、四方を川で囲まれたデルタの村・キャルセアの駅に、私は自責の念だけを支えに立っていた。駅の時刻表を改めて確認しても、やっぱり一時間後に戻りの便が出る。
こうなったら、観光用の渡し船に乗ろうかと、構内にあったパンフレットを見ると、目玉が飛び出るほど高い。電車賃の三倍の値段だ。現在は、大きな橋が出来た為に、ここの住民の需要がないとはいえ、あんまりな話である。
なんとなく、パンフレットを読み進めてみると、橋の完成以前は、子供の小遣い程度の値段で渡し船を利用していたようだった。住民の足だったのだから、そうなんだろうと思いつつ、私は考えを改め始めていた。
ローザさんたちは、終点の町で電車を降りた後、僅かな渡し賃を払って、このキャルセア村に来ていたのではないかと。ただ、あの事件がある……と思ったが、それが起きたのは彼女たちの駆け落ち後なので、無関係だ。
構内の村の地図を眺めてみる。教科書に載っているので、この村の名前は知っていたのだが、実際に足を踏み入れたのは初めてだった。悪名高いベーナント工場の跡地も、人が住んでいる地区と近い位置に立っているのに驚かされる。
駅の前は、お店が多く、村の中でも一番賑わっている場所だった。そこで情報収集しようと、真っ先に目に入った果物屋前、ローザさんと年の近そうな店主の老人に話しかけてみた。
「あの、すみません」
「いらっしゃい! 何にしましょうか?」
「いえ、買い物じゃないんです。人を探していまして」
私が勘違いを正しても、店主さんはにこにこしたまま、「何か力になれるかね?」と言ってくれた。その厚意に甘えて、私はさっそく切り出す。
「ローズ・ノイルさん、もしくは、サミュル・ジーウンさん、そのどちらかでも、知っていませんか?」
名前を出した瞬間、店主さんからスッと笑顔が消えた。ただ、怒っているというよりも、こちらを警戒しているような表情に変わる。
「……お嬢さん、ルポライターかい?」
「えっと、私は、探偵をしていまして……」
慌てて、スマホで事務所のウェブサイトにアクセスして、店主さんに見せた。私の顔写真とこちらを見比べて、やっと納得した様子で頷く。
「ごめんなぁ。よく取材に来る記者が多くて、うんざりしていてさ」と、店主さんは謝ってくれたので、安堵した。ただ、「私をルポライターと思ってしまった」事実に、嫌な予感がよぎる。
「サミュルはここの常連で、昔からよく知っているよ」
「えっ! 本当ですか!?」
「ああ。電話番号も知っているから、これから掛けてみようか?」
「ええ。お願いします」
思ったよりもあっさりと、依頼は解決した。普通ならば、良かった、間違って乗り過ごしてラッキーだったと喜ぶところだが、嫌な予感は去らないどころか、余計に大きくなっている。
店主さんは、サミュルさんを知っていると断言したが、ローズさんのことは一切言及しなかった。店の奥に引っ込んでいく彼の背中を見ながら、私は、そのことを指摘できずに立ち尽くす。
高校生だった二人の少年少女が駆け落ちした時代、教科書にも載っているこの村の歴史、店主の勘違い……。真実が得た頭が熱する一方で、心が冷え込んでいく。
私は、これから、残酷な真実と向き合おうとしていた。
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