招かれ人奮闘記

袴垂猫千代

第1話 こんないたいけない新生児に何をする気だ

 最初に見たのは、赤ん坊の小さな手だった。指を軽く曲げたり伸ばしたりしてみる。思い通りに動く。

 バスタオル的な柔らかい布を敷き詰めた大きなカゴの中のようだ。下腹は敷き布より薄手の肌触りの良い布に包まれている。

 周囲は明るく天井が高い。

 一枚板のようだが、全体に薄いベージュで木製には見えない。べたっと塗ってあるのかも。


(生まれ変わったのか)


 他人事のように思った。赤ん坊の目ってこんなにはっきり見えたっけ? 人間じゃないかも。


高志こうし、起きたのかい。目が開いたね」


 東洋人的だが日本人より彫が深い小麦色の若い美人が顔を覗いてきた。人間かそれに近い生き物のようだ。

 なんで言葉が判るんだろう? 異世界言語理解ってやつ? しかも漢字に翻訳されてる。でもタカシじゃなくてコウシ。


 意訳されるなら、なんちゃってヨーロッパでも赤毛とか踵掴みとかになりそうなもんだね。

 これは日本人が転生したのにジャックアンドベティになるよりましか。

 それは置いておいて常識的に考えて母親か近親者だと思われるので、手を軽く振りながら愛想笑いをしておく。


 ちょっと下に目をやると、大振りだが形の良い乳房が目に入った。

 授乳用にはだけてるんじゃなくて見える範囲にはなにも着ていない。

 暑くは感じないけど雰囲気が熱帯っぽい。

 漢字圏の東南アジアとか? 温暖化で熱帯になった遠未来の日本の可能性も少し有り。


 包まれている布ごとそっと抱き上げられて、食欲の対象でしかない綺麗に張った丸みが近付いてくる。

 授乳プレイをしてもらって、またねんね。


 次に見たのは十歳くらいの女の子だった。この子も赤を基調にした南国風の柄物の腰巻一丁のトップレスだ。

 細めの体の胸にでかいニキビが二つ付いてる。

 母親らしき人は黒髪だったけど、この子の髪はすこしウエーブが掛かった焦げ茶。後ろで一つに纏めている。

 ふにゃって感じで笑いかけられる。可愛い子だ。


「坊ちゃまのお守り役を授かりました紅蜻蜓べにやんまです。よろしくお願いします」


 ヤンマなんて漢字書けないどころか読めないよ。知らない漢字まで翻訳されるのか。

 それもだけど、この子の名前の紅ヤンマもインパクト強い。

 女の子の名前じゃないよな。意訳だとこうなっちゃうのか。

 赤いヤンマなんていたっけ? 多分見てもでかい赤トンボだとしか思わないかも。


「御良様はお休みになっておられますよ。強健羊の化身持ちでも無理は良くないですからね」


 なまじ言葉が判るせいで頭の中がハテナマーク過積載ですよ。強健羊の化身は今はほっとくしかない。今後に期待。

 御寮様じゃないんだね。母親が側室だとしても坊ちゃまだから、暗殺対象?


「旦那様のおかげで隊の者は皆幸せですよ。坊ちゃまもきっと、周りの者にたくさん幸せを下さるお方におなりになるのでしょうね」


 赤トンボ(大)がとろっとした顔で言う。父親の人は慕われてるみたいだ。坊ちゃまも期待されている。なんとなく安心したので、赤ん坊の出来ることはねんねだ。


 目を開けたら、ちょっと離れて二十代前半くらいの若い男が見ていた。やはり堀の深い東洋人風の、なかなか良い男である。

 周囲と比べて結構でかい。見えている上半身は裸で引き締まっているけどムキムキ。

 格闘家的な動ける筋肉だね。締まっているのでヘビー級より少し軽い感じ。隣にいるええ乳より色黒。


「見えるか。父だぞ」

親父様おやじさまですよ」


 自己紹介に母親(当確)が被せる。父が親父様なら母はお袋様かな?

 ともかくあーとかうーとか言いながら笑っとく。


「おお、笑ろた」


 倍返しどころじゃない笑顔が返って来た。義理で笑ったのが申し訳なくなって、手を伸ばしてぱたぱたする。


「お、なんだ、触りたいか」


 グローブみたいな手を伸ばしてきたので、にぎにぎする。この世界の新生児にも原始反射はあるのかな? 親父様が盛大に笑う。


「あらぁ、こちらにはしてくれなかったのに」


 お袋様がひがむ。そんなこと言われても。


「何を言うのだ。困っておるぞ」

「ほんとうですね。言葉が判っているみたい」

「武人と職人の子に賢人が生まれた話は聞かぬが」

「招かれ人なら、赤子の時から大人の意識があるのですよね」

「待て、神官殿から言われたであろう、初子の親は子の些細な行いを人並みはずれたものだと大騒ぎすると」

「そうですけどぉ」


 なんのこっちゃらさっぱり判らないが、親父様冷静だな。お袋様不満そう。

 神様がどんな風に係わってるのか判らないけど神官はいると。

 招かれ人って特別待遇の転生者っぽいな。

 俺は神様に会ってないから、只の転生者なのかな。


「仕様もない事を言っておらんで乳をやって寝かしつけてくれ。その間に剣蜂けんほうに気を入れておく」

「はい」


 そっと抱っこされてうまうまなのですが、紅ヤンマじゃない若い女の声でありがとう御座いますって聞こえた。その後、ああんとかううっとか、何やってるんだと言うかナニやってるとしか思えない声がする。

 食欲と睡眠欲しかないので気にしない。見えないし。カゴに戻されてねんね。




 目が覚めると紅ヤンマが覗いてくる。


「お目覚めですか。ねえ、坊ちゃま、招かれ人じゃないんですか。違ったら左手、招かれ人なら右手を上げて下さいな」


 両手挙げちゃうもんね。


「あらぁ、これはなにも仕草はしてませんよ」


 こいつ、意外にカシコい。うんこしてやる。でもってお腹ぽんぽん、と。


「なんですか」

「うう、うう」

「あ、ムツキ?」

「あうあう(そうだよ)」


 カゴごと抱き上げられる。細い子供なのに簡単に持つね。


「お頭様、これにも坊ちゃまのお世話をさせて下さい」

「貴様は妹で慣れておるよな。よいぞ」

「ありがとう御座います」


 若い女と親父様の声がして、全裸のミドルティーンくらいの子がやってきた。所謂妾妻同衾なのか。

そこを今気にしてもしょうがないが、この子が剣蜂なんだよね。で、尻から針じゃなくて剣が出て来る蜂がいるわけだ。

 なんで肉食昆虫ばっかなんだ。二人目だけど。どっちも一人称が「これ」なんだね。


 広いシャワールームらしきところに持ち込まれて、スポンジ的な柔らかい板状の物の上に置かれた。


「ムツキを洗いますので、剣蜂姐は坊ちゃまをお願いします」

「ありがとう。坊ちゃま、触らせて下さいね」

「あーい」


 おむつが汚れてるのに無駄に機嫌よくても変だから、大人し目にしておく。腰に巻いてあった布を取られて、冷たくはないくらいの温度の水で洗われた。

 新生児でも水洗いがデフォらしい。気候があったかいし生き物として丈夫なんだろうね。


 優しく拭かれて新しい布に包まれて、お袋様に渡される。はい、うまうま。


妙灯花みょうとうか朝餉あさげはここに持たせるか」

「いえ、もう食堂に行きます。寝てばかりもかえって体の戻りが遅くなりそうで」


 お袋様は肉食昆虫じゃなかった。よかった。タガメとかゲンゴロウだったら嫌だなと思ってたんだ。

 名前の意味は判らないが。で、赤ちゃんはねんね。


「もう寝るのか。出る前に手を握らせたかったが」

「起こしてはだめですよ」

「だめか」


 だめですよ。言われなかったら起こす気だったな。めんどくさいから寝たふりしているつもりで本気で寝る。





 何日か経って赤ん坊生活にも慣れた。前世の個人情報がないんだけど、なくても困る事ではない、かな。

 寝ているカゴが置かれているのはかなり広い寝室で、ベッドだけでも六畳くらいありそう。

 風呂はないけど、トイレ兼用のシャワールームが二つある。


 基本食っちゃ寝食っちゃ寝(正確には吸っちゃ寝吸っちゃ寝)してるだけだが、たまに起きて紅ヤンマの相手をしてやる。

 ちなみに紅ヤンマは九歳だった。

 ヤンマが毎回漢字だとうざいなと思ったら、他人の話し言葉も紅ヤンマになった。どうなってんだか。


 まだ動かせないような赤ん坊の子守は暇なので、赤ん坊に仕草を真似させて遊ぶ。赤子芸と言うのだそうだ。

 お袋様と紅ヤンマが飽きもせずに仕込もうとする。


「はい、ぱちぱちおじょず」


 紅ヤンマが手を二、三回叩いてから開く。ちょちちょちあわわといないないばあを足して二で割ったみたいなもんだ。

 直ぐに真似するとまた高志くん招かれ人疑惑が再燃するので、雑に手だけ叩いておく。


「やってくれませんか。飽きちゃいましたか。じゃ別のしましょうか。えっらいかたうんうん」


 腕を組んで二回頷いてみせる。うんうんだけしてやる。


「ほんとは出来るんでしょう」


 諦めの悪い女だな。手を差し出してくるので、にぎにぎしてやる。にぎにぎはこの家で働いている女達全員に評判がいい。


「にぎにぎはして下さるんですね。旦那様がとてもお喜びになられるので、たくさんして下さいね」

「あー」

「ただの赤子の振り、お上手ですねぇ」


 まだ九歳の子供なので特別な存在の関係者になりたいのは判る。当たらずしも遠からずだし。

 あーとかうーとか言い合っていると、誰か来た気配がする。

 霊気みたいのが実際にあるらしく、他人の気配が感じ易い。


昼餉ひるげに行っておいで」

「はい、ありがとう御座います。坊ちゃま、ちょっと行って来ます」


 来たのは小頭こがしらと呼ばれている手代くらいの役職らしい女中のまとめ役の女、翡翠かわせみだった。

 やはり繋がりを持ちたいのか割と頻繁にやって来る。見た目は女子高生だけど、話を聞いているともう少し上のようだ。


 招かれ人には固執していないが常人じゃないと信じていて、他に誰もいないと、逃げられない赤ん坊に世間話の他に中間管理職的な愚痴とか聞かす。

 お袋様がちょっと外してる隙を狙うのが上手い。そう言うスキルを持ってるんじゃないかと思う。


「坊ちゃまは紅ヤンマお気に入りですね。将来お手掛けになさいますか。でも、あの子は坊ちゃまのお子は産めないかもしれませんよ。普通の女は男として愛している人の子しか孕めないのですから。あの子はふわふわしているようで、分は弁えていますから、坊ちゃまを尊敬しても女として愛せるかどうか」


 赤ん坊にそんなこと言ってどうする。ちょっと地球人とは違うみたいなんだよね。

 普通の女はってことは普通じゃない女もいるんだろうけど、今考えてもどうしょもない。


「こちらも大恩ある旦那様のお子は孕めませんよ。化身持ちになれれば違ってくるかもしれませんけどね。御良様は凄い御方です。旦那様と一緒に深層に行かれるために、二身格の化身をお獲りになったのですから。こちらなどは狐も怖いです。縁野干の群れなどとてもとても。坊ちゃま、隠猫おんびょうの獲り方をご存知ではありませんか。一番弱い半身格でも化身があれば、旦那様の魔窟殲滅のお供が出来るのですけど」


 もう、お腹いっぱい。この言語明瞭意味不明瞭の状態を早くなんとかして欲しい。

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