第27話 抱きついて、弱音の本音

 悠陽は看病のために美桜の家に来ていた。

 部屋は暗い。

 常夜灯がほんのりとオレンジ色の光をふりまくだけだ。


「んー、ゆう兄ちゃんドア閉めてー、さむいー」


 美桜はもぞもぞと布団にもぐりこみながらいう。

 エアコンが効いているようだった。


「え? ああ、閉めるね」


 パタリという音と共に、部屋の暗さがぐっと増した。

 カーテンの隙間から忍び込む夕焼けが美桜の寝ている布団へ落ちる。


「美桜ちゃん、具合はどう? 熱はある?」

「ある! あつい!」


 美桜が掛け布団をバササッと乱暴にめくる。


「わっ、ちょっ」


 悠陽は思わず目を逸らす。

 暴れ出した美桜に驚いたのもあるが、それより。


(へそ……へそだったぞ……!)


 寝ている美桜のスウェットがはだけてお腹が露出していた。そこから見えているのが、へそ。

 悠陽は、大きくなった美桜のへそを見たことはない。当然だ。


(へそって身体の正中線せいちゅうせん──人体の弱点の、さらに中心にあるんだよな……)


 つまり、もっとも弱い場所だ。

 それがいま、あらわになっていた。

 あまりにも無防備な美桜の姿に、ドキドキが止まらない悠陽。

 だが。

 悠陽はわざとらしく咳払いをして。


「ほら、ちゃんと布団かぶって」


 高鳴る鼓動をなんとかおさえ、美桜がどかした布団をかけてやる。


(まったく俺はなにを興奮しかけてるんだ……相手は病人だぞ?)


「ちゃんと寝てな」

「やー、あついー」

「さっきは寒いって言ってただろ」

「うん」


 どっちだよ、とは責めない。


(寒いって言ったり、熱いって言ったり……まだぜんぜん治ってないな、こりゃ)


 風邪のときにありがちな感覚。熱は出ているはずなのにずっと寒気がするというやつだろう。

 悠陽にも覚えがあった。


「薬は飲んだ?」

「まだー」

「マジか……。えと、ご飯は食べた?」

「まだー」

「oh……」


 聞けば食欲はあるが食べていないらしい。

 のどの痛みなどのせいでもなく、食事を用意する気力が湧かないとのこと。美桜の両親が買ってきたゼリー飲料もあったが、美味しくないからイヤとのこと。


(うーん、見事にワガママになってる。風邪でやられてるなぁ)


 しかし栄養を取れていないままなのを見過ごすわけにはいかない。


「待ってて。いま美桜ちゃんの好きなやつ作るから」


 悠陽が買い物袋をひょいと持ち上げて部屋を出ようとすると。


「ゆう兄ちゃん、帰っちゃうの?」


 美桜のか細い声が、悠陽の足を止めた。


「帰らないよ。台所借りるだけ」

「そのあと帰るの?」

「それは──」


 振り返ると、美桜は怯えていた。

 布団にくるまって、顔色をうかがうようにしてこちらを見上げている。弱っていて不安なのだろう。悠陽にはそうとしか思えない。

 こもった声だって震えている気がして。


「美桜ちゃんが寝るまで一緒にいるよ」


 悠陽はそう言った。

 すると美桜は満足そうに「やったー」と布団の中で転げまわった。


(今日はずいぶん甘えん坊だなあ……ほんと、昔みたいだ)


 安静にしててね、と告げると悠陽は台所へ向かった。

 調理台にゼリー飲料があるのを見つける。


「美桜ちゃんのお母さんが買ってきてくれたやつか」


 どうも美桜はお気に召さなかったらしいが、悠陽としては彼女の両親の想いが無碍むげにされてしまうのは心苦しく感じられてしまい。


「これも使おう」


 ゼリー飲料をひとつ手に取る。

 そして自分の買ってきたものを調理台に広げる。

 フルーツ缶、ナタデココ。それからサイダー。

 これらを合わせるものといえば。



 数分後。

 悠陽はトレーを持って、美桜の部屋に戻ってきた。


「おまたせ、美桜ちゃん」

「んー」


 美桜はすでに体を起こしていて、ベッドのふちに腰かけている。

 部屋の電気がついていた。

 これからご飯を食べるということは分かっているらしい。


(意識はハッキリしている、のかな? よかった)


 ベッドサイドテーブルにトレーを乗せると、美桜の顔が輝いた。


「ゆう兄ちゃん、これって……」


 涼やかな透明の器。

 そのなかで煌めくカラフルなシロップ漬けのフルーツ、綺麗な立方体のナタデココ、それから底を彩るゼリー飲料。

 それらを包みこむしゅわしゅわと泡の弾けるサイダー。


「フルーツポンチだぁ」

「美桜ちゃん好きだったろ」


 昔から風邪を引いたときに美桜の親が作っており、悠陽もそのことを知っていた。


「これなら食べられるだろ?」

「うん。ありがとー」


 美桜はコクンと可愛らしくうなずく。

 意気揚々とスプーンを振るって「いただきまーす」と器からすくったみかんを口に運ぼうとして。


「あれっ」


 見事に落としてしまう。

 美桜の脚に当たってバウンドしたみかんが床に落ちる。

 悠陽は慌てて拾い上げた。


(食べたい気持ちに動きが追い付いてないなこりゃ)


 美桜はなにがおかしかったのか、くすくすと笑う。


「落ちちゃった」

「そうだなぁ」

「ゆう兄ちゃん食べさせてー」

「そうだなぁ……え!?」


 美桜がスプーンを差し出してくる。

 思わず二度見してしまう。


(この前は「あーん」される側だったのに、今度はする側……!?)


 正直言えば、恥ずかしい。

 幼いころの美桜にもしたことはない。幼いと言っても一人でご飯を食べられる程度ではあったからだ。

 ましてや今の美桜は成人女性。

 あちらこちら大きく育っているし、目の前にある顔なんてハッと目を見張るほどの美人さん。


(俺が、「あーん」を? するのか? いいのか?)


 フリーズする悠陽。

 だが「ん」とスプーンを押し付けてくる美桜を拒絶することなど、できるはずもなく。


「わかったよ、ほら。はい、あーん」


 悠陽は美桜の前で膝立ちになる。

 ナタデココを一粒すくい、目を閉じて口を開ける美桜へスプーンを伸ばす。


「あー……」


 美桜はゆっくりとした動きで顔を近づけ。


「んぐ!」


 素早い動きでスプーンに食らいつく。


「おわ! ビビったぁ……」

「んひひ~……んぐんぐ」


 美桜はナタデココを大事そうにもぎゅもぎゅと咀嚼そしゃくする。 


「あまい、つめたい、おいしい」

「そうかそうか。よかった」

「もっとちょうだいー」


 美桜にせがまれ、悠陽は再びスプーンを運ぶ。

 次はみかん、次は桃、もう一度ナタデココ。それからパイナップル。

 嬉しそうに食べる美桜をみて悠陽は思う。


(風邪で弱ってるからか? すごく幼く感じるなぁ)


 先ほどの「帰っちゃうの?」発言といい、普段よりも甘え具合が多めだ。


(出会った頃を思い出すなあ)


 泣きじゃくってしがみついてきた『泣き虫美桜ちゃん』だったころ。

 あの時も、学校についてしばらくは美桜は悠陽から離れたがらなかった。悠陽は頼られるのが嬉しくって昼頃まで保健室で一緒にいてあげたのだ。

 そのときと似ている。悠陽はそう感じていた。


「ゆう兄ちゃん、もっとー」


 美桜の声に悠陽はハッとした。

 スプーンを動かして食べさせていく。

 フルーツ、ゼリー、フルーツ、ナタデココ、ゼリー。

 順番を入れ替え、ひと匙ずつゆっくりと口に運び、美桜はすっかり綺麗に具材を食べ終える。

 最後に器を傾けた美桜は、缶詰のシロップが混じった甘い甘いサイダーをすっかりと飲み干して。


「ごちそーさまでした」


 両手を合わせた。

 すっかり満足げな表情に、悠陽もホッと胸をなでおろす。これで薬を飲んでもらえる。


(あ、やべ。水持ってこなきゃじゃん)


 フルーツポンチの器を下げるついでにコップを持ってこようかと悠陽が立ち上がる。


「電気消すね。お水持ってくるから待ってて」


 悠陽はトレーを手にして、部屋のドアへ手を伸ばした。

 そのとき。


「だめ」


 悠陽は後ろから抱きつかれた。

 もちろん美桜に。

 驚くほど柔らかな質感に思わず息が止まる。

 強く抱きしめられているせいで、どむん、とした質量がしっかりと押し付けられていて。

 悠陽の理性はピンチに陥りかける。


(重たっ……! 柔らかっ……!)


 風邪を引いた美桜の身体はいつもより温かく、そして、彼女の鼓動がハッキリと感じられる。

 共鳴するように、悠陽の心臓も激しく鳴りはじめる。


(なんかいつもと違う! スキンシップが激しいとかハプニングとかじゃなくて、いつもより直接的で、絶対に離さないって意志があって……とにかく、なんか違う!)


「み、美桜ちゃん……?」


 悠陽はそっと、ゆっくり振り返る。 

 美桜の頭がぐりぐりと背中に押し付けられていて。


「どこにもいかないで、ゆう兄ちゃん」

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