第二章 秋葉神社、火伏せの神

第8話 背に腹は代えられぬ

 ユミ屋を出発したスズメは、わずか十五分で行き詰まっていた。というか、立ち止まっていた。


「苦手なんだよねぇ」


 ため息とともに誰に言うでもなく呟く。

 ここは貸本屋『虫堂』の前。虫堂は本が傷まないように、いつもガラス戸を閉めている。良くも悪くも、お客さんが自分で扉を開かない限り、気付かれることはない。はずなのだけれど、今日はその扉が勝手に開いてしまった。


 扉からでてきたのは、箒を持ったひょろりとした長身の青年。スズメを見るや否や。 


「おや、珍しい。否、お前の声は常にこの通りに響き渡っている。その意味では常の存在。しかし、実体を見るのは久方ぶり。更にその姿。よもや家出? なれば、慌てるヨイチの姿が見えるが道理。となれば、旅? しかし、そうであってもヨイチの姿が見えぬは」


 怒涛のように喋り始めた。ところどころに質問が挟まれているものの、肝心の返事をする隙がない。

 その姿にスズメのこめかみに青筋がたつ。

 

「あぁ~! うるさい! 回りくどい! だから嫌なのよ! ってか、なんで店の外にでてきてんのよ!」


 まさかの遭遇にスズメが叫ぶ。珍しく店先に現れたのは虫堂の主、コショ。どうやらコショも意外だったようで、眼鏡の奥の薄墨色の目を軽く見開いている。


「なぜと問われれば」


 口を開きかけたコショをスズメが慌てて止める。

 

「いや、いい! どうせ店先の掃除でしょ。みりゃわかるわ!」

「わかるのなら、なぜ問うたのだ? まさか! これは新手の謎掛け? いや、スズメにそのような賢さがあるはずはない。ならばなぜ」


 首を傾げながら、さらりと失礼なことを言うコショをスズメが睨みつける。

 

「うるさい! 聞きたいことがあるんだよ! さっさと店に入れな!」

「いや、さきほどの謎掛けの意味を」

「いいから、一旦黙れ! 店に入れろ!」

「は、はい!」


 スズメの剣幕にコショの肩がはねる。そのままコショの背中を押して虫堂に入ろうとするスズメに、コショが首だけ振り返ってたずねる。

 

「そういえば、ヨイチはどこだ? あいつ一人で店番をさせるは甚だ不用心。ヨイチは稀に見るほどのお人好しなれば」

「あぁ、もういいから! それも説明するから! とっとと入る!」


 困惑するコショの背中を押して、スズメは強引に虫堂へと入っていく。


「だから、コショと話すのは嫌なんだよ……」

「なんだと!」


 ため息とともにこぼれたスズメの愚痴に、コショが、キッ! と振り返る。その姿にスズメが慌ててコショの顔を前に戻す。

 

「あぁ、なんでもない。なんでもないよ。ほれ、早く入ろう。コショの好きな本の話だからさ」


 今度はコショに聞かれないように、心の中で盛大なため息をつきながら、スズメはコショの背中を押す手に力をこめるのだった。

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