第6話 貸本屋、虫堂でお知恵を拝借

 翌朝。スズメの言葉を気にしてというわけではないけれど、ヨイチは朝ごはんが終わるとすぐにユミ屋を出発した。行先は同じ日本橋、歩いて十五分ほどのご近所さん。


「おはよう。ちょっといいかな?」


 そう声をかけるとヨイチは返事を待たずにさっさと店へと入っていく。

 

 ここは貸本屋『虫堂』。

 貸本屋とはその名のとおり本を貸す店だ。かつて本は高価な品だった。そして、ヒトに溢れていた江戸の町。庶民が住む部屋は狭く、本を置くようなスペースを持つ者も少なかった。だから、多くの庶民にとって本とは所有するものではなく、借りるものだったのだ。


 この虫堂もかつてはヒトが店主をして、ヒトを相手に本を貸していた。しかし、店主だったヒトも流行り病で亡くなってしまった。その後、店の本の中で一番の古株である一冊が付喪神となり、店主となったのだけれど。


「コショ、また本が増えたんじゃない? これじゃ、お客さんが本を探せないよ」


 店の奥、一際大きな本の山に向かってヨイチが声をかける。と、本の山が揺れ、返事が返ってくる。店の中は本棚にはもちろん、通路にまで本が溢れていた。


「おや、ヨイチ。本は知識の結晶。しかし、その結晶も読む存在がいなければ、埋もれたまま。いうなれば我は知識の採掘者。我を待つのは、広大にて深淵なる知識の鉱脈。新たに発見された鉱脈を見逃すは、知識の採掘者を名乗る資格なし」

「はいはい、どこかの蔵で古本が見つかったんだね。とりあえず、でてきてくれない? 君のその広大で深淵なるお知恵を拝借したいんだ」

 

 もちろん、本の山そのものが付喪神というわけではない。虫堂の店主は本の山の中。ヨイチの言葉を受けて、本の山から一人の青年が這い出てくる。


「知恵は各自、その者の中にあるもの。店の本のように貸し借りできるものではない。しかし、知恵を拝借、を言葉のままとらえるのは愚の骨頂。我が古き友、ヨイチよ。久しいな。友が望むのならば、応えるのが道理」

「ありがとう、コショ」


 青年の名前はコショ。辞書の付喪神。だからなのか、そもそものコショの性格なのか。放っておけば一日中どころか、何日でも虫堂に籠って本ばかり読んでいる。

 数百年の読書によって蓄積された知識はかなりのもの。最近は、貸本屋の仕事より、妖怪たちの相談に乗ることの方が本業になりつつある。まぁ、この面倒くさい物言いに付き合える妖怪限定の話だけれど。


 ちなみにコショも付喪神になったのはヒトが滅亡する少し前のこと。ヨイチやスズメと同じく付喪神とは若手の部類だ。

 外見もヨイチやスズメと同じく十五、六歳の青年の姿。まさに本の虫の呼び名がしっくりとくる細身で色白。眼鏡に隠れた目は薄墨のような淡い灰色。その容姿に惹かれて相談にくる妖怪も少なくないのだけれど、本人はそんなこと知る由もなければ、興味もない。


「ヒト探しの旅? ヒトとはかつて江戸の町のみならず、この国溢れていたあの儚くも騒々しい生き物のことだろうか? だとすれば三百年と少し前の流行り病によって姿を消したことは周知の事実と認識しているが」

「そう、そのヒト。ねぇ、やっぱりヒトは絶滅したのかな?」

「ん?」


 ヨイチの言葉にコショの動きが止まる。眼鏡の奥、薄墨色の目が軽く見開かれる。そんなコショにヨイチはスズメへ話したことを繰り返す。


「ほう」


 そう呟くとコショは腕組みをしたまま黙り込む。


「どう、かな? コショ、ヒトがどこにもいないと確認した本とか、話って知らない?」

「ないな」


 恐る恐る訪ねるヨイチにコショがきっぱりと答える。


「本当に?」

「あぁ、少なくとも私は読んだことも聞いたこともない。そして、実に興味深い意見だ。ヨイチ、君はやっぱり変わっている」


 変わり者の筆頭のようなコショに言われても、と複雑な気持ちになりつつも、コショの言葉にヨイチの顔が明るくなる。


「じゃあ、コショ。ヒトに一番人気のあった旅先ってどこか知らないかな?」

「なるほど。かつて多くのヒトが集まった場所ならば、今でも、ということか」

「さすがコショ! 話が早い!」

「当然だ」


 感心しているヨイチに素っ気ない返事を返すと、コショはまた本の山の中に潜っていく。その耳はうっすら赤く染まっていたけれど、ヨイチは何も言わずにコショを見送る。


 待つこと小一時間。


「あったぞ! この本は前の店主が健在の頃にひどく人気のあった……」


 いつの間にそんな場所まで移動したのか。虫堂の部屋の隅でコショの声があがった。

 いそいで声のもとに向かうと、本の山から生っ白い腕が一本生えている。知らない者が見れば、本の山に腕が生えた妖怪に見えなくもない。

 その手には一冊の古びた本が握られている。


「コショ、とりあえずでておいでよ」


 ヨイチは本を受け取ると、本の山に埋もれたまま説明を始めようとするコショの腕をとって引きずりだす。


「ありがとう。ヨイチ、君の求める本はこれに違いない」


 本の山から抜け出したコショは、そういってドヤ顔でふんぞり返る。その頭と体から埃を払うと、ヨイチは受け取った本をコショに返す。


「コショ、この本は?」

「うむ。まぁ、とりあえず座ろう」


 そう言って、コショは本の山の一つに座り込む。本を大切にしているのやら、していないのやら。ヨイチは本のないところを探して座る。


「ヨイチ、この本はな……」


 おもむろに本の説明を始めたコショ。その話が結局、夜まで続くことになるなんて、この時のヨイチには知る由もなかったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る