頭の隅にある駄文

カエデ渚

アンリ4世について


 私が大学に入学して一年目のことだったから、あれは確か2011年のことだったと思う。経済的事情から悠々自適とは言い難いが、少なくとも「精神的には」悠々自適だった当時の私は、とあるネットニュースでアンリ4世の首が発見されたという、事情を知る者には眉唾であり、過ぎ去ったアンゴルモアの到来の様な既視感をも覚える様な、それでいて事情を知らぬ者にはオカルティックな印象を受ける題の記事を見た。

 当時の私は、浅学故に後者であり、どちらかというとオカルト的な興味が頭を擡げたのだと思う。

 ところが、先日、「敬愛する」というには余りに僭越で倨傲ではあるが、それでも私が敬愛する渡辺一夫先生の評論選を拝読していた折、このアンリ四世の首の行方に対する雑文が掲載してあった。

 アンリ四世やヨーロッパ史に造詣の深い方ならば、2011年時点で抱いたはずの感想を、私は遅れながらもこの時に頭をよぎったのである。

 「渡辺先生、アンリ四世の首が見つかりましたよ!」

 残念ながら没後から四半世紀以上も経つ先生には届かない叫びではあったにも関わらず、私は呟くようにそう言ったのだった。

 

 渡辺先生がアンリ四世の首について興味を持ったのは、1610年に亡くなった筈の彼のデスマスクが1793年に作られたという奇妙な事実からだったと記述している。

 というのも、フランス革命の末期に政府の命令でサン・ドニ修道院に置かれていた王家の棺が暴かれることとなり、その際アンリ四世の遺体だけがミイラ化しており横たわっていた。ちなみに、何故当時の政府がこのような暴挙に出たのかというと、恐怖政治下の行き過ぎた偶像破壊であったり、革命の波及を恐れたヨーロッパ諸国が攻め入るのを迎え撃つために王家の墳墓から鉛や金属類を取り出し銃弾の材料にするためでもあったという。

 革命政府はこのミイラを二日間民衆に拝観と称して晒し、共同墓地に葬ったのだが、再び王政となった際、ルイ18世の命令で共同墓地からサン・ドニ修道院に移送されることとなった。だが、不思議なことにアンリ四世の遺体から首が無くなっていたのだ。

 

 首を持ち出した不届き者は誰なのか。このどこか都市伝説めいた疑問は、多くの史学者や好事家が推理し予測してきたが、どうやら真相は不明ながらも、かの有名なジャック・チャーチルが第二次世界大戦の折、バグパイプを演奏しながら洋弓で敵兵士を殺したという話と同程度の信憑性で一人の容疑者が怪しいと目されている。

 寂寞の真相にも似た、曖昧模糊な知識を頼りにここまで私は綴ってきたが、どうにもその容疑者の名は思い出せないので、ここでは明記しないが、革命政府の美術管理委員だったと記憶している。その下手人は、その立場を利用して、数々の貴人の遺体を好事家や博物館に売りさばいており、その中にアンリ四世の首があったのではないかと言われいているのだ。


 さて、私はアンリ四世の首の在処について、「過ぎ去ったアンゴルモアの到来」と表現した。これは、奇妙な話ではあるが、既に以前からアンリ四世の首は現存しフランス・モンマルトルにあると判明しているからである。

 ならば、ネットニュースで新たに取り上げられるのは、珍妙な話ではないかと疑問符を浮かべる方もいるだろう。

 実はワイマール憲法が発布されたことで有名な1919年にブルデーという古物商が古美術品競売で、たった3フランでアンリ四世と見られる頭部を購入したことに端を発する。

 当然、誰もが偽物だと考えたが、ブルデーは生涯を賭してこれを本物だと証明する。

 彼の言う根拠として二つがある。

 一、法医学者のよって、死後数十年経ってから切断されたものであり、17世紀初頭に急激な死に方をした55歳程度の男性だと推定されたこと。

 二、首の切断以前に右の頸動脈が切られた痕跡がある上、唇にも傷があることが判明していること。(アンリ四世の直接の死因がラヴァイヤックによる右頸動脈の切断であることと、旧教徒の暴漢ジャン・シャテルによって唇に重傷をおったという事実と符合する)

 ブルデーはこれの根拠を楯に第三共和国政府に認知を要求したが、政府はこれを拒否。ブルデーは失意のまま死去し、遺言でこの首のルーヴル美術館への寄贈を希望したが、美術館側もこれを拒否。

 結局、例の首はブルデーの妹の持ち物となって、現在もモンマルトルで埃を被って放置されているのだ。


 上のエピソードの他に、アンリ四世の美髭についての真相の謎もある。デスマスクにはきちんと口髭も顎髭もあるのだが、ブルデーが持つ首にはそれらがなかったため、その要因すらも認知されなかった一因であると言われていた。

 だが、このエピソードには朧気ながらも、少し面白いエピローグがあり、アンリ四世の髭をむしり取った兵士が革命のどさくさにまぎれ、当時の恋人に贈ったというものである。この女性は、貴重な思い出の品として生涯大切に保管し、死後遺族が大切な品として、遺体と一緒に火葬してしまったというのだ。

 もしこの髭に関する記録が本当ならば、髭のある首こそ偽物であり、ブルデーの所有していた髭なし首の方が本物であるという証左にもなるのだが、残念なことにブルデーはこの状況証拠にも近しいエピソードが浮上する前に死んでしまった。


 こういった種々とした疑問を前に渡辺先生は、評論選の中でこう言っている。

「このような疑問が、物を調べているにつれて、ますます増えてゆくのは楽しいことです。私の様な老残教師の老後の楽しみは、全く無限になると思うからです」

 こういった短い雑文の中で閑話休題というのも烏滸がましい話ではあるが、私が読んでいくうちに夢中になり寝食も忘れるような文筆家の文章は、不思議と彼らの声が聞こえてくるような気がするのだ。

 一種の狂気であると思うかもしれないが、会ったこともないどころか、生きていた時代さえ一秒足りとも重ならない人物の声が聞こえてくるのは「活字中毒者」特有の病症なのかもしれないし、病証でもある。

 それどころか対話すらしている気分になる。彼ら偉大な文筆家が私自身の矛盾・無知を自覚させつつ、より高次の認識・真理へと導いていくような気がするのだ。

 だからこそ、私は姿の見えない先生に対して、

 「渡辺先生、アンリ四世の首が見つかりましたよ!」

 と言ったのかもしれないし、もしかしたらアカヤ総督ガリオが見逃した聖ペトロとは違い、私は知的機会をモノにしたのだと、私自身を納得させたかっただけなのかもしれない。


 さて、無論、アンリ四世の首の行方は結局どうなったのかと、私はすぐに調べた。続報は2012年のネット記事のみで、切断当時にハンカチに付着した血痕とはDNAが一致したが、ブルボン家の末裔三名とのDNAを比較する鑑定では否定された、と書かれているのみである。

 やはり、日本人には馴染みがないのか、それ以上の情報は得られなかったし、浅学な私にはおそらく英語なり仏語なりで書かれている正確な情報を読む気にもなれなかった。

 なんとも煮え切らない結果ではあるものの、私は先生の、

 「このような疑問が、物を調べているにつれて、ますます増えてゆくのは楽しいことです。私の様な老残教師の老後の楽しみは、全く無限になると思うからです」

 という一文を思い出し、私も老後の楽しみの一つとして、この疑問を未来の私に贈ろうと言い訳めいた考えを浮かべ、手元に置いたままであった評論選の頁を耳朶に心地よい音とともに捲ることにする。

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