過日のこと
梅林 冬実
過日のこと
視線が重なり迷惑そうに顔を背けられると
まだ許してもらえないのだと落胆する。
「もういいよ」
いつか聞けると思っていたセリフ。
悪気はなかったと言えないのは自業自得。
悍ましいほどの感性で他者を語った。
大切な息子。もの言わぬが穏やかな微笑を浮かべる優しい子。
社会のパーツになろうと必死で
母親も必死で
私はそれを傍観していて
「ちゃんとした大人になりたいって言っている」
という母親の真剣な思いに水をさしたくなったのは
とてもいけない気持ちが動いたから。
「口きけないんじゃなかったの?」
如何にも「冗談よ」といった表情で。素振りで。
話せない子なりの意思表示。
それはきっと母親にしか分からない、大切な思い。
言葉にはできなくとも
言葉以上に伝わる何かしらの手段で
狭小世界で生きる彼が
信用している幾許かの人のうち
一番心許せる母親に思いを打ち明けたのだという
直向きさが鼻についた。
バカだった。
愚かだった。
まだ子供だった彼に対して
吐いていい言葉じゃなかった。
「他の生徒に迷惑をかけるわけにはいかないから」
という建前を受け容れ
当たり前の教育を受けさせたかった母親は毎日
特別な学び舎に息子を送り
そして迎えにいく。
穏やかな環境。優しい誰かに守られて
それなりに生きていけるのなら
それでいいじゃん なんて
薄く考えてしまった。
私の母の後輩にあたる人。
母の大切な友人であるその人は
烈火の如く怒り狂った。
「何のつもりなの!」
あまりの勢いに すぐ牙を抜かれた。
あんなに怒るとは思わなかった。
私のとても嫌な気持ちが
傷付けてはいけない人を傷付け
怒らせてはいけない人を怒らせてしまった。
優しい息子。
私は彼が好きだ。
いつも笑顔でこちらを見つめ
お気に入りの折り紙や文房具を見せてくれる。
「どこで買ったの?」
声掛けする私をその人の母は
大いに歓迎し自宅に招き入れてくれたのに。
息子に会えなくなってどれくらい経つだろう。
社会のコミュニティに属し
片手で足りる程度の額を「工賃」として受け取って
本人はとても喜んでいるけれど
母親は社会のパーツとして息子が認められない現実に
焦燥しきっていて。
怒らせてしまったことに焦ってしまって
「だったらキャリアアップを目指せばいい」
と口を滑らせ
いい加減にしなさいと
母親に強く窘められてしまった。
過日のこと。
彼の母は私を未だに許さない。
ハンドクラフトをメインとするサークルに
母と共に参加していて
その人と母は楽しそうに語り合うが
私がその中に入れてもらうことは あれきりない。
嘗ては私の名を呼んで
息子の友達と認めてくれて
私も「息子の友達」と
言ってもらえることが嬉しくて
だから足繁く 彼の家に通った。
彼と沢山語り合った。
彼は上手く話せないから
私が一方的に喋るだけだけど
彼はとても嬉しそうに私の話を聞いてくれて
私もそれを嬉しく感じて
長い付き合いになるんだろう なんて
楽観していた。
私は友達というカテゴリーから
直ちに外されていた。
知り合いとも言わせてもらえない
そんな立ち位置に
いつの間にかいて
もう姿さえ見ることができない彼の
現在と未来を稀に
母親から聞かされるだけの存在に成り下がった。
今日もサークルで彼の母に会う。
何か話しかけようと
毎回試みるけれど
彼女は私と視線が重なると
迷惑そうに顔を歪め
あからさまに私を避け
他の参加者と楽し気に時を過ごす。
そこに私の母も加わって
私はいつしか誰からも相手にされなくなっていて
それでも彼の母親との接点を失いたくなくて
今日もこの場に足を運ぶのだ。
「今、どうしていますか?」
「また遊びに行っていいですか?」
あとどのくらい時間を過ごしたなら
そんなことを聞けるようになるのだろう。
彼の母は私に知らん顔。
母親も私のことを
いないものとして振舞う。
だからほかの参加者も
私を「招かざる客」と認識して
振舞われるお茶も茶菓子も
私の席に置かれることはない。
「自業自得」と母は言う。
それは数年の時を経て、私も理解している。
言ってはいけないこを口にし
彼の母を酷く傷付けた。
そしてそれはきっと
大好きな彼のことも。
彼の母が作った
パステルカラーが目に鮮やかなかご。
いつも遊びに行くと
何かしらプレゼントしてくれた。
それらを喜んで受け取っていた。
関係性の甘ったるさを
時々面倒に感じていたのは事実で。
壊してしまったのは私。
「どうしてあんなことが言えたの?」
聞かれても答えられないよ。
あの子をバカにしたり蔑んだり
そんな気持ち微塵もなかった。
ただちょっと
魔がさしただけ。
穏やかな世界で生きる
あの子とあの子の母親を
ほんの少し 疎ましく感じていた。
「好き」がほぼ全てを占めていたのに
残りの 僅かな気持ちが妙に作用して
私は「私たち」を
粉々にしてしまった。
「会いたいよ」
偽らざる本心をも 口にすることはできない。
あとどのくらい
こんな毎日を過ごさなければならないのだろう。
思春期の気の迷いが 上手く回っていた
私と
あの子の母と
恐らくはあの子の歯車を
狂わせてしまった。
過日のこと 梅林 冬実 @umemomosakura333
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます