話を聞くなら喫茶店で
@moyashiteishokuitame
いぬ と 少年
「犬描いて」
僕の目の前に立っている、小学校高学年くらいの少年が発した言葉だ。店内を見回したが、まわりに人はいない。喫茶店の端、一番テーブルに座ってコーヒーを飲んでいる僕に言っているようだ。
「えーと……保護者的なひとはいる?」
僕の言葉に少年はなぜか少し興奮した様子で、さっきと同じセリフを繰り返した。
「犬の絵を描いてみて」
僕の質問はスルーか。
〈犬の絵……絵は正直言って得意じゃない。美術の成績はずっと低空飛行だったし……〉
犬の絵をパパッと描いてこの少年との関わりは終わりにしよう。テーブルの上に置いていた、手帳のメモ欄に犬を描いた。パパッと。
犬の絵が描かれた紙切れを受け取って、少年は信じられない単語を口にした。
「……猫?」
「……犬を描いたつもりなんだけど……」
「あなたは人間でしょ?犬っていう生き物、知っている?見たことある?」
僕は人間の自覚はあるし、三十八年間生きてきて犬もそれなりに見てきたつもりだった。
「……他の人間に頼もうかな」
少年はそう言うとあたりをキョロキョロ見回した。先にも述べた通り、まわりに人はいない。この曜日、この時間は他の客はいたって少ない。なぜ知っているのか。それは毎週この時間ここにいるのが僕の常なのだ。僕はこの店の、このテーブルに毎週火曜日と金曜日座って、人の話を聞くだけの仕事をしている。いや、仕事ではないな。金銭はもらっていない。報酬はコーヒー1杯。告知はしていない。この喫茶店に名刺を置いてもらっているのと、あとは口コミだけだ。
話を聞いてもらいたい人の話は様々で、その日見た夢の話をする男性(家族は誰も聞いてくれないらしい)、推しの俳優の尊さを延々と一時間話す若い女性(友人は『熱すぎてイヤ』と聞いてくれないらしい)。そんな依頼者たちが口々に言うのは『聞く側にとってつまらない話』を文句も言わずに聞いてくれ、適当に相槌をうってくれるのは、心置きなく喋れる発散の機会なのだという。僕がどう思っているかは関係ないのだ。
さて、少年。
少年は、他に頼む人間がいないとわかると、観念したように仔犬のようにペロッと舌を出して両手を合わせて、僕にお願いのポーズを作った。
「犬描くの上手になって!」
そして続けて言った。
「コーギーね」
犬種指定……しかもなんでコーギー?素朴な疑問が湧いたが大人としてのプライドと少年のかわいらしさが疑問を凌駕し、僕の首を縦に振らせた。一週間後に同じ時間、同じ場所で会うことを約束した。
それから特訓がはじまった。一銭にもならない依頼だが自分との闘いだ。
忘れもしない、僕が中学生の時のことだ。夏休み明けに、宿題である風景の写生画が教室の壁に貼り出された。学校の裏山を描いた僕の写生を三島君が「緑色のおはぎだ!」と叫んだ。クラス大爆笑。嫌な思い出だ。見返してやる。
夜はYouTubeのお絵描きチャンネルで鉛筆の持ち方、シルエットのとらえ方を学び、外を歩いている時は散歩中の犬の動き、筋肉の動きをまじまじと観察した。近所では「犬おじさん」の称号も得た。いっそ犬を飼ってみようとも思ったけど、それはやめた。
約束の一週間後、練習の成果が充分に発揮されたスケッチブックを少年に見せた。彼は僕の絵を見て、
「惜しい!だいぶ上手くなったけど表情が乏しいね。表情は笑顔で!再提出!」
と、かなり上から目線の指摘をした。
〈犬にも表情あるのか?そもそも彼には目指す具体的な犬像があるのか?〉
悩みながら歩いていると、ペットショップの店頭に『コーギー探しています』の貼り紙が目に入った。その『もみじ』と名付けられたコーギーは確かに満面の笑みだった。
「これがコーギーの笑顔か。参考にしよう」
僕はスマホでチラシを撮影すると、早速このもみじくんを参考に再び描き始めた。
次の日、喫茶店の入り口に座っていた少年を中に招き入れるといつもの一番テーブルに座り、徹夜して仕上げた渾身の一枚を見せた。どうだ!
「え!これ……まさにボクじゃない?」
「ん……?ボク……?」
「ボクね、コーギーなの。散歩中にクラクションにびっくりして走って逃げたらお姉さんとはぐれちゃったの」
……自分がコーギーなのって。犬だと思い込んでいる年頃なのかな。いやでもそんなに幼くないよな。
僕が返答に困っているとマスターがコーヒーを運んできてくれた。
「今日は〈聞き屋〉の日じゃないのに珍しいですね。しかし今日は暇ですね。他に誰もいないからこちらサービスです」
え……。僕はマスターと少年を交互に見比べた。マスターにはこの子が見えてない?おばけ?犬?犬の化身ってこと?なになになに意味わかんない。うろたえる僕を気にせず犬の化身らしき少年は続ける。
「で、知らないところをさまよって……神社の階段から落ちちゃって……怪我をしたけど通りかかったおじいさんが病院に連れて行ってくれたんだけどね、ボク、もう高齢ではあったから」
「え?五・六年生くらいじゃないの?」
「いや、ボク。六十四歳だから」
げ。年上。
「病気もいろいろ抱えててねぇ。そのまま天に召されたんじゃ」
急に口調が老け込んだな。僕は疑問を口にした。
「じゃあその飼い主のお姉さんを探したいってこと?最初から事情を話してくれればよかったのに」
「急にボク犬ですって、信じないでしょ」
確かに。
「そもそも一ヶ月くらいさまよって、誰もボクのこと見えてないみたいだったの。で、はじめてボクが見える人間に会ったから、犬時代のボクの似顔絵を描いてもらって、それを手がかりにしてお姉さんを探そうと思ったの。おうちの場所忘れちゃったし」
僕はハッとして慌ててスマホの画像を開いた。もしかして……!
「キミ、もしかして……もみじ君……?」
「お姉さんには、もみちゃんって呼ばれてたよ。なんでわかったの?」
間違いない!二人を会わせてあげなければ。僕がスマホの画像を拡大して連絡先を確認して顔をあげると、心なしかもみじ君の足が透けているような……。
「もみじくん……!足透けてる!」
「ほんとだ…手も透けてるみたい。タイムリミットなのかな」
もみじ君は悲しそうな表情で透けた手を見つめている。
まさか……ちょうど四十九日とか……?
「もみじ君、お姉さんとの思い出話聞かせてよ」
僕は慌ててスケッチブックの次のページを開くと、
もみじ君から二人の思い出話や、一緒に行ったいろいろな場所の話を聞き出した。『聞くこと』に関してはプロである。僕はそれをお姉さんへの手紙としてまとめ、最後はお姉さんへの感謝、そしてお別れの言葉を綴った。
お姉さんとの思い出を話すもみじ君は嬉しそうで楽しそうで、時々悲しそうな表情も見せていたけど、すべてを話し終えると満足したように、あの満面の笑顔のままフッと消えてしまった。
「もみじ君……」
僕は貼り紙に書いてあった『磯村楓さん』
に連絡して、公園で会う約束をした。
似顔絵が描かれたスケッチブックを渡す。
「あっ!もみちゃん!え?これえっと」
「次のページも見てください」
それを読む楓さんの目にはみるみる涙が溜まっていった。二人にしかわからない思い出も綴られていて、楓さんは全てを察したように
「もしかして、もみじくんとはもう……」
涙目の楓さんのかすれた小さい声に、僕は首を縦に振ることしかできなかった。僕の仕草でさらに楓さんの目には涙があふれた。
それを見守ることしか出来なかった僕は、用意していたボックスティッシュと僕の仕事場である喫茶店の住所が書かれた〈聞き屋〉の名刺を渡した。
「今度ぜひ、もみじ君との思い出を聞かせてください」
それから一週間後、楓さんは喫茶店に現れた。もみじ君の写真や思い出話をたくさん持って。
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