キオクをたどる

奈那美(=^x^=)猫部

第1話

「かあさんが、さっき息を引き取ったよ」


 涙をこらえているような声の、とうさんからの電話を受けたのは、終業間近のオフィスの自分の机で、だった。

去年の夏の猛暑で、熱中症になりかけてからずっと体調が思わしくなく、入退院を繰り返していたのは知っていた。

だけど結婚して家を離れ、子供もできないうちにさっさと離婚してからは、実家への足は遠のいていた。

 

 二回ほど、お見舞いを兼ねて実家に顔を出しに行ったけれど、その度に早すぎる離婚に文句を言われ(旦那が浮気して出て行ったのが原因なのに)、孫の顔が見たかったと泣き言を言われるのが鬱陶しくて、泊まりもしないで自分のアパートに帰っていた。

(あの時、一晩くらい泊まってやればよかったのかな)そんな後悔がふと、よぎった。

とうさんからの電話は『また詳しいことは追って連絡する。こっちに来るのは明日でいいからな』という事務的な、淡々とした言葉で締めくくられた。

私も『わかりました』という事務的な口調で返答し、通話を終えた。

スマホを机の上に戻した時、左目から涙が一粒机に落ちた。

落ちた雫を見た途端、両目から涙が溢れ出した。

私……泣いてるんだと思った時、テレビで観て耳に残っていた、昔の歌謡曲の歌詞が頭に浮かんだ。

(『涙も音なし花火のようで…』か。うまい表現だよな。きっと、こんな感じなのかな)そんな事をぼんやりと考えていた。

 

 「!!どうしたの?!」

向かい側の席に座っている美保みほ先輩が私の涙に気づいて声をあげた。

「あ、すみません。なんでも、ないんです。すみません」

「なんでもないわけ、ないでしょう?」

美保先輩は席を立ち、オフィスの共用机の上に置いてあるティッシュの箱を手にして、私の机の横にきた。

「とりあえず、はい。ティッシュ。要るならストックから持ってきてあげるから、思う存分使いなさい」

つっけんどんだけど優しい。

そう思ったら、止まりかけていた涙がまた、溢れてきた。

オフィスのみんながこちらを気にしているのが、気配でわかる。

でもみんな対応を美保先輩に任せて、何事もなかったようにしてくれている。

ようやく涙がおさまった私に、美保先輩は尋ねた。

「それってさ、さっきの電話のせい?」

「はい。そうです」

何か言うとまだ涙が出そうになる。

「もしかして、フラれた?」

(そう、来たか)

「いえ、そうではなく」

「だったら?」

「あの。母、が、亡くなったと。父から」ダメだ……また涙が。

「そか。それは辛いね。ティッシュ、追加しようか?」

「いえ。もう大丈夫です。ありがとうございました」

「そう?でもさ、今日はもう帰りなよ。係長には言っておくから」

「いえ。大丈夫です。明日以降のお休みもお願いしないといけませんから、自分で伝えます」

 

 私は係長の机に向かい、母が亡くなったと連絡を受けたことと、明日の休みを願いでた。

「そうか。それは残念なことだったな。寂しくなるだろうが……家は、他の家族は?」

「父がひとり。私はひとりっ子でしたので」

「そうか。おとうさんをしっかり支えてやるんだぞ」

「はい。」

「今日はもう仕事はいいから。早く帰りなさい。おとうさんの手伝いとかあるだろう。忌引きはウチの会社は七日間あるし……何だったら用事が片づくまで休んでもいいぞ」

「ありがとうございます」

私は自分の机に戻りPCをシャットダウンさせて鞄を持ち、誰に向かっていうでなく「お先に失礼します。」と言って家路に着いた。

 

 アパートに帰りついた私は、まずは明日からの帰省の用意に取りかかった。

「着替えは、まだ私の部屋の引出しに何か残ってるはずだから少なめでいいよね。あとは下着と化粧品と。ヤバ!肝心なものを入れ忘れてる。喪服はこれでいいよね。めったに着るものじゃないけど、ちゃんとしたものをって買わされたんだよなぁ。それとお数珠と」

なるべく荷物は少なく、それでも忘れ物がないようにと、持っていくものをひとり言で確認しながらベッドに並べ、それらを喪服ヨーシ、数珠ヨーシと確認しながらキャリーバッグに詰めていった。

用意を終えたのを見計らったように、とうさんからの着信があった。

「もしもし」

「もしもし。とうさんだが。かあさんの通夜は、明日の十九時からになった。場所は……お前が憶えているかはわからんが、おばあさんの葬式をお願いしたS斎場だ。もうかあさんもそこに安置してもらっている。本当は、一度家に連れて帰ってやりたかったが、な」

「うん。わかった。場所もわかるよ。明日は、直接そっちに行ったがいいの?それとも家に行ったがいい?」

「直接、斎場に来てくれ。手伝ってもらいたいことが、出てくるかもしれないし」

「だったら、今夜から行こうか?」

「いや、もう遅いし、明日で構わんよ」

「わかった。できるだけ早く行くようにするからね」

「ああ。頼む」

 

 (とうさんの声……疲れた感じだったな)

「あ。そうだ。電話しとかないと」

私は、とうさんとの通話を終えたスマホの無料通話アプリをたちあげ、かけ慣れた番号を呼びだした。

「もしもし」

「もしもし。私。今いい?」

「あ~、うん。大丈夫だけど、どうした?」

「前にさ、『今度ウチのかあさんに会って』って言ってたの覚えてる?」

「ああ、憶えてるよ。ん?会ってくれる気になったとか?」

「ううん。逆。会えなくなっちゃった」

「そうか。なかなかハードル高いな。まあ焦らずに待つけどさ」

「あ…ううん。待たなくていいよ」

「なんで?……諦めちゃうの?」

「そうじゃなくて。物理的に会わせてあげられなくなったの」

彼が困惑したような口ぶりできいてきた。

「??どういうこと?物理的に?すごく遠くに引っ越したとか?たまにテレビでやってるような山奥の一軒家とか、外国とか」

「……すごく遠くに行ったのまでは合ってるかな。行っちゃったの。空の向こうに」

「空の向こうって……まさか?」

「そのまさかだよ。夕方、とうさんから知らせを受けたの。明日から、実家に行ってくる」

「明日って。いや、それよりも、今からオレがそっちに行くよ」

もう遅いからいいよ、と言う間もなく通話が切れた。

(心配……してくれてるんだろうな)

 

 しばらくして、彼がコンビニの袋を手にして、私の部屋を訪れた。

「あ~。なんて言っていいかわからんけど。───寂しくなるな。特におとうさん」

「うん。そうだね」

「で、まずは話を聞く前に。食ってないだろうという想像を前提に聞くけど、夕飯食った?」

「ううん。食べてない」

「ビンゴ!」

そう言って私の向かい側に座った彼は、コンビニ袋の中身を披露しはじめた。

「まずはおにぎり、鮭とツナマヨ。サンドイッチはミックスな。それとハイボールとあたりめ……デザートにプリンだ」

「え~?そんなにいっぱい?それにお酒?」

「そ。眠れないかもしれないと思ってね。飲むだろ?」

「うん。ありがとう」

正直な話、食欲はなかった。

お腹が空いているという実感もなかった。

なんだかふわふわとした気分で、座っている床の硬い感触は感じられるのに、浮いているような沈みこんでいくような、へんな感覚にとらわれていた。

おにぎりをひとつ食べ終え、ハイボールを飲んでいると、また涙がひと粒こぼれた。

向かい側に座っていた彼が、立ち上がりテーブルを回って私の隣に座った。

そして(ヨシヨシ)と私の頭を優しくなでた。

彼にもたれたまま、私はしばらく涙を流した……その間ずっと、彼は頭をなでていてくれた。

何も言葉は交わさないけれど、彼の優しい気持ちが嬉しかった。

 

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