新婚初夜

 冥燐殿の上階にある大広間では、豪勢な祝宴が催された。普段ヨミを助け、執務に携わっている上位の役人やら、身近に仕えている近衛兵などが集まる、それはそれは派手な宴会だった。エナは花嫁ということで上座に座らされ、散々手厚いもてなしを受けたが、普段関わらない人たちとの会話に気を遣ったのと、式で気を張っていたのもあり、少し疲れてしまって。

 ヨミは目ざとかった。そんな恵菜の様子を感じ取り、それとなく薫瑛を呼ぶとそっと部屋へ戻らせたのだった。

 自室へと伸びる廊下を歩きながら、薫瑛は笑った。

 

「申し訳ありません。皆の者、羽目を外しておりまして……。きっと嬉しくて仕方ないのですよ、これまでの王妃様とまともな会話をした者など誰もいませんでしたから。エナ様は大変気さくな方だと皆口々に言っておりました。」

「そ、そうかな……?初めて言われたかも……。けど嬉しい、えへへ……。でも悪かったかな、途中で抜けてきちゃって。ヨミにも気を使わせちゃった。」

「ふふ、ご心配なく、大王様は無理をされてるわけではありませんよ。エナ様の様子を逐一眺めては、あれやこれやと先回りして世話をするのがお好きなのです。大王様の楽しみをどうか奪わないでくださいませ」


 くすくすと笑ってそう言われて、頬に熱が集まる。彼が大事にしてくれているのはひしひしと伝わってはいたが、第三者からそう言われると余計に愛されていると思えて小っ恥ずかしくなった。

 部屋に着き、後ろ手に障子を閉めた瞬間、薫瑛は周囲に人がいないことを確認してから、こんな話を切り出した。


「さて、エナ様。これから初夜の儀に入りますので、湯浴みのご準備をいただきたく」

「……えっ?」


 耳慣れない言葉に素っ頓狂な声が出てしまう。しばらくの間思考が止まり恵菜は黙りこくったものの、今日の夜が新婚初夜であることにこの時思い至った。


「あっえっ……しょ、初夜!?あっそっか、そうだよね、忘れてた……!あっ、えっ……初夜……」

「ふふ、お気をしっかり、エナ様。そう難しいことでも特別なことでもありません。大仰な名がついておりますが、そこまで形式ばったものでもありませんし、エナ様にはお気を楽にして臨んでいただきたく存じます」


 恵菜は傍目にも分かりやすいくらいに狼狽していた。そう、夫婦なのだ、新婚初夜ということはつまり、そういった男女の営みをするわけで。何でこれまで頭から抜け落ちていたのだろう。冥界に嫁ぐということでイレギュラーがいっぱいで、そこまで考えてなかった。恵菜は普段の威勢の良さはどこへやら、急に気弱になり、ありえないくらいに動揺していた。


 恵菜は処女だった。別にこの歳まで大切に守ってきたわけでも何でもないのだが、気づいたら自然とこうなっていた。それもそのはずだ、異常なくらいの男との縁のなさが手伝って、マッチングアプリですらまともに男と出会えなかったのだ。付き合うどころか食事に行って異性と普通に仲良くなることすらできなかったのに、行為の経験などあるわけがなかった。


「ど、どうしようあの、薫瑛、恥ずかしいんだけど私……け、経験が、なくて……」

「ほう……そうでしたか。……あぁ、不安になっていらっしゃるのですね。エナ様、そのようなこと、全く気に病む必要はございません。」


 恵菜は恥を承知で薫瑛に打ち明けた。こんなことを人に話すなんてどうかしているが、薫瑛は不思議とその類の話も抵抗なくできるように思えた。これが成人の姿をした男性だったら話しにくかったのかも。やや幼く中性的な容姿で、そして妙に世話焼きな乳母のようなところもあるからこそなせる技だ。

 うなだれる恵菜に、薫瑛は励ますように言った。そして、そっと耳に唇を寄せると、艶っぽい声色で囁く。


「身も心も、全てを大王様に委ねられませ。きっと極上の初夜をお過ごしになることでしょう。」

 

 びくりと身を跳ねさせ、恵菜が真っ赤な顔で抗議するように見つめると、薫瑛はにこりと笑って見せ、「湯浴みをいたしましょう。湯上がりには、そのお髪に香油をご用意いたします」と悪びれず言った。




 


「本当にちょっと、大丈夫かな……無理かもなんだけど……」


 湯浴みを終えた恵菜は、一足先にヨミの寝室でそわそわと彼を待っていた。恵菜の部屋よりも装飾が若干渋い、簡素な部屋。ふかふかの寝台には、清潔で肌触りの良い布団が綺麗に整えられている。若干気が引けながらも、恵菜はそこに浅く腰掛けてうぅんと唸っていた。


 薫瑛から初夜の流れを聞き、恵菜は卒倒しそうになった。冥王と王妃の初夜には見届け人という役割があり、行為が最後まで行われたかを確認するため配下が一人同席するらしい。王の側近が務めることが多いということで、当然その役は薫瑛とのこと。つまり、ヨミとの行為の一部始終を薫瑛に見守られながら行わなければならないらしく。


「えっ薫瑛に見られながら!?むりむりむり、そんな、初めてなのにハードル高すぎるって!」

「まさか。儀式とはいえ、冥王とその妻の営みに不躾な視線を注ぐことなど許されませぬ。僕は屏風の向こう側で背を向けて座っているだけですので、ご安心を。」

「あ、そうなの……うぅん、それならまだマシ……?いやいやいや!」


 ただでさえ緊張しているのに聞き耳を立てられながらなんて、そんな初夜はあんまりである。だが決まりだから仕方のないことであるし、他の人に替えられるくらいならよく知っている薫瑛の方がよかったということで、恵菜はげんなりしつつも結局はそれを受け入れた。





 


 それからどのくらい経ったろう。落ち着きなくもじもじとヨミを待ち侘びるものの、彼は現れず。薫瑛は部屋に焚く香を準備してくるだとかで今は不在で、つまり恵菜以外誰もいない。その後もしばらく待ったものの、彼が現れないことに不安になってくる。


 なぜヨミが来ないのか。湯冷めして温度をなくしていく手を握って恵菜はわなわなと唇を震わせた。

 

――急にその気じゃなくなったとか?私を抱く気に全くなれないとか……。肌のケアは欠かしてなかったし、スタイルの維持も頑張ってたつもりだけど、身体つきが全然タイプじゃないとか言われたら本当どうしよう。


 そういえば、式の後くらいから、なんだか元気がなかった気がするし……。

 考えこむほど後ろ向きの思考になっていく。恵菜は頭をブンブンと振って悩むのをやめた。ただの長風呂なのかもしれない、そう結論づけ、あまり深くは考えずに部屋を出て、ここでじっとしているよりはと彼を探しに出かけた。

 



 


 騒がしかった祝いの席が終わり、静けさの戻った大広間。外を眺めるように欄干にもたれて、一人、ヨミが佇んでいた。湯浴みを終え着流しのような軽装の彼は、なぜだか物憂げな表情をしている。鬱々とした瞳に長いまつ毛が影を落として、宵闇に包まれた家々を、彼は黙って見下ろしていた。

 

「ヨミ」

「……!エナか」


 恵菜が少し迷った後、ためらいがちに声をかけると、途端に彼は振り向いて笑みを浮かべた。安堵の滲んだ、だが疲れているのに無理に作ったような笑みだった。


「あぁ、すまぬ、待たせてしまったか……?」

「うん、全然来てくれないから、心配で探しに来ちゃったよ」

「そ、そんなに経っていたのか……!すまぬ、式の後の花嫁を待たせるなど。……不安にさせてすまなかった、湯浴みを済ませてから、少し風に当たっておったのだ。そなたの体が冷えては大変だ、さ、部屋に戻ろう」


 そう言って恵菜の肩を抱き、部屋へ帰ろうと促す彼に違和感を感じる。

 目が合わない。あの優しくて慈しみに満ちた目で見つめてくれない。声も少し硬く、緊張しているというか、何かを恐れているような。

 彼もこれから訪れる初夜の営みのことを気にしているのかと思ったが、それだけではない気がした。恵菜はヨミの袖をグッと掴んで引き留めると、驚いて目を見開く彼に言った。


「ヨミ、何だか元気がないね。どうしたの……?何か心配事があるんじゃないの」

「……ッ……な、何を言うのだ、そなたが気にすることなど、何も……」


 はじめ否定の言葉を口走ったヨミだったが、恵菜が真剣な目で瞬きもせずじっと見つめると、じきにその真紅の瞳が戸惑ったように揺れる。彼女の視線に根負けしたように、彼はうなだれ、背を丸めると、視線をさまよわせて言った。その声は震えていた。


「すまぬ……余は、余は卑怯者だ」

「……?どういうこと?ねぇ、落ち着いて、ちゃんと話してよ」

「まだそなたに、話していないことがある」

「えっ……?」

「何度も話そうと思っていた。けれど話してしまったら、そなたが余のもとから離れていくのではと思い、言えなかった……。すまぬ、余は、最低な男だ……!そなたを手放したくないばっかりに、こんな……!」

「ちょっと、ヨミ!」


 普段、温厚で落ち着いた様子のヨミからは想像がつかないくらいにうろたえていて、恵菜は彼の正気を取り戻させようと彼の名前を呼んだ。びくり、と身をこわばらせた彼はおそるおそる顔を上げ、恵菜を見る。まるで叱られる前の子どものような不安げな顔だった。


「勝手に自分を責めてるけど、私はまだ何も言ってないじゃない!卑怯なことをしたかどうかを決めるのは、私!ヨミからちゃんとした説明も受けてないのに判断できないでしょ!」


 凛とした声でぴしゃりと言い放った彼女に、ヨミは切れ長の目を大きく見開いた。そして、彼女の語気と勢いに落ち着きを取り戻したのか、あぁ、とつぶやいて小さく息をついた。そして、一呼吸置いた後、神妙な顔で言った。


「……薫瑛に言われたことを、覚えているか。年に一度、彼岸にはここと現世を繋ぐ扉が開かれる、と」

「え?あぁ……年に一回、そこなら元の世界に帰れるって、だから家族にも二度と会えないわけじゃないから、心配ないって」

「……それは、半分正しく、半分間違っている」


 ヨミは目を伏せると、喉が締まったような辛そうな声を出して言った。


「……婚姻に際して、冥王と魂の契約を結ぶ、という話も薫瑛からされたろう」

「あ……うん、式の後に、その契約をすることで正式な夫婦になるって言ってたけど」

「あぁ。……あれは、生者であったそなたの魂を娶る行為。冥王である余がエナの魂を貰い受け、永劫余のものにする契約を結ぶこと。すなわち……契約後のそなたは生者ではない、永遠の命が約束され、魂ごと異質のものへと生まれ変わる。"こちら側"の人間になるということだ」


 ヨミはためらいがちに一度口をつぐみ、一拍置いて続けた。そこからの声は震えていた。


「魂の契約後、そなたが現世で生活していた頃の記憶は消える。そなた以外の、誰の記憶からもだ。家族、友人……全てがそなたのことを忘れる、存在が忘却される。……年に一度現世に帰れるのは嘘ではない。だが、待っているはずの家族の記憶の中に……エナはもう、いない」


 ヨミは恵菜の顔を見るのが怖いようだった。視線を下げたまま、彼女が口を開くのを恐れて、続けて懇願するように言った。彼の大きな手が恵菜の肩を軋むくらい強く掴む。


「こんな大事なことを黙っていて、式まで挙げさせるなんて、最低な男だと思っているのだろうな……。分かっている、そう言われても致し方のないことをしてしまった。帰る場所を奪うのと同義だ。そなたを欲するあまりに愚かなことをした、身勝手な男だ……」


 悲痛な叫びは、血を吐くかのように痛々しくて。卑怯者だと、身勝手な男だと自分を貶める言葉を吐きながら、肩を掴む手はどこまでも力強く、恵菜を逃がす気などないかのようだった。そんな言葉と体の乖離さえも、今の恵菜にとっては胸を強く締めつけ、彼の美しい泣き顔はどうにも視線をとらえて離さなかった。


 家族と会えても、もう自分を覚えていない。それは、すごく悲しい、やっぱり寂しい。確かにそんな、名残惜しさにも似た切なさはあるけれども、それ以上に、今恵菜の胸にグッと突き刺さっているのは、自分という存在をここまで求めてやまない、渇望している目の前の男の存在で。


――あぁ、このおとこのために全てを捧げられるなら、これまでの自分を全て投げうったっていいのかもしれない。

  

 ぞくりと、甘い痺れにも似た酩酊感が襲い、頭の芯がじんわりと溶けそうだ。もしかして、これが愛してるっていう感情なのだろうか?……確かめる術はないが。


「ふふ……そんなに泣かなくても、私はどこにも行かないよ」

「……エナ……?」

「ヨミはさ、優しいね。だって、今の話を黙っていて、魂の契約を結ぶことだってできたでしょ。けど、そうしなかった。私を騙して結婚するなんて、ヨミはそんなことできなかった。優しいよ、本当に」

「……違う、これはただの保身だ。後から真実を知り、嫌われるのが怖かったのだ。ただ臆病なだけなのだ、余は……。」

「ほら、そういうところ。」


 ヨミの白く滑らかな頬にそっと触れ、顔を上げさせる。泣き濡れた美しいかんばせが恵菜をじっと見上げていた。


「心から愛してほしいって思ってる、純粋なところとか……。潔癖なくらいに誠実であろうとするところも、心のつながりを何より大切にしてくれてるところも、全部好き。これ以上の人、向こうの世界で生きてたって一生見つかりっこないよ」


 ヨミのまなじりからまた涙がじわりと滲んで、せきとめられていたのが決壊してあふれていく。ぽろぽろと頬をすべるそれを恵菜は指で拭った。


「もう、とうに覚悟は決まってるんだからさ」


 ここまで全身全霊で愛されて、求められているのだ。それに応えないなんてこと、あり得ないだろう。彼の愛の深さを相手にしては、私が何を捨てたってかないっこないのかもしれない。


 ヨミは、しばらくの間信じられないものでも見たかのように呆然としていたが、みるみるうちにその秀麗な顔に歓喜の色を滲ませ、目を潤ませながら勢いよく恵菜を抱きしめた。力強い腕に抱かれ、耳元で熱く囁かれる。


「本当によいのだな?二度と離してなどやれぬぞ。生涯そなたは余のものになるのだ。この先一瞬たりとて離しはせぬ」

「うん、ヨミ、ずっと、ずっと一緒にいようね……っ!ね、分かってる?私、けっこう嫉妬深いんだと思うの……!ずっと、私のことだけ好きでいてね……!私も大好きだから……っ!」

「何を世迷言を……余が他のおなごに?ありえぬ、想像もできぬ。そのようなことを口走るそなたにはしっかりと余の愛を思い知ってもらわねば」


 腰を抱き寄せていた手のひらが、はじめは優しく慰撫するようだったのに、段々と手つきが変わり始める。恵菜の身体の輪郭を確かめるように、ゆっくりと背や腰を撫でていって。びくりと身体を跳ねさせた彼女にくすりと喉の奥で笑うと、ヨミは恵菜の耳の後ろをやわくくすぐりながら、その反応を楽しむように微笑んだ。


「愛い……もう我慢ならぬ。そなたの全てを愛でたくて仕方がない」


 腹にすべり降りた手が、下腹部をゆったりとなぞる。円を描くように撫でながら、彼は耳元で甘ったるく囁いた。滴り落ちるような色気を含んだ声色だった。


「今夜はそなたの奥の奥まで、夜通し可愛がらせてもらうぞ」

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