背後に悪魔
北見崇史
背後に悪魔
ミツルは、ふせっていた。
いつものように机にべったりと顔をつけて、さらに両腕で丸く囲んで鉄壁の姿勢である。
休み時間は、話し相手のいない彼にとっては重苦しく憂鬱な時だ。孤立をイヤというほど味わうことになるので、とにかく空気のように希薄になることに集中する。
ただし、外野の雑音には聞き耳を立てていた。とくに女子たちの会話は、年頃の男子中学生に必須な栄養源となるからだ。
「ねえねえ、自分属性アプリって知ってる?」と、隣の席で集団となっている女子の一人が言った。
「知ってるよ。自撮りしたら、後ろに自分の属性が写る、ってのでしょう」
その集団は五人の女子で構成され、彼女たちは三年三組で陽キャグループとして幅を利かせている。かなりのことを経験していて、彼女たちが語る情報は、ミツルが夢見る遠い世界なのだ。
「ちょっとさあ、意味わかんないんだけど。自分の属性ってなにさ」
「たとえばさ、優菜が犬属性だったら、そのアプリで自撮りしたら、背中にワンコが写るんだよ」
「あたし、ニャンコは好きだし家で飼ってるけど、ワンコじゃない気がする。ワンワン」
「だから、たとえばの話だって」
「いや、めっちゃ犬属性だし」
ゲラゲラと黄色い笑い声が沸き起こった。教室の方々に散らばっていた各グループが一斉に注目してシンと静まるが、数秒後には元通りとなる。
「そのアプリのすごいのがさあ、後ろに写った属性に命令すれば、それが憑依するんだって」
「なんだよそれ」
「犬属性なら、犬が憑依して素早く動けるわけよ。トラ属性だったらトラになって、人なんてあっという間に噛み殺しちゃう。憎ったらしい奴をやっつけたいなら、ぜったい肉食系がいい」
「あたし、あれだわ、数学の生田先生いるじゃん。あいつにセクハラ発言されてイラってしてるんだけど、ワンコになって噛みついてやりたい」
「やっぱ、優菜は犬属性だよ」
自分属性アプリなるものをミツルは知らなかった。がぜん、興味がわいてくる。
「でもさ、そんなアプリがあるなんて、さすがにウソでしょう」
「いや、わりとマジなんだって。一組の宇佐真美知ってるでしょ。あいつの属性がウサギでさあ、ウサギが憑依したから走れって命令したんだって。そしてら群馬までノンストップで走って帰ってきたんだって」
「マジか」
「なんで走るんだよ。群馬まで往復して意味あんの」
「ウサぴょんだから走ったんじゃないの。宇佐真美が宇佐ウサぴょんになったわけさ」
また笑いが起こった。「ウケるウケる」と言い合いながら、手を叩いて喜んでいる。
「なんか、面白そうだから、あたしもやってみっかな」
「でもさあ、そのアプリ、(いけにえ)がいるって話なんだよ」
「なにそれ、怖いんですけど」
「ちょ、くわしく」
机にふせっているミツルの眉間に図太いシワがよるが、もちろん誰にも気づかれない。
「アプリを起動して、身近な生き物の生き血をスマホの画面に滴らすんだってさ。宇佐はインコの首をハサミでチョッキンしたんだって」
「イヤー、その話マジかよ。宇佐ウサぴょん、ヤベー奴だわ」
女子たちに悲壮感が出てきた。
「ハエでも叩き潰して、スマホにのせればいいんじゃないの。虫だって生き物だし」
「虫とかじゃなくて、ちゃんとしたヤツじゃないとダメだって話。たいていはペットなんだって」
「やっぱ、あたしはダメだわ。ニャンコを(いけにえ)にはできんじゃん。首を切って血をたらすとか、ぜっていに無理ゲー」
「そうそう。逆にペットに呪われそう」
休み時間のチャイムが鳴り、生徒たちがそれぞれの席についた。数学の担当教師がやってきて、関数の授業を始める。人気がないのか、皆の表情に活気がなかった。
ミツルが顔をあげている。キリリと引き締まっているのは数学が好きなわけでも、セクハラヘンタイ野郎として名高い担当教師を尊敬しているわけでもない。いまさっき盗み聞きした情報に関して、その信憑性をどうやって確かめたらよいのか、真剣に思案中なのである。
自分属性アプリなるものは、女子中学生が面白半分に話題にする他愛もない都市伝説だと切り捨てそうなのだが、ミツル自身も夢見心地な子供の域を出ないのだ。
その日の放課後、ミツルは三年一組の教室付近でウロウロしていた。ふだんから目立たないように訓練しているためか、誰も怪しい奴がいるとは思わなかった。
ミツルの狙いは宇佐真美である。自分属性アプリを使って、ほんとうにウサギの属性を手に入れたのか知りたくてしょうがない。でも、陰キャで人見知りの彼がほかの組の女子に話しかけるのはハードルが高い。どうやって訊き出そうかと逡巡していたのだが、そうこうしていると本人が帰ってしまった。
「あ、待って」と思わず呼び止めてしまってから、ミツルは硬直した。知らない女子に話しかけてしまい、告白かと思われたらどうしようと焦ってしまったが、それは杞憂であった。
宇佐真美はさっさと行ってしまった。ミツルの呼び止めなどハエの放屁ぐらいの振動しか感じていなかった。
「ちくしょうめっ」と自分の不甲斐なさに小さな罵声をとばして、ミツルも歩き出した。手慣れたストーカーのように、つかず離れず尾行する。そういう才能には恵まれていたので、幸いにも感づかれることなく校門を出た。
「どうしたらいい。このままじゃあ、家に帰っちゃう。ラインとかで訊くか。いや、だめだ。そもそも俺のスマホにはラインが入っていない。いらないからな、ちくしょうめ」
宇佐真美と会話して訊き出すことは諦めていた。話したこともない女子と重大な案件を相談するなど、軽薄な陽キャのバカにしかできないと結論づけた。
「新崎とか、笹山とか、近藤とかの、脳ミソ鼻汁連中がやることだ」
クラスで女子に人気があり、生徒たちの主導的なグループを形成し、バレンタインデーには机の中にチョコが詰まっているイケメンぞろいの男子たちを、とりあえず罵ってみた。
宇佐真美は真っすぐには帰宅しなかった。あっちこっち寄り道している。あとをつけていたミツルは、ナイスで素敵すぎるアイディアを思いついた。
「そうだ。あいつを襲えばいいんだ。強盗でも暴漢でも痴漢でも、なんでもいいから襲いかかれば、ウサギの速さで逃げ出すはずだ。もし俺につかまるようなノロマなら、あの話はウソだということだ」
運動神経のなさには自信があるミツルであるが、その計画をやるには準備しなければならないことがある。
「でも、オレが犯人だと知れるとマズいぞ。変装しないと」
宇佐真美が商店街の古本屋でマンガを立ち読みしているスキに、百十円ショップで黒の雨合羽を買うことにした。
「三百三十円ですう」
「え、百十円じゃないの」
「こちらの商品は別枠ですう」
存外に高い買い物をしてしまった中学三年生男子は、値札をちゃんと確認しなかった自分と、語尾をムダに引き伸ばす店員にイラついた。
「くっそ」
八百円しかない財布から三百三十円を泣く泣く支払って、変装用具を手に入れた。そそくさと店の外に出ると、薄ら暗い路地に入って着用する。季節は秋であり、暑くて蒸れてしまう心配はなかったが、秋晴れがすがすがしい夕方に、フードをかぶった全身黒ビニール姿は怪しさ満点であった。
贅沢にもマンガを三冊も立ち読みした宇佐真美は、やっと帰宅することにした。商店街を抜けて、人気がない河川敷をたらたらと歩いていた。黒いストーカーもついてゆく。
なにかしらのロクでもない気配を感じた。ちょっと振り向いてみると、きれいな夕陽を背景に黒いレインコートの人影が小走りでやってくる。周囲には人がいない。あきらかに自分に向かっているとわかったが、突然のことなので宇佐真美はどうしたらよいのかわからなかった。
「え、え」
ぐんぐんと近づいてくる黒い人影が意味不明な言葉を叫び、腕をぶるんぶるんと振り回している。彼女は、さらに戸惑ってしまう。
「おんりゃあこんにゃろうざけんじゃにゃあ、ジャジャジャジャーン。ちんちんまんまん」
自分でもなにを言っているのかわからないが、ミツルはとにかく叫んだ。最後のほうは、いちおう痴漢らしく卑猥なことを言って怖がらせているつもりだが、気恥ずかしさがあって中途半端なエロさになってしまった。
宇佐真美はキョトンとしている。あきらかな不審者が目前まで来ているのだが、ミツルの迫力がまったく足りていず、彼女の逃避を蹴飛ばすには力不足だった。
「え」
「う」
二人は静かに対面してしまう。宇佐真美は、眉にぶっ太いシワを寄せてじっと見つめていた。不審者はキョドっている。マスクをしているので表情は見えない。
「ちょっと、あんたなにさ」
相手が弱いと感づいてしまった女は強気だ。背の低い不審者を、どうやら同年代か小学生だと値踏みしていた。
「ヘンタイなんかこわくないんだからね。動画にとってネットにさらしてやるからな」
スマホを取り出して画面をポチポチやり始めた。怖がっている様子がまったくなかった。
ミツルは雨合羽の前面を開いた。ズボンのチャックをじれったく降ろしている。宇佐真美が焦りだす。
「ちょちょ、マジでなんなの。ほんとにヘンタイなんじゃないの」
「デデデーーーーン」
自らの効果音とともに股間から出てきたのは、長い棒であった。ただし、ムスコスティックではない。さすがのミツルもそこまでヘンタイではないし、そもそも彼のモノはそんなに長くはなかった。
次にミツルはライターを取り出した。パチンパチンと押して小さな炎を灯す。目を白黒させている女子にかまわず、その灼熱を股間から露出させた棒の先っぽに当てた。しばし後、「ボンッ」と、それは突如として発射された。
「あひゃあ」
宇佐真美が逃げ出した。赤や青や黄色の火花が、彼女に向かってポンポンと打ち出されている。背中に当たったり、髪の毛を焦がしたりした。「熱、あっつ」と悲鳴をあげている。
ミツルの股間からとび出しているのは、連発式の手持ち花火であった。こんなこともあろうかと、百十円均一店の隣の二百二十円均一店で買っておいたのだった。
「あちっ、来るな。熱、あっつい」
お互いに走っているので狙いが定まらぬと思いきや、ミツルの股間速射砲は、おもしろいように宇佐真美の後頭部へ命中していた。すでにけっこうな毛量を焼いている。熱さと状況の意味不明さで、女子はパニックなりかけていた。
花火の不審者は調子に乗って、「オラオラオラオラ」と、股間の棒を両手でつまみながら{オラオラ走り}にいそしんでいた。
最後に「バンッ」と大きく爆発して連射花火は終了となった。「おぎゃっ」と股間を押さえたのはミツルである。
「こんちくしょうめ、次はこれだ」
尻のポケットからロケット花火の束を取り出して、次々と火をつけた。「ピューン、ピューン」と甲高い音を響かせながら、それらは宇佐真美に命中し、ついでに爆発した。
「ぴょーんぴょーん」
なんと、宇佐真美が飛び跳ね始めた。その跳躍高度はけっこう高くて、人の背丈の三倍はゆうに超えている。ふつうの人間ならば着地した瞬間に足首を複雑骨折すること間違いなしだが、彼女は平気だった。
「ぴょーんぴょーんぴょーんぴょーんぴょーんぴょーん」
中学生女子はウサギとなった。いやホンモノの能力よりもさらにパワーアップしていた。魔法のような跳躍力をまざまざと見せつけられたミツルは、自分属性アプリが真実であると確信した。
「ようし、オレもやってやるんだ」
最後の一発を持ったまま決意に満ちた顔で力むが、手を離すのを忘れていた。
「あちちち」
あわてて手を離すも少しばかりヤケドしてしまい、さらに勢いよく飛んで行ったロケット花火が、河川敷を自転車で巡邏中の警察官の顔面で爆破した。雨合羽を脱ぎ捨て、死に物狂いで逃げるミツルであった。
「このアプリ、あんがいと簡単に手に入ったな」
ミツルが、自身のスマホに自分属性アプリをダウンロードした。さっそく起動すると、注意事項の説明が記されていた。面倒なのでOKをタップしまくりで進むと、もっとも重要で、ある意味邪悪な必須事項が表示された。
{価値ある身近な生き物の、生き血を画面に滴らせよ}
ミツルの価値ある身近な生き物といえば、自室で二年間飼い続けているキンクマハムスターのハム吉となる。
「すまん、ハム吉よ。俺のためにここで死んでくれ」
ケージからハム吉を取り出して手のひらに乗せた。無垢なハムスターは、慣れたニオイと感触に不安を感じていない。いつものように鼻をヘクヘクとさせていた。
「せめて苦しまないように、一瞬で首を切り落としてやるからな」
スマホを下敷きとして、いや生板として、その上にハムスターを置いた。暴れないように、そっと左手を添えて右手にカッターを持った。まだ一度も使われたことのない鋭利な薄刃が、モフモフ小動物の首に当てられる。
「さらばだ、我が心の友よ」
目をつむって覚悟を決めた。右手にグッと力を入れてカッターを押し込んだ。
「くっ」
だが、カッターの刃は寸前で止まっている。本人の気合が力をかけているが、まったく下りていかなかった。理由は単純明快である。
「うわーん、ごめんよ、ハム吉。おまえを殺せるわけないよ。おまえは友だちなんだ、親友なんだー」
近所のホームセンターで飼ってから二年余りであるが、そのげっ歯類は心のよりどころとなっていた。
「これはムリゲーだな。あきらめるか。しっかし宇佐真美はすげえよな。よくインコの首なんて切れたよな」
あきらめて自分属性アプリを閉じようとしたミツルは、ハッとひらめいた。
「そうだ、血をたらせばいいんだったら俺のでもいいじゃん。俺にとって俺自身が価値ある身近な生き物なんだから」
さっそく、人差し指の先っぽをちょっとだけ切って血をたらした。「痛いじゃん」と不平を言いつつ待っていると、アプリが安っぽいBGMを奏でて、自撮りするように表示した。さっそく、その指示に従う。
「うわあ、なんだこれは」
ミツルの背後には、背中に翼のある人型が写っていた。ただし天使ではない。全身が真っ黒で頭にはツノがあり、口からは牙が出ていて、いかにも邪悪そうな姿だった。
「悪魔だあーーーーーー」と絶叫してしまう。
「なになにどうしたのよ。またゴキブリがタラコを食べたの」
母親が突撃してきた。風呂上がりの途中だったのか、ブラとパンツだけの姿である。憎たらしいほど贅肉が多かった。
「な、なんでもないよ。どっか行けよ、デブ」
「ちょ、あんたねえ、母親に向かってなんてこと言うのよ。呪われるからね」
「いいから出て行けよ」
母親を追い出してから大きく息を吸って、あらためて画面を見た。どこからどう見ても、背後にいるのは悪魔である。
「俺の属性は悪魔だったのか。ライオンやトラかと思っていたけど、まさかの悪魔とは。やっぱり選ばれし男だったんだな」
悪魔属性であることを確信した。あとは、その最強オブジェクトをいかに使うかである。
「とりあえず、俺をバカにしていたやつら懲らしめる。まずは荒木沙由美だ」
荒木沙由美は勝気な性格で、クラスでは女子の主導的な存在だ。うぬぼれが大概であり、クイーンを自称している。地味~な者を見下して、からかったりする厄介な存在だ。ミツルは何度も餌食になっていて、家に帰ってハム吉に泣きつくこと多数回に及んだ。
「おい悪魔、荒木沙由美をボコボコにしろ」と画面に命令した。
きっと悪魔が自分に憑依して、魔界の超常現象的な能力でもって、秘密裏にことを成し遂げるのだと思った。
「あれ、なんもないんだけど」
だがミツルの体に変化はなかった。相変わらずの貧弱中学三年生男子である。ハム吉と顔を合わせて、渋い顔をする。
「なんだよ、やっぱガセだったのか」
ちくしょうめ、と言って、ふて寝するミツルだった。
次の日の朝、ミツルがやや遅れ気味に登校すると教室がざわついていた。人だかりの中心に顔中痣だらけになった荒木沙由美がいた。
「ちょっと沙由美、どうしたのさ」
「ボッコボコじゃん」
「なんか、寝てたら夢の中で悪魔みたいなやつにボコられて、起きたらホントにボコられてた」
なんと、ミツルの願ったとおり彼女は手ひどくやられていた。「よっしゃ!」と小さくガッツをキメる。
「眠っている間に悪魔がやってくれるんだ。これは便利」
次は誰を標的にしようかと考えていると、休み時間に藤堂寅之助というゴリラみたいな生徒がやってきた。
「おい小池、この前貸した五百円返せや」
五百円借りた事実などないのだが、ミツルは硬貨を渡した。そうしなければ、あとでヤキを入れられてしまうからだ。こういうことが度々あった。
その日、家に帰ったミツルは寝る前にアプリを起動して命令した。
「今度は寅之助だ。あいつはホントに殺してやりたい。すごく残酷な目にあえばいいんだ。頼むぞ悪魔」
よほど鬼気迫っているのか、ハム吉が落ち着かない。
「お休み、ハム吉」
不敵な笑みを浮かべて床につくのだった。
次の日の朝、かなりの寝坊をしてしまう。いつもより一時間遅く登校した。すると、校門の前に人だかりができている。パトカーが何台も停まっていて、救急車やテレビ局のカメラマンもいた。控えめにいっても大騒ぎの状況である。
するするとミツルが近づき、近くにいた一組の生徒たちの会話に聞き耳を立てた。
「男子の生首が門の上にあったんだよ」
「マジかよ」
衝撃の内容だった。ミツルの目がクワッと開いた。
「ほら、三組にいるヤクザみたいなヤツ」
「藤堂かよ。抗争事件か」
ミツルが完全に固まっている。顔色が悪く、血の気が失せて、さらに土色になっていた。
「切ったっていうより、千切れていた感じ。皮がベロベロしてたし」
「野犬にやられたのかよ。てか、おまえ、なんで知ってんだよ」
「だって、あたしも見たもん。部活の朝練に来てみたら、びっくりゴアな猟奇事件ってやつ」
{しまった。ここまでやるつもりはなかったのに}、とはミツルの心の声である。その日は臨時休校となり、家に帰ってすぐに自室へこもった。
「あいつは死んで当然のクズだったけど、殺人事件はマズイぞ。きっと眠っている間に憑依した悪魔がやったんだ。ということは、俺は殺人犯だ。警察につかまったらどうしよう」
同級生を殺してしまったことを悔やんでいるのではなく、その犯人となったこと、犯行が露見するのではないかと怯えていた。
「事件の生徒って、あんたのクラスの子でしょう。大丈夫なの」
「あいつとは口をきいたことがないから、なんともない」
夕食時に事件の話題となった。母親は息子の精神状態を心配している。
「隣の奥さんが言ってたんだけど、町内会の会長さんが犯人を見たんだって。明日ね、警察に行くらしいよ」
ミツルの体が硬直する。姿を見られていたのだ。急いでご飯を食べ終えて自室へ行く。
「と、とりあえず、どうにかしないと。おい悪魔、会長さんが犯人を見なかったことにしてくれ」
スマホの自分属性アプリを起動して、そう言った。これで大丈夫だろうと安心してベッドに横になり、そのまま寝てしまった。
ミツルが目を覚ました。九時を過ぎていたが、今日は休日なので寝坊しても問題ない。朝食をとろうと居間に行くと、近所の主婦たちが集まっていた。
「町内会の会長さんが死んだんだって」と母親が言った。町内の路上に死体が放置されていて、かなりの人が目撃したようだ。
「目玉をくりぬかれてて、ひどかったさ。ゲボ吐きそうになっちゃった」
死体を見た近所の主婦が、顔中を渋くしている。
朝から顔面蒼白になったミツルは、飯も食わずに自室へ戻った。
「殺せとは言ってないぞ。ヤバい、ヤバい、ヤバい」と憤慨するが、すでに後の祭りである。
これからどうしたらよいのかを思案してウロウロしていると、何かを踏みつけてしまった。足の裏でプチンと弾けたそれをつまみ上げてマジマジと見つめ、ちょっとニオイを嗅いでから、ハッとしてぶん投げた。
「目玉じゃんか」
すぐに目玉だとわかった。なぜかというと、もう一つが足元に落ちていたからだ。
「これって、会長さんのだろう。俺、なにやってんだよ。シリアルキラーじゃないか。眠っている間に悪魔がやったんだけど、なんにもおぼえていない。逮捕されたら死刑だ」
頭から布団をかぶって二時間ほど悩んでいると、ミツルの母親が入ってきた。
「なんかヘンな臭いがするけど、生ものでも腐ってるのかい」
つぶしてしまった目玉とつぶれていない目玉がゴミ箱の中にある。クンクンとニオイの元を探る母親の動作を察知して、ガバッと起き上がった。
「は、ハム吉だよ。こいつのウンコは臭いからさあ」
名指しされたハムスターは素知らぬ顔で眠っている。
「あんたさあ、真夜中に外へ出ていたけど、どうしたのさ」
ミツルの呼吸が一瞬止まる。よりによって、外出したのを母親に見られていた。
「べ、べつに。自販機でジュースを買ってただけだって」
「会長さんの家の前をウロウロしてたじゃないの」
「母さんこそ、夜になにやってんだよ」
「ダイエットのウオーキング。寝る前にやってるでしょ」
ミツルは母親と目線を合わせないようにしていた。
「犯人とか見てないのかい」
「知らないって」
「そうかい。怪しい人がいたら警察に通報するんだよ。正直に話すんだ」
「わかったから」
母親が出ていった。
「母さんに見られた。オレが犯人だって気づかれたんじゃないか」
ベッドに尻を落としてあれこれ考えていると、あることに気がついた。
「目玉が一つない。潰れてないほうだ。どこにいった。まさか母さんが」
ゴミ箱の中には原形をとどめていない肉片があるが、二つ分はなかった。目玉の一つを母親が持っていたのだと、ミツルは焦った。
「まさか、俺を警察に突き出すのではないか。いや、証拠を隠滅してくれたのかもしれない。なんてったって息子だもんな」
どちらにしても、切羽詰まった状況であることに変わりはない。ミツルはスマホを用意し、自分属性アプリを起動した。
「おい悪魔、事件を全部なかったことにしてくれ。俺は誰も傷つけてないし、殺したりもしていない。最初っからなにもなかったんだよ」
そう言ってから自撮りをすると、背後に悪魔がいた。真っ黒でツノを生やしたそれが静かに頷いた。
「よかった。これで元通りだ。悪魔が事件をなかったことにしたら、このアプリを削除しよう。こんなの危なすぎて使えないよ」
一安心したミツルは その晩はぐっすりと眠った。
「んっ」
はずだったが、夜中に突如として目が覚めた。異様な気配を感じて上体を起こすと、暗闇の中に誰かが立っていた。
「お、おまえは」悪魔だった。
全身が真っ黒で身長が二メートル近くある。二本のツノは先端が天井に当たりそうだった。
「なんだ、これは。どうして属性が外にいるんだよ。俺に憑依するんじゃないのか。単独で行動できるのか」
あわてふためくミツルへ、真っ黒な悪魔が近づいた。
「わたしですよ、ミツルさん」
「うわっ、悪魔がしゃべった」
「悪魔がわたしの体に憑依しているんです。姿が悪魔になっているのは、この姿でなければミツルさんと話すことができないからです」
ミツルは驚きながらも、目を凝らしてよ~く見た。
「誰だよ、俺の知り合いか」
「わたしですよ。ほら、毎日エサをくれるでしょう。水も変えてくれるし、おトイレの掃除もしてくれる」
「???」
「ハム吉です」
ミツルの顔が引きつった。
「ど、ど、どいうことだ」
「あなたが自撮りした時、私も写っていました。そして、自分属性アプリが示したのは、私の属性だったのです」
なんと悪魔の属性を有していたのは、ミツルでなくハムスターのハム吉だったのだ。
「私はあなたが大好きです。だから、あなたの願いを叶えるために悪魔に憑依させて、いろいろやりました」
ミツルは目を白黒させていた。予想外過ぎる出来事に、頭の中はパニックだ。
「これからあなたを殺します。そのあとはお母さん、ウサギの女の子、自分属性アプリの話をしていた女子たちです。事件を、最初からなかったことにするためです」
悪魔が憑依したハムスターは、ミツルの最後の望みを叶えようとしていた。
「悪魔ですから、ひどく残虐な殺し方になります。生きたまま生皮を剥し、脳ミソのもっとも神経が集中しているところをほじくります。信じられないほどの痛みですが、これであなたは救われます」
悪魔が覆いかぶさってきた。尖った真っ黒な指先が、ミツルの頬に触れようといている。
「ああ~、俺の属性はハムスターだったんだな」
ミツルはしみじみと思っていた。
背後に悪魔 北見崇史 @dvdloto
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