第4話
その日の調査を終えて、ぼくらはワルド城に帰った。また歌うために引き回されるかと思ったけど、もう誰もぼくの歌を聞きたがる人はいなかった。
それはそれで寂しい気がする。もっと人々が聞きたがる歌を作らなくてならないんじゃないだろうか。
コトバムシのエサにするための歌ではなく、もっとこう、ぼくたち人間の栄養になる歌を。
調査で疲れていたこともあり、ぼくらは早めに就寝した。が、熟睡というわけにはいかなかったのだ。
「ヤヤ殿!ヤヤ殿!」
ドンドンドンと、激しく扉を叩く音で、ぼくらは眠りの途中で起こされてしまったのである。
ヤヤが扉を開けると、イーディ隊長が血相を変えて入ってきた。
「すぐに来てください。コトバムシの大群が襲ってきました」
なんだって!?
ワーワーと鬨の声が上がるのが聞こえる。ドタドタと大勢の人が走り回るような足音も聞こえた。
何か、ブーンという低い唸り声のような音もしていた。
ぼくらは急いで寝間着から着替えて、イーディ隊長のあとをついていった。
「状況は!?」
「城は閉めてあります。一部、侵入を許したコトバムシは、あらかた退治しました。現在は屋上にて我が隊と交戦中であります」
「そんなに大群なんですか」
「まるで軍隊のようです。外には大きなコトバムシに乗って指示を出しているものが数名います。どうやらそのものたちに操られて、突撃を繰り返しているもよう」
「増援は?」
「城のまわりは黒化したコトバムシでいっぱいです。やっと狼煙が上がったところです」
「とにかく、上へ急ぎましょう」
イーディ隊長について、ぼくらは屋上へと急いだ。途中、兵士に倒されたと見える、コトバムシの死骸がそこかしこに転がっていて、ぼくは目を背けざるをえなかった。
でも、ようやく屋上に出たぼくらを待っていたのは、そんなものではなかった。
「うわあ…」
ぼくは口を開けたまま、コトバを失ってしまった。
空は真っ黒に覆われていた。その中に、無数の赤く光る星があった。
いや、星ではない。そこだけが赤く光る、コトバムシの目だ。圧倒的なまでの黒化したコトバムシの大群が、空を埋め尽くしていた。
ぼくが聞いたブーンという音は、コトバムシの羽音だった。
「神の罰、か…」
ヤヤの口から、そんなコトバが漏れた。
警備隊の兵士たちは盾を構えて、城の中には一歩も入れさせまいと、コトバムシの大群と対峙している。
イーディ隊長の言ったように、コトバムシの中には、何体か大きなものがあり、その背に鞍をつけて人が乗っていた。
その中に一際大きなものがあり、それがリーダーらしかった。そこにまたがっていたのは、金髪の美しい女性だった。その人が口を開いた。
「コトバに操られ、コトバを失いしものたちよ。偽りの神を崇め、偽りの歴史の中に沈むがよい」
どういうことだ、と、ぼくがそのコトバの意味を考えていると、ぼくの耳に聞いたことのない、高い音が聞こえてきた。
それはコトバムシの羽音をもろともせず、夜空に朗々と響き渡った。
「よしむ ばとこ しをほ にんて くりつ なかろお しいへ にたち ついって くをせだ」
これは、歌?あのリーダーらしき金髪の女が、歌を歌っている?
すると、コトバムシたちは上空に集まり、赤い光の巨大な球を形作った。
「ろちお げとつき!」
高らかに女が歌うと、赤い球から隕石が一つ一つ剥がれ落ちるかのように、コトバムシが兵士たちに向かって突撃を開始した。
ドドドドドドッ!
流星群のようなその攻撃を、兵士たちはよく持ちこたえていた。だが、コトバムシの数は多く、雨あられと降ってくる。兵士たちの隊列が乱れ始めた。
「こよらか うきげこ よせ!」
女がまた別の節で歌う。すると、赤い球から一条の光が、ブーメランのような弧を描いて、兵士たちを横薙ぎに打った。コトバムシの一群が隊列の側面に向かって襲ってきたのだ。
虚をつかれた兵士たちは、どっと総崩れとなる。
「ひるむな!剣を抜け!」
イーディ隊長の檄が飛ぶ。乱戦だ。あちこちで兵士とコトバムシとの戦闘が始まる。
もう隊列も何もあったもんじゃない。一人の兵士に、5、6匹のコトバムシが群がっている。兵士たちは必死で剣を振るって、コトバムシを払い落とす。剣の一撃を受けたコトバムシは、簡単に地に落ちた。
だが、攻撃をかいくぐられ、手と言わず足と言わず、かじられる兵が続出した。
それを見て、ぼくは心が痛んだ。コトバムシは大人しい、無害な虫だ。これまで神の使いとして崇められ、大事にされてきた。人類の友として、ぼくらを正しい方向へと導いてきてくれた。
でも、こんなことなら、コトバムシを駆除する方法でも編み出しておけばよかったのだ。
「トト!」
そのとき、ヤヤが奇妙なことを言った。
「トト、君も歌うんだ!」
「えっ、な、何?」
「歌だよ。あのリーダーの女は、歌によってコトバムシを操っている」
「う、うん。そのようだけど、聞いたことのないコトバだね」
「失われたコトバだ。きっとあれが初代コトノハ王が使っていたという、人々を従わせる力があったという、失われたコトバだよ!失われたコトバと歌を組み合わせることによって、コトバムシを操っているんだ」
「そ、それで?」
「君も歌うんだ!向こうが歌でコトバムシをコントロールできるとすれば、こっちも歌で対抗するんだよ!」
「ええ!?」
歌うったって、この状況で!?
「なんでもいい、早くするんだ!」
ヤヤは襲ってきたコトバムシを、手で払いのけた。
「トト殿!頼みますぞ」
イーディ隊長まで…。え、えーい、やぶれかぶれだ。ぼくは一種の思考停止状態になって、思いつくがままに歌った。
生きてるって 素敵だな
みんな生きてる 花も草も虫も
支え合って生きてる
この星で生きてる
「うわっ」
突然、目の前が真っ暗になった。カサカサしたものが顔にかぶさり、痛みを感じた。
耳元で甲虫が羽ばたくときの、ブーンという音がうるさく鳴った。
一瞬、パニックに陥ったが、横からザクッという音がして、視界が開けた。
「お気をつけください」
イーディ隊長の剣にコトバムシが串刺しにされていた。
「全然効かないよ!」
「そんな歌じゃだめだ!上辺だけを取り繕った、嘘偽りのコトバじゃなくて、君の心の奥から出てきたコトバで歌うんだ!」
「そんなこと言ったって」
「ウタイビトだろう!君は今まで、どういうつもりでコトバムシに歌を作ってやっていたんだい?君のコトバムシに対する素直な気持ちを歌にするんだ!」
素直なったって…。え、えーと、コトバムシ、コトバムシ、ぼくがウタイビトになったのは…。
とっさにぼくの頭に浮かんだのは、ずっと昔に作った歌だった。
ずっと昔、ウタイビトになる前に作った歌。そうだ、ぼくは歌うことが好きでコトバムシが好きで。自分のコトバで彼らが赤くなるのを見るのが好きで。だから、ウタイビトになったんだ。
ぼくの知られたくない手紙を
切手を貼らずに 出すのです
口のない君あてに
頑丈な鍵をかけて リボンを結んで
涙で封をしたら
恥ずかしさが 満ちてきて
君はほんのり 顔を赤らめる
それを見たぼくも 秘密を知ってしまったみたいに
赤くなるのです
この歌はあんまりコトバムシたちには好まれなかった。ウタイビトの先輩たちからも、コトバが不適切だとか、難解すぎるだとか言われて、さんざんな評判だったんだよなあ。
それがフッと出てきちゃったんだけど。
「おお、コトバムシの動きが鈍くなりましたぞ!」
イーディ隊長の声が弾む。狂ったように兵士に襲いかかっていたコトバムシが、戸惑ったように右往左往し始めた。え、こ、効果あったの!?
「いいぞ、トト!もっと歌うんだ」
そうは言っても、敵の数が多すぎる。歌を聞いてくれるのは、せいぜいぼくのまわりにいるコトバムシだけだ。
「この城にコトバイシはありますか」
ヤヤがイーディ隊長に聞いた。
「予備のものなら、少しありますが」
「ありったけ持ってこさせてください。トトの歌を録音して、コトバムシに聞かせるんです」
「承知仕りました!」
すぐさまイーディ隊長が指示を出して、兵に取りにいかせる。でも、それまで持つかなあ?
ぼくは必死で歌い続けた。すると歌の出どころを見つけたコトバムシたちが、ゆっくりとぼくのまわりに集まり始める。無数の赤い目が、ぼくを取り囲んで見つめた。
「ひっ」
「トト、大丈夫だ。彼らは君の歌に聞き入っているんだ!」
「う、うん」
ヤヤの励ましにこたえるけど、うう、怖い!でも、もっと怖いのは、それを兵士たちが片っ端から剣で叩き落としていっているということ。なんだか、すごく卑怯なことをやっているような気になった。
「おのれ、ウタイビトか。こしゃくなまねを!コトバムシよ、我が意志に、我がコトバに従え!
よしむ ばとこ やかすみに いしへ ちたを めついか よせ!」
リーダーの女の人がまたきれいな声で歌った。コトバムシたちが再び狂ったように兵士を攻撃し始める。
あれは失われたコトバなんだろうか。だとしたら、そのコトバで歌うあの人と、失われていないコトバで歌うぼくと、どちらが不利か、明らかじゃない?
「がわ いめに たがえし!」
くっ。だめだ、だめだ。そんなふうにコトバムシを兵器にしちゃ、だめなんだ!ぼくはぎゅっと目を閉じて、どこからか湧き上がってくるコトバに即興で節をつけた。
ずっと気にしていたよ
本当はどう思ってるの?
嬉しさも 悲しさも
君は全部 飲み込んでしまうから
聞かせて君の本当のコトバ
僕だけ聞いてる君だけのコトバ
無口な君から
はにかみ屋の僕に贈られた
秘密のコトバ
ブーンと、一際大きな羽音が猛スピードで近づいてくるのが聞こえた。
「コトバをないがしろにし、コトバをおとしめるものよ!これ以上の暴虐は許さない!」
目を開けると、巨大なコトバムシにまたがったリーダーの女の人が、まわりのコトバムシを跳ね飛ばしながら、まっすぐぼくの方に向かってくる!
「うわっ」
ドーンというものすごい衝撃を感じて、ぼくの体は宙にふっ飛ばされた。
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