白猫狂戦士

ヤン・デ・レェ

第1話 狂戦士、猫を拾う




俺は今日、戦場でネコを拾った。彼女と目が合ってしまったから。







大国と中堅国、そして小国家群が鎬を削り合う大陸西方の中原では、よほどのことがない限り、戦争には事欠かない。どこもかしこも係争地だらけで、小さい小競り合いなら毎日どこかで起きている。


戦場こそ我が家。戦場こそ我が故郷。


俺は戦場を求めて、この燃え盛る坩堝、中原の戦争を次から次へと渡り歩く傭兵だ。


ただ、勘違いしないでくれ。俺をどこぞの馬の骨なんかと一緒にしないでくれ。


俺は歴とした騎士なのだ。どこにも仕官はしていないが、常に引っ張りだこの騎士なのだ。


俺の初陣は10歳の時。解放奴隷になる為に、隣国との戦いに駆り出された。


二度目は市民になる為に、遠方から来る異教徒と戦った。因みに俺は無宗教だ。


そして三度目は騎士になる為に、王権に反旗を翻した反乱軍と戦った。


見事見事。俺はこの全てで手柄を上げて、奴隷から解放奴隷に、解放奴隷から市民に、市民から騎士へと出世街道を突き進んだ。


だが、騎士になり、国王の前に引き出されて忠誠を誓うように言われた時に思った。


「なんだそれは。偉そうに」と。


俺は権力に尽くすために戦ったんじゃない!家族の為でもない!俺に家族はいない!だから全ては自分のために戦ったのだ!自分が戦いたいから戦ったのだ!勝利したいから戦ったのだ!


俺は王からの仕官の誘いを断って、流浪の傭兵になることにした。


それからかれこれ二十年。俺も気づけば三十代である。


ということは?今が一番脂がのった時期だということだ。


一番強い時期だということだ。


なので戦うことにした。戦い続けることにした。


勝って勝って、勝ち続けることにした。


偶に敵の騎士から決闘を申し込まれることもあった。流石に、そういう時は素直に応じて真正面からぶった切ってやった。


兎に角、俺は一人でも多く斬り捨てたいのだ。一つでも多くの勝利をこの手で勝ち取りたいのだ。


そんな思いで旅烏となり、今や列国に名の知れ渡る猛者に登り詰めた。


戦争と聞けば真っ先に駆けつけて、願わくば劣勢の国に味方して、好きなだけ剣を振るってきた。


金は腐るほど稼いだ。もう一生食っていける分だ。


だが、まだだ。まだまだ…まだまだ俺は戦場に立つぞ。


なぜなら、戦争こそが俺の生きがいなのだから…。








ドルニエ古王国とフラン王国は犬猿の仲で知られている。どちらも外交事となると一歩も譲らず、仲が良かった試しなどなかったのではないかと思う。


そんな両国の間で、1089年に勃発したのが第四次ドルニエ=フラン戦争だ。戦争が始まってかれこれ七年目になるが、俺は南の都市国家同士の血なまぐさい陣取り合戦に参加していて、終盤まで興味がなかった。


というのも、戦いらしい戦いをこの両国はなかなか踏み切らなかったからだ。それもさもありなん。なんてったって、両国とも西方じゃあ名の知れた大国同士だ。戦争するにも莫大な銭がかかる。


お互いに負けられない戦いだと知りつつも、お互いにあんな奴の為に金をドブに捨てたくはないというのが本音だろう。


そして、ようやくその重い腰を上げたというわけだ。何故俺がそのことを知っているかと聞かれれば、両国ともに俺の元に特使がやってきたからだ。内容は同じようなものだ。


『戦争があるから助太刀願いたい!』


報酬金も同じくらい。戦力も同じくらい。


となると、俺の決め手はどっちが先に俺を誘ったかと言うことになる。


結果は、ドルニエ古王国が一歩速かった。


こうして俺は第四次ドルニエ=フラン戦争への参加を決めた。


この戦いが最初で最後の戦いになり、この戦争は終わるだろう。


両国の気合は十分。俺は満足のいく戦いが出来ることだろう。


いざ決戦の地、アルワ=マギスタへ!!







アルワ=マギスタの地は平坦な土地だった。荒涼とした平地が延々と続いていた。


そんな平地を挟んで、ドルニエ古王国軍二万五千、フラン王国軍三万、両軍合わせて五万五千の大軍が対峙していた。


ドルニエ軍は主力を重装騎兵に頼み、フラン王国軍は重装歩兵の密集陣形とクロスボウによる長射程攻撃に託したようだ。


全体的に錐の陣形を描いたドルニエ軍に対して、フラン軍は逆錐の形で騎兵の衝撃を受け止める体勢を整えた。


ザートムが配置されたのは最も過酷な戦闘が予想される中央軍の最先頭である。


隻眼の愛馬『葦毛のエイドリアン』の手綱を緩く持ち、右手には愛剣であり天下に十三振りしか存在しないウルフバートが十三番目、最後にして最高の名剣『古き剣カリオペ』を握っている。


仮面騎士と恐れられるザートムの出で立ちは異様であった。敵味方問わず、畏怖と畏敬の対象として見られる彼の姿は、全身を黒い板金鎧で固め、同じく漆黒のマントを羽織り、頭の天辺までを黒い頭巾で覆い、顔には彫金の施された優美な銀仮面を被せていた。碧い目だけが爛々としており、人に得も言われぬ不気味さと恐れを抱かせた。


そして、開戦の笛が鳴り響くや、ゆっくりとした…まるで散歩にでも行くかのような軽い足取りで、ザートムは誰より先に進み出で、我に返った後続が鞭を入れるより早く、エイドリアンに鞭を入れた。


ピシャリと革の手綱が葦毛を打つ音が響くや、その主人に似た悍馬エイドリアンはおどろおどろしい嘶きを上げて、風の様に早く敵陣に向けて吶喊した。


「一騎凄いのが来るぞぉぉぉぉぉッ!!」


「ハリネズミにしてやれ!串刺しにしてやれ!」


「ひいぃいぃぃぃッ!?見ろ!ありゃぁ仮面騎士だぁぁッ!!!」


敵陣があわただしく蠢き、大楯を構える重装歩兵の後ろから、クロスボウ兵たちがじわじわと滲みだしてくる。このままいけば、クロスボウの餌食になってしまうだろう。


主人に合わせた漆黒の馬鎧を着せたエイドリアンと言えども、全てのクロスボウのボルトを受けきれるとは思えなかった。だが、エイドリアンも、ザートムも、敢然として歪まない。一直線に突っ込んでくる。


「クロスボウ構えーーーーーーーッ!!!」


「ってーーーーーーーッッ!!!」


クロスボウの複雑な機構が、短く、それでいて貫通力に特化したボルトを一斉に吐き出した。弓矢以上の長射程で、かつ精度の高い一撃が、ザートムとエイドリアンに殺到した。


「うおおぉおぉおぉぉおぉぉおぉおぉおぉぉぉぉッッ!!!!!!」


右手に握られた古き剣カリオペが、一閃、見事にボルトを砕く音と共に、雨をかいくぐる様な足取りで、エイドリアンの手綱を右に左に操り、ボルトの雨からまんまと逃れたのだ。


横跳びから、正面へと跳躍。飛翔の如き勢いで、そう普通の馬ならば足を痛めかねない大跳躍だった。


「ぐわあああああ!?」


「馬が!馬が降って来るぞおおおおッ!!」


歓声が悲鳴に変わると同時に、遠くで雷が鳴った。ザートムとエイドリアンによる、人馬一体の突入劇と時を同じくして、天候は不穏にも真っ黒で重々しい雲の群れを引き連れてきた。戦場を睥睨するように、天がこの戦いを覗いているように。


間もなく雨が降り出した。ざんざん振りの土砂降りだ。ついさっきまで快晴だったのに。敵も味方も、この恐ろしい天気の変化を恐れた。


ただ一人、吉兆であれと、凶兆であれと、エイドリアンに鞭打ち、カリオペを一心不乱に振るうザートムだけが楽しげだった。


否、彼こそが楽しんでいたのだ。この戦場を!


泥沼に沈む戦場は、ザートムにとって初めてではない。


いいや、寧ろ彼の戦場は常にそうであった。雷雨鳴り響き、打ちつける雨が鎧を鳴らし音楽を奏で、悲鳴と歓声が渦を巻く混沌の中で育ってきたのだ。


ゴロゴロ…ゴロゴロ…


「聞け!!エイドリアン!天が啼いているぞ!喜んでいるぞ!!」


ザートムは壮絶な笑みを仮面の下で浮かべた。そして、次々に、襲い来る敵を、敵の海の中で捌き続けたのだ。


終わりの見えない敵の海の中にあって、ザートムの周囲だけが小さな空白地帯を生んでいた。


「逃げろおおおお!!バーサーカーだ!」


「奴とは戦うな!死にたくなけりゃあ逃げるんだぁぁぁッ!!」


「逃げるな!俺と戦え!俺に勝利を捧げろッッ!!」


「ギャアアアアアアアッ!?」


大海原に降るような大雨が鎧を打ち鳴らした。マントは重たくなり、剣が血を吸うよりも早く、剣についた血が大地へと洗い流されていった。


大地はどす黒く、そして赤く染まっていく。倒れ伏し、踏み躙られ、屍の山を築きながらも、ザートムは一顧だにせずに戦い続ける。


「待たれい!!貴殿は仮面騎士ザートム殿とお見受けする!!私はフラン王国が栄えあるゴーティエ子爵なり!いざ尋常に勝負!!」


防衛陣を数枚抜いたところで、開けた場所に出たザートム。


彼の前に現れたのは、なんとも優美な金の鎧を身にまとった貴公子然とした騎士であった。見ればザートムと彼を囲うように、兵士たちが槍を内側に構えて動いている。


「その意気や好しッ!!さぁ、どこからでもかかってこい!!」


ザートムは堂々と愛剣カリオペを天を衝く様に構えると、ゴーティエ子爵に向けてエイドリアンを吶喊させた。


「噂通りの狂戦士であったか!!騎士道の何たるかを思い出させてくれるッ!!」


ゴーティエ子爵も息を巻いて、乗っている白馬に鞭を入れた。騎士の長剣を横なぎに構え、ザートムめがけて一直線だ。


「ぬわあああああああああ!!!」


勝負は一瞬。ザートムはあろうことか、馬から飛び跳ねると、天高くからゴーティエの脳天めがけて剣を振り下ろした。剣は風を斬る歪な音を立てながら、吸い込まれるようにゴーティエ子爵の兜を割った。


だが、ザートムの剣は止まらない。生まれた切れ目に食い込むと、易々とその傷に割り食い込んで、ゴーティエ子爵の頭蓋を砕き、更にはその喉元まで剣で切り裂いたのだ。


生ぬるい血が噴き出して、ザートムの鎧を真っ赤に濡らした。


「ご、ゴーティエ子爵様ああああああ!!!」


「聞けぇぇぇい!!ゴーティエの兵どもよ!ゴーティエは立派に散った!その亡骸を大事に持って、国へ帰れ!貴様らのことは見逃してくれる!」


そう言って、ザートムはブオンと音を立てて血を払うと、駆け寄ってきたエイドリアンに颯爽と跨って、次なる獲物を探しに更なる敵陣の深部へと突撃した。


ザートムはそれからも十人にも上る騎士と戦い、その全てを打ち斃した。


斃した者は騎士だけではない。雑兵も、クロスボウ兵も、重装歩兵も…片っ端から斬って斬って斬りまくったのだ。


比喩抜きで、ザートムは一日にして死体の山を築いた。彼の後ろに続ける勇者などいなかったが、そもそも、勇者など不要なのだ。


ザートム一人こそが、戦場の勇者だった。


開戦と同時に出鼻を挫かれたフラン王国は、そのまま撤退に移行し、ドルニエ古王国は全兵力を上げて追撃戦を行った。


しかし、追撃戦の場にザートムの姿はなく。屍と屍漁りと野犬と烏だけが残った戦場で、ただ一人の生者として、血腥い戦場の薫りに包まれていた。


最後に打ち斃した敵兵の山の上に腰かけて、ぼんやりと、彼方へと去り行く暗雲を見送るのだ。


ザートムが戦場に出るたびに、土砂降りの雷雨が天を覆った。人は時にそれを不吉と言い、時に吉兆とも言った。


だが、ザートム当人からしてみれば、全ては天の赴くままであろう。


ザートムは神を信じなかったが、天に愛されているという強い自負があった。


故に、戦い熄めば、静かに戦場に一人残って過ぎ去り行く暗雲を見送るのが、彼の習慣だった。


彼にはもう一つ習慣があり、それは地上に落ちた雷の痕を見て回る事だった。


始めて戦場に立った時、ザートムの目の前に雷が落ちた。


初陣でいつ死んでも可笑しくなかったが、彼が危機に陥るたびに、戦場に雷鳴が轟き、ザートムは命拾いをした。


そして、戦いが終わってから雷の痕を辿ってみれば、地中深くを抉った雷の足跡から、一振りの剣を手に入れたのだ。


この剣こそ、ザートムの相棒『古き剣カリオペ』だった。


ザートムは巷の神を信じなかったが、何か大いなる力を有する天の存在を信じていた。


以来、ザートムは戦場を闊歩するようになった。死者のみが溢れかえる、戦い熄んだ戦場を。







俺は何時もの様に、戦いの喧騒が去った戦場に一人残った。


死骸漁りには興味が無い。俺の目的は雷の足跡を探すことだった。


「これは…また随分と大きな雷が落ちたもんだな…」


死臭と血と臓物の匂いが濃いが、俺にとっては慣れたものだった。


もう二十年以上、戦場と宿屋を行き来する暮らしをしているのだから当然かもしれない。


「さてさて…今日はまた大きな足跡が見つかったぞ…」


随分派手に人間を焼いたのか、抉られた土の周囲には、黒焦げの遺体が幾つも転がっていた。


俺はこの小穴にしゃがみこむと、遺体を退かして、土を掬ってみる。


「何もないとはわかっているんだが…それでも、やめられないこともあるんだ」


俺はぶつぶつ言いながら、土を掘り返してみる。


「…ん?…なんだ?この白いの…」


すると、何時もなら何も感じないはずの指先に、何か柔らかいものが触れた。


掘り進めてみると、それは小さな小さな、白い何かだった。


突いてみると、温かい。


汚れているが、なんとも綺麗な白だ。


ふさふさの毛は柔らかく、わずかに動いている気もする。


俺は恐る恐る、その何かを掬いあげた。


「…ネコ…?」


とんがりの耳といい、ひげといい、見覚えのある動物のような見た目をしていた。


ピンク色の舌が覗いていた。よく見ればひげがピクピク動いた。


見れば長い尻尾もある。にょろんとしていて、白い毛がふわふわついていた。


ともあれ、今は酷く泥と血とで汚れていて、目も明けられないほどに小さい子猫だ。


「…どうして猫がこんな場所に…」


剣が落ちていることには納得できた。なんてったってここは戦場だ。剣の一本や二本落ちていなくてどうするんだ。


だが、生き物は初めてだ。オオカミや野犬や鼠や烏なんかは見たことがあるが、猫っていうのは初めてだった。


さて、どうしたものか…。


動物を育てた経験は無いし、既に俺には馬のエイドリアンがいる。


そっと、元居た場所に戻そうとした時だった。


パチリ


か弱いネコの眼が開いた。


「ミー…ミー…」


弱弱しい鳴き声だ。


俺は、猫と目が合ってしまった。この白猫は、なんとも美しい碧い瞳を持っているようで。


俺と、瞳の色が同じだった。


なんとも、頼りない理由だったが、結局俺は猫を元の場所に戻さなかった。


猫と目が合ってしまった所為で、狂戦士と恐れられる俺が、子猫一匹捨てられないなんて。


泥と血とをマントで拭ってやって、それからマントを脱いで、これで優しく、優しく包んだ。


人間の赤ん坊にするみたいに、俺はお包みの中の猫を腕に抱いて、エイドリアンにまたがると、戦場を後にした。


不思議なこともあるもんだが、今はまず温かいミルクと清潔なお湯が必要だ。


俺は今日、戦場でネコを拾った。



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