第2話 夜は隠されしもの

 張華ちょうか蘭々らんらんに連れられ、大量の料理とともに詠星えいせいの住む丘の上の楼閣に向っていた。


 時刻は夜八時。

 料理は、岡持ちに入れた上で酒屋の佐武さぶが引く荷車に乗せられていて、それを松明を持つ張華と蘭々が先導していた。



 張華が露骨に嫌そうな顔をして蘭々に尋ねる。


「あのー、蘭さん。どうして私達、アイツの家にこんなに沢山の料理を、それも凄く凄く手間のかかる料理を時間をかけて作ったうえで運ばなくてはならないんですか?」


 荷車に積まれた料理は、どれも仕込みに数日掛かるものばかりで、お店で出すものとは随分と違っていた。また、お酒も超一流品がこれまた大量に積まれている。


「ふふっ。それは今は内緒さ。でも、張華はきっと驚くと思うよ」


 蘭々が笑う。張華が信じられずにまた尋ねる。


「えっー?どうせ料理を時間をかけて作らせた上で、あの天井の無い部屋から全て捨てるとか、そんな嫌味なことするんじゃないですか?」

「アイツは"私の料理に対しては"そんなことしないさ」

「そうですかねぇー。すると思うけどなぁ」

「ふっ、そのうち分かるようになるよ」

「いえ、そんなに会いたくないです」


 張華はきっぱりと断った。蘭々と佐武が大いに笑った。



 それから、詠星の居る黒楼閣に辿り着いた一行は、詠星に"蝶"と呼ばれる式神に案内されて、いつもとは違い、二階の円卓のある部屋に入った。

 張華は部屋をぐるりと見回して、心柱がないことに気付いた。それを察して、入り口から最も遠い上座に居る詠星が鼻で笑った。


「流石に十層の高さを担える柱は無くてな。国中の先鋭を集めて作らせた。柱を組み合わせた構造になっているのだ。ふっ、余談になるが、"ポ"ごときでは百年働こうが買えぬ値だ」

「へいへい。そうですか」

「ところで、"ポ"。お前、道中でオレの悪口を言っていただろう?」

「えっ……」


 張華が驚いた顔をして続けた。


「いつも言っているけど?今更どうして?」

「くくっ、阿呆のくせに生意気な奴め」

「へいへい、阿呆ですよ。だけど、一応聞いてあげる。どうしてわかったの?」

「占星術でお前が悪口を言う度に髭が伸びるようにした」

「えっ?!」


 張華は顔を赤らめて、慌てて口元をさすった。それを見て、詠星が大笑いする。


「ふははは!流石のオレと言えど、そんなクソの役にも立たん占星術は研究しておらんよ、生意気娘め」

「覚えてろ!クソヤロー」

「ははは、悔しがれ!拉麺のお返しだ」



 そこに"蝶"の式神が入り口より現れて、詠星の元へ行くと、詠星に小声で告げた。



主人様あるじさま。お客様が丘の麓までお見えです」

「そうか。相分かった。どれ、蘭々、それに"ポ"。それから……誰かも分からぬお前」

「酒屋の佐武ですよ…。いい加減に覚えてくださいよ」

「お前の名前などオレの人生に必要ない。一生覚えん」


 詠星が力強く断言して、佐武が肩を落とした。


「まったく…。ひどいなぁ」


 そんな佐武に、詠星は迷惑そうな顔で、野良猫を払うかのようにシッシッと手を振りながら告げる。


「いいからとっとと準備にかかれ」

「はいはい…。分かりましたよ、詠星さん。ほんと性格悪いですね……」

「佐武さん、奴に覚えられない方が幸せですよ」


 張華は佐武の肩に手を掛け、しみじみ頷いてみせた。




 それから円卓に料理を並べ終えると、蘭々の指示で張華は蘭々とともに詠星の後ろに立たされた。佐武は残念そうにしながらも荷車と共に帰され、その後で質素でありながらもどこか品のある牛車がやって来た。


 蝶に案内されて二階に来たのは、顔をベールで隠した老人と、兵士二人。一人は間違いなく一線級の老兵で、歳の頃は五六十、短い白髪で顔に数多の傷がある。もう一人は如何にも文官のような若くて気弱なおどおどとした兵士だった。


 張華はその老兵に睨まれ、本能的に恐怖を感じて蘭々に身を寄せて隠れた。


 老兵が腰の太刀に手を掛けたまま、詠星に尋ねた。


「……その御仁は?」

「なに、ただのゴミです。心配は不要。身元は私が保証しましょう」

「しからば」


 そう言って老兵は太刀から手を離した。それからベールの男が勝手に着席し、若い兵士が料理を全種取り皿に取り分けた。



 そして、何を思ったか若い兵士はそれを全て一口ずつ食べ始めた。



 張華は驚いた。

 誰か止めないのかと周りの人々を見てみたが誰も何も言わずに黙っていたので、恐る恐るながら皆の代わりに忠告することにした。


「あの……君、それって取り分けたらまず目上の人に配らないと。それに、普通は家の主人が『どうぞ』って言ってから食べないと失礼だよ?」

「へっ?」


 若い兵士が青ざめた顔で張華を見た。その瞬間、皆んなが一斉に噴き出した。張華は何事かとキョロキョロと目を泳がせた。詠星が涙を浮かべて告げる。


「ふははは!さすが"ポ"だ!くっくっくっ。傑作傑作。これは毒味だ阿呆め」


 それに釣られてベールの男が初めて声を発した。


「かっかっかっ!なかなか面白いものを飼っておるのぅ、詠星よ!」

「そうでしょう。最近のお気に入りゆえ。王も気に入りましたか」



 張華は恥ずかしさに胸を一杯にしながらも、ふと詠星の言葉が引っかかった。


「王?」


 張華は怪訝そうな顔をして蘭々に向き直り、じっと見つめた。そして、もう一度蘭々に向けて同じ言葉を発した。


「……王?」


 蘭々が目尻の涙を拭きながら、コクリと頷いた。張華は目を見開いて思わず「えぇーっ?!」と叫んだ。




 張華は、それからのことは緊張のあまりほとんど覚えていない。


 王が「……して、吉兆は見えようか」と聞き、詠星が忌憚なく「未だ吉兆は見えず、国難は続きましょう」と不吉な事を言っていた事だけ、なんとなく頭に残った。



 そして、ずっと頭の中で先ほどの失態の事について逡巡していると、いつの間にか玄関におり、蝶から「主人様からのお土産とのこと」と言われて、円筒型の奇妙な行燈あんどんを受け取った。


 木で作られた円筒の側面に水玉模様のように無数の小さな穴が開けられていた。穴には和紙が貼られていて、普通の行燈と比べて光量が抑えられているようだった。


 張華は首を傾げて「私たち、松明を持ってきましたよ?」と蝶に伝えたが、蝶も首を傾げて「主人様からより申し伝えゆえ、何故かは分かりませぬ」と答えた。



 そして、帰路にて曇り空を見ながら、地に足が着かない心地のまま張華は蘭々と歩いていた。


「もうー、蘭さん。王が来るなら最初から教えてくださいよ!初めて見たのに、凄く嫌な思い出になっちゃいましたよ。分かってたらきっとあんな失敗しなかったのにぃ」

「ごめんごめん。いやー、でも笑わせてもらったよ。張華のおかげでいつもと違う雰囲気だったよ」

「もう、すぐそうやって誤魔化そうとして。私怒っているんですからね」

「ごめんごめん」

「ところでどうしてがアイツのところにいるんですか?」

「ふふっ、それほどアイツの占いが求められているってことさ。性格は悪いが、占星術でアイツの右に出る者はいないからねぇ」

「でも、だとしても、普通は王がアイツのところに来るんじゃなくて、アイツをお家に呼びつけるものじゃないんですか?」

「まぁ、普通はそうだね。それだけ凄いんじゃない?王にすら我儘を通せるほどの実力ってこと」

「えーっ、絶対そんなことないですよ。もっと凄くて優しい人絶対います!じゃないと、この世の中救いが無いですよ」

「ははは。ただ少し事情があるとも聞いた気がするかも」

「どんな?」

「んー、覚えてないなぁ。でも、どうせ禄でもない理由じゃない?歩けないとか適当な嘘ついているんじゃないかな」

「あー、ありそう。それなら納得です。……って、あっ!」



 張華が叫んだのは、頭に冷たい雨粒が当たったためだった。そして、雨は一気に本降りとなり、辺りに水飛沫を散らすほどの勢いとなった。


「蘭さん、走りましょう!」

「あぁ!」


 

 松明は雨で消えたが、詠星の寄越した行燈は雨が蝋まで届く事がなく消えずにすんだ。張華が不服そうに呟く。



「雨が降るの分かっていたなら、"傘"寄越しなさいよ」



「——それでは面白くないだろう?」


 詠星は、黒楼閣の窓辺に立ち、微笑みをたたえてひとりごちた。後ろで蝶の式神がどういう意味かわからずに首を傾げた。


「傘を上げては、"ポ"の悔しがる顔が見えんからな」

「なるほど」


 蝶が納得して相槌を打った。詠星が目を細めて独り言を呟く。


「雨が降る夜になることは数日前に星の精が教えてくれた。だからこそ、嫌々ながらも他人と会う機会を設けた。星空が見えぬなら無為に時間を過ごすことになるゆえ。しかし、雨がこのようなタイミングになろうとは……」



 詠星は苦い顔で空を見上げる。



「王の帰路にて雨降る……か。暗雲いまだ晴れず、国難続く…か」



 詠星はやれやれといった風に深くため息を吐いた。



「早く晴れてほしいものだ」



 諦めたように詠星が窓を閉める。ようやく黒楼閣はいつもの静かさを取り戻した。雨は夜明けまで続き、朝には水溜りが朝日を反射した。

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